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■ 優しい味の理由

「・・・はぁ。」
溜め息を吐いて見上げた空はすでに月が天高く昇っている。
つい、今日も残業をしてしまった。
今日こそは定刻で切り上げて、休息に充てようと考えていたのに。
疲労とストレスなのか、自分でもわかるくらいに顔色が悪い上に、胃が痛い。


「イヅル、顔色悪いで。」
昼過ぎにそう言い残して去って行った上司は、一体どこに行ったのだろう。
結局あれ以降姿を見せなかった。
今日が提出期限の書類があったために、見つからない上司を探すのを諦めて、恐縮しながら勝手に隊長印を借りたのだが、その報告すら出来ていない。


・・・あぁ、胃が痛い。
これでは食欲も出ない。
食べなければいけないと解っているのだが。
夕ご飯を買いに行くのにも、食べに行くのにも、お店は閉まっている。
かといって自分で作る気力もない。
お風呂に入って、すぐに寝よう。
そんなことを考えながら、イヅルは人通りのない道を歩く。


『・・・イーヅールーくーん。』
ぼう、と半ば放心状態で歩いていると、そんな声が聞こえてきた。
あたりを見回して、歩を進めていた方向に視線を戻すと、暗闇の中から女の顔だけが浮かび上がっている。
「うわ!?」
思わず後ずさって、焦りながら彼女の体を探した。


『・・・あはは!お疲れ様、イヅル君。』
彼女の持つ明かりが顔から外されて、ぼんやりと彼女の体の輪郭が見えて、ほっとする。
それから顔に視線を戻せば、楽しげに笑う、見覚えのある顔。
檜佐木さんと同期で、一番隊で席次を頂いている女傑、漣咲夜先輩だった。


「咲夜先輩・・・?」
『ご名答。びっくりした?』
悪戯に笑う先輩に、なんだか力が抜ける。
「驚かさないでください・・・。」
『そんなに驚いた?ごめんね?』


「いや、それは、良いですけど・・・こんな時間に、何をしているんです?」
『ちょっと、ある方から依頼を受けまして。』
「依頼?」
『そう。「イヅル、顔色が悪いねんけど、いつまでも仕事してんねん。君から休むように言ってくれへん?」って。』
目を細くして、声真似をする先輩だが、全く似ていなくて、笑いそうになる。


『・・・どうせ似てませんよー。』
笑いを堪える僕に気付いたのか、先輩は拗ねたように唇を尖らせた。
その表情に、吹き出すように笑ってしまう。
久しぶりに声を上げて笑った気がした。


『そんなに笑わないでよ。・・・まぁ、でも、笑えるくらいには元気なのね。でもやっぱり顔色は悪いわ。ちゃんと食べてる?』
明かりを顔のあたりまで持ち上げて、咲夜先輩がまじまじと僕を見つめてくる。
「た、食べてます・・・。」
『・・・嘘。胃が痛くて、食欲もないんでしょ。だからそのまま寝ようとしていた。違う?』


「・・・。」
図星を吐かれて、返す言葉もない。
『やっぱり。・・・まぁ、いいわ。とりあえず、帰りましょ。』
先輩は呆れたようにそういって僕の腕を取って歩き出した。
「え、あの、先輩・・・?」


『なぁに?あ、遅いから帰れ、何て言わないでね。安心していいわ。私、明日は非番なの。市丸隊長ったら、それを解って私のところに来たのね。まったく、素直じゃない人なんだから。イヅル君のことが心配なら、自分で言えばいいのに。ついでに、イヅル君も明日は非番だからね。市丸隊長にお願いしたら、二つ返事で頷いてくれたのよ。』


・・・明日は、非番。
隊長が僕のことを心配・・・?
それで、えぇと、これから、咲夜先輩が、僕の部屋に来る・・・?
わざとなのか早口で話す先輩の言葉に、疲れ切った思考は処理能力が著しく低下する。
その間にも、腕を引かれて、あっという間に僕の部屋の前に到着した。
咲夜先輩は当然のように鍵を開けて、扉を開けて入っていく。


・・・・・・え、鍵!?
慌てて袖を探ると、そこにはちゃんと自室の鍵がある。
どういうことだと先輩の手の中を見れば、同じ形の鍵があった。
それを唖然と見ていると、先輩は首を傾げて、僕の視線の先を辿る。
そして得意げに笑った。


『ふふ。合鍵、借りて来ちゃった。一番隊の特権よねぇ。何かあった時のために、隊舎の合鍵が全部あるのだから。』
悪びれもなく言って、先輩は笑う。
それから再び唖然とした僕の腕を引いて部屋に引きいれると、扉を閉め、鍵をかけた。


色々と問題があると思うのは、僕だけなのだろうか・・・。
資料室や浴室と言った公共の場所はともかく、私室の鍵は、隊士の私生活に踏み入ることのないように厳重に保管されているはず。
当然、勝手に持ち出して使っていいはずがない。


「だ、大丈夫なんですか、それ・・・。」
『大丈夫よ。イヅル君が秘密にしてくれれば。それとも、嫌だった?』
「いや、咲夜先輩なら、いいですけど・・・。」
『そう。よかった。見つかったら総隊長から大目玉を喰らうもの。・・・ほら、ぼんやりしてないで、イヅル君はお風呂にでも入ってきなさい。』


「え、でも・・・。」
『いいから。ご飯食べて薬飲んだら眠くなるでしょうから、先に入ってきなさい。その間、ちょっと台所借りるわね。』
先輩はそういってさっさと台所に入ってしまう。


「せ、先輩!?」
『早くしないと、三番隊に行って、イヅル君の恥ずかしい話しちゃうんだから。』
「えぇ!?それは、駄目です!」
『なら、早く入ってきなさい。先輩命令よ。』


先輩命令と言われては、従うしかない。
院生時代から、咲夜先輩の先輩命令に逆らえたことなど、一度もないのだ。
「えっと、では、そうします。台所は、好きに使っていいので・・・。」
『そうさせてもらうわ。ほら、早くいく。』
「は、はい。」


風呂から上がって、浴衣を着る。
部屋に戻れば、ふわりといい香りがした。
先輩の姿が見えないので、台所を覗く。
丁度味見をしているようだった。


『ん。いい感じね。これでいいわ。・・・あら、イヅル君。上がったのね。』
「はい。あの、手伝います。」
『大丈夫よ。すぐに持って行くから、座って待っていて。』
そういって台所から追い出されて、仕方なくちゃぶ台の前に座った。


『はい、どうぞ、イヅル君。咲夜さん特製、野菜たっぷり豆乳雑炊です。』
目の前に置かれた土鍋の蓋が開けられて、ふわりと優しい香りが立ち上る。
『それから、卵焼き。こっちはお店のだけど。美味しいわよ。』
言いながら雑炊をお椀に取り分けて、差し出される。
それを受け取れば、先輩はにっこりと微笑んだ。


『さぁ、召し上がれ。食べられるだけ食べれば良いからね。』
「はい。頂きます。」
手を合わせて言ってから、匙を手に取って、雑炊を掬い上げる。
湯気の立つそれに息を吹きかけて冷ましてから、口の中に入れた。
豆乳と出汁の香りがふわりと鼻に抜けて、トロトロになった野菜の旨味が舌に広がる。


『どう?食べられそう?』
「・・・はい。美味しいです。」
『そう。よかった。』
僕の言葉に、先輩は嬉しげに笑う。
それを見ながら再び雑炊を口に運べば、優しい味がした。


「・・・ご馳走様でした。」
『ふふ。お粗末さまでした。結局、全部食べたわね。えらいわ。』
子どものように頭を撫でられるが、その手が気持ち良くて、満腹になったことも相まってか、瞼が重くなる。


『少し体温が高いのは、眠いからかしら。胃薬もちゃんと飲んでね。ほら、これ。』
「はい。」
差し出された薬と水を受け取って、口に含む。
呑みこんだことを確認した先輩は、再び僕の頭を撫でた。


『よくできました。・・・眠い?』
「はい・・・。」
『それじゃ、布団に入りなさい。片付けは私がやっておくから。』
「そのくらい、僕が・・・。」
『いいから。眠いときに寝た方が熟睡できるわ。ほらほら、布団に入る。』


寝室にしている部屋を見れば、そこにはすでに布団が敷いてあった。
腕を引かれて立つと、そのまま部屋を移動して、布団の中に入れられる。
掛け布団を掛けられれば、とろりとした睡魔がやって来た。
先輩を見上げれば、眠ってもいいというように頭を撫でられる。


「咲夜先輩。」
『なぁに?』
「ありがとう、ございます。でも、どうして、ここまで・・・?」
『イヅル君だからよ。・・・さぁ、もう、おやすみ、イヅル君。』
微笑む先輩を見て瞼を閉じれば、すとん、と眠りの中に落ちて行った。


『ふふ。可愛い。』
イヅルの寝顔を見ながら、咲夜は愛しげに彼の頬に触れる。
『好きよ、イヅル君。イヅル君じゃなかったら、ここまでしないんだから。早く気づいてね。』
そんな呟きを零して、咲夜はイヅルの寝顔を眺めているのだった。


翌日。
目が覚めた瞬間に、自分の体の調子の良さを感じる。
心も体も軽くなった気がして起きあがろうとすると、目の前に咲夜先輩の顔があって、目を見開く。
一晩僕の傍に居たのだと思うと、心が落ち着かなかった。


・・・起きよう。
これ以上見ていては失礼だろうと、イヅルは起きあがる。
咲夜の体を布団の上に移動させて布団を掛けた。
すやすやと眠る咲夜に小さく笑って、朝食は自分が用意しようと立ち上がる。


その後、朝食の用意を終えて咲夜を起こしに来たイヅルは、寝惚けた咲夜に抱きつかれて、硬直。
初めて感じた体温と、咲夜の香りに、イヅルの心臓が騒ぎ出して、慌てて咲夜から距離を取る。
それから、イヅルの落ち着かない日々が始まったのだった。



2016.07.20
吉良君に片思いしている咲夜さん。
市丸隊長はそれを知った上で、彼を彼女に任せたのだろうと思います。


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