色彩
■ 悩み、叫び、笑う 前編

「・・・はぁ。」
卯ノ花が四番隊舎を歩いていると、そんな深いため息が聞こえてきた。
その溜め息が聞こえた方に目を向けると、四番隊舎の空き部屋で、椅子に座り、窓枠に肘をついて、面白くなさそうに下を見つめている橙晴の姿を見つける。


「どうしてここに出てくる名前が、僕の名前ではないのか・・・。」
橙晴はそう呟いて、再びため息を吐く。
何やら悩んでいるらしい。
悩む若者の心を解きほぐすのも、私の務めですね。
卯ノ花は内心でそう呟いて、彼の方へと足を向けた。


「何をしているのですか、橙晴?」
卯ノ花が声を掛けると、橙晴は驚いたように振り向く。
「烈先生・・・。」
橙晴は、気まずそうに卯ノ花の名を呼ぶ。


「このような場所で、休憩、という訳ではないでしょう?」
室内を見渡しながら、卯ノ花は言う。
空き部屋である故にそこは埃っぽい。
後で掃除をしなければいけませんね・・・。
内心でそう呟きつつ、橙晴を見つめる。


「休憩・・・では、ありませんけど・・・。」
気まずそうにそう言って、橙晴は窓の外を見る。
卯ノ花も窓に近付いて、橙晴の視線をたどった。
そして、彼の溜め息の理由を察した。


「・・・一体、青藍様とどういう関係なのかしら?」
「同期だからって、簡単に近づきすぎではなくて?」
「ちょっと美人でちょっといい家の出だからって、調子に乗らないことよ。」


雪乃は壁に追いやられて、三人の女性に囲まれている。
彼女らはそれからも何やらまくし立てているが、雪乃は澄ました顔で聞き流している。
・・・書類を片手にして、目を通しながら。
それを見て卯ノ花は苦笑した。


「相変わらず、人気者のようですねぇ。」
「今週はこれで三組目です。」
感心したような卯ノ花に、橙晴は面白くなさそうに言う。
「あら。詳しい。」


「・・・偶然です。」
解りやすい嘘ですが、それを指摘すれば橙晴はへそを曲げることでしょうね。
卯ノ花はそう思ってそのまま会話を続ける。


「助けに、行かないのですか?」
その問いに橙晴は首を横に振る。
「行かないのではなくて、行けないのです。」
「・・・?」
橙晴の言葉に卯ノ花は首を傾げる。


「雪乃は・・・差し伸べられた手を取りません。今僕が手を差し伸べても、雪乃はその手を叩き落とすでしょう。そして雪乃は自分でも傷つく。僕は傷ついてなどいないと言えば言うほど、自分の殻に閉じこもる。」
雪乃を見つめながら橙晴は切なげに言う。


「せめて、あそこに出てくる名前が、兄様のものではなくて、僕のものだったら・・・。」
そうすれば、僕は出ていくのに。
彼は声には出さなかったが、卯ノ花にはそう聞こえた。


その横顔が悔しげで、苦しげで。
恋を、しているのだと、一目で解る。
もっとも、それを見せるのは、一部の者に対してだけなのだけれど。
彼のこんな表情を知る人は少ないのでしょうね。
普段は何でも無いように、彼は兄のそばに居るのだから。


「・・・苦しいのですか?青藍と言う兄が近くに居ることが。」
卯ノ花の言葉に橙晴は顔を歪める。
そして、泣きそうに卯ノ花を見上げた。
卯ノ花はそんな橙晴の頭を抱えるように、抱きしめる。


「・・・苦しいです。時々、兄様を恨みそうになる。兄様を恨むのは間違っていると、解っているのに。兄様は、遠すぎます。それなのに、周囲を惹きつけてやまない。」
言葉を零し始めた橙晴の頭を優しく撫でる。


「僕は、兄様が羨ましい。強くて、優しくて、美しくて、輝いていて。何でも、持っている。・・・でも、本当は、兄様は何も持ってはいない。弱くて、狡くて、いつも一人ぼっちで。そんな兄様だから、僕の自慢の兄様で、大好きで、恨むことも出来ない。誰よりも、兄様の力になりたいと思うのです。」
「そうですか。」


「それが、苦しいです。雪乃だって、兄様を見ています。それが、恋ではないことは、解っているのです。解っていても、僕を見てくれないことが、苦しくて、辛い。兄様がいると、皆が兄様を見る。そういう時、誰も僕のことを見てくれないのだと、怖くて、不安になるのです。置いて行かれた気分になる・・・。」
橙晴はそう言って、小さな子供のように、不安げに、卯ノ花を見上げた。


「そんなことはありませんよ。確かに、青藍は人目を引きます。その存在が周りを惹きつけます。彼の背負うものは大きく、重く、それ故に、皆が手を差し伸べます。でも、それは青藍にだけではありません。」
安心させるように、卯ノ花は微笑む。


「青藍のそばに居ることで、気が付いていないのかもしれませんが、皆が、貴方を見ています。朽木隊長も、咲夜さんも、浮竹隊長や京楽隊長も。もちろん、私もです。」
「本当、ですか・・・?」


「えぇ。皆、橙晴が、強くて、優しい子だと知っています。朽木家に生まれ、偉大な父と兄に付いて行こうと、必死で、努力していることも知っています。」
「でも、僕は、どんなに頑張っても、届きません・・・。敵わないのです。」


「そう思っているのは、橙晴だけではありませんよ。」
卯ノ花はそう言って笑う。
「え・・・?」


「これは・・・秘密の話なのですが。」
「秘密の話?」
楽しげな卯ノ花に橙晴は首を傾げる。


「いつか、僕は、橙晴に負けるでしょう。僕のことなど追い越して、僕の手の届かないところへ行ってしまうでしょう。時々、橙晴が父上に見えるのです。」
「それは・・・。」


「青藍の言葉です。寂しそうに、泣きそうに、苦しそうに。でも、嬉しそうに、楽しそうに、誇らしげに、青藍はそう言いました。それから、橙晴には敵わない、といって困ったように微笑みました。」
「兄様が・・・。」


「朽木隊長は、橙晴は自分に似ている、と。だから、無理をしすぎないように、見ていてやってくれと、私に頼みに来たことがあります。放って置くと自分を労わらないのだ、と、困ったように、でも、少し嬉しげな瞳で、そういいました。」
その時の白哉を思い出して、卯ノ花は小さく笑う。


「咲夜さんは、橙晴を見ていると、昔の白哉を思い出す。だから、橙晴は、絶対に、いつか、白哉のような男になるのだ、と誇らしげに言いました。努力家で、真っ直ぐで、優しくて、強い。稽古で上手くいかなければ、後でこっそりと一人で稽古に励むその姿が、そして、それが出来たときの嬉しげな笑顔が、私に力をくれるのだ、とも。」
あの笑顔は心からの、自然な、美しい母の笑みだった。



2016.11.10
後編に続きます。


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