Short
■ 足りなかったものA

今、彼女はどうしているのだろうか。
彼女との婚約が解消されてから、ひと月が経った。
邸に帰っても、彼女は、もう居ない。
そう思うと、仕事が終わっても邸に帰る気にならなかった。


彼女の声に答えていたら、何か、変わっていたのだろうか。
あの時、彼女が涙を流した時、引き留めればよかったのだろうか。
後悔ばかりが後に残って、隊主室に重苦しいため息が響く。


初めて彼女を見かけたのは、ある貴族の祝言の席だった。
夫婦となった二人を見て、小さく、本当に小さく微笑んでいた。
その穏やかな微笑に、心が惹かれた。
特段美しいわけでもなく、どちらかといえば目立たない。
家柄も突出しているわけでもなかった。
しかし、彼女の微笑を忘れることが出来なかった。


次に、街中で彼女を見かけた。
伴の者を一人連れて、小物を見ているようだった。
その彼女の目の前で子どもが盛大に転び、泣きだした。
すると彼女は迷わずにその子どもの傷に手拭いを当てて、ある程度止血してから、子どもの怪我を鬼道で治したようだった。


ろくに礼も言わずに駆け出して行った子どもを窘めようとした伴の者を止めて、彼女は構わないと微笑む。
見返りを求めない彼女が、好ましいと思った。
その後も何度か見かけた彼女は、いつも穏やかに微笑んでいた。


そして、見合いをしろと家臣に詰め寄られて、つい、彼女の名を出してしまったのだ。
これには自分でも驚いた。
だが、彼女の微笑を思い出すと心が穏やかになっていることに気がついて、彼女に思いを寄せていることを自覚した。


それからあっという間に彼女との見合いが行われて、彼女と私は婚約する。
婚約者になれば、彼女と心を通わせることが出来ると思っていた。
だが、彼女が私に微笑を見せることはなかった。


私を見る目に表情はなく、私に向ける声はいつも強張っていた。
それ故私は、彼女が力を抜くことが出来るようにと、彼女を真っ直ぐ見つめることはしなかった。
私が声を発すると彼女の体が固まることに気が付いたら、彼女の声に答えることも出来なくなってしまった。


何故、私には笑みを見せない。
そう思いつつも、彼女を問いただすことなど出来なかった。
彼女が見ているのは、私などではないのかもしれない。
そんな考えが浮かんできて、彼女の瞳を見ることさえ怖くなった。


それでも彼女の存在を感じたくて、仕事を早めに切り上げて邸に帰ったのだ。
しかし、帰ったら帰ったで、体も心も強張っている彼女を見て、心が重くなる。
それが解っているのに、彼女の姿を一目見なければ、落ち着かない。


日に日に彼女の声から力がなくなっていき、胸が痛む。
六か月経っても、彼女が私に慣れることはなかった。
むしろ、出来るだけ私と関わらないようにしているようだった。


恋情を抱いているのは、私だけなのか。
この婚約を望んでいるのは、私だけなのか。
そんな思いが私を苛んだ。
あの日、涙を零した彼女を見て、それに耐えられなくなった。
そして私は彼女に問うたのだ。


だが、彼女は何も言わなかった・・・。
帰りたいとも、帰りたくないとも、辛いとも、辛くないとも言わなかった。
ただ、涙を零して、私の方を見ようともしないで、顔を伏せていた。


白哉様のお望みのままに。
それだけしか言わなかった。
私が聞きたいのはそんなことではなかったのに。
私は、彼女の、彼女自身の声が聴きたかったのに。


私には何も聞かせてくれないのだ。
彼女の答えは、私の心を打ち砕いた。
だから、手放したのに。
「・・・何故、こんなにも、苦しいのだろうな。」
自嘲するように呟いて、小さく息を吐く。
先ほどからまったく進んでいない書類を片付けて、席を立った。


すでに夜は深い。
余計な仕事をひっぱり出してきて、何とか彼女を忘れようとした。
それ故、今隊舎に残っているのは私一人。
明かりを消して、外へ出る。
見上げた空は曇り空で、月の光すら見ることが出来なかった。



2016.03.10
Bに続きます。
なんだか暗い。


[ prev / next ]
top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -