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■ 燃ゆる思ひ

若葉が芽吹き、新芽が伸びゆく。
空は青く、太陽は燦々と輝き、清々しい風が吹き渡る。
色とりどりの花たちが、柔らかく、だが力強く、凛と咲き誇る。
その絵を見た瞬間、新緑の眩しさを感じ、太陽の光を浴びて、吹き渡る風が頬を撫でた気がした。


「・・・今日は此処か。」
彼女の姿を見つけて、小さく呟く。
白哉の視線の先には一人の女性。
漣咲夜という名の絵師である。
筆を取った彼女は、熱心に風景を写し取っていく。
風が吹いて、彼女の髪を揺らした。


集中している彼女には声をかけずに、近くの木陰へ座り込んで本を開く。
風に捲られそうになったページがぱたぱたと音を立てた。
それを押さえれば、ふわり、と彼女の香りが鼻腔をくすぐる。
しかし、彼女を見ても先ほどと変わらずに筆を滑らせている。
こちらが風下であるが故に、彼女の香りが流れて来たらしい。
そんな理由に気が付いて、白哉は本に視線を落としたのだった。


本に集中していた白哉だったが、視線を感じて顔を上げた。
いつの間にか彼女がこちらを向いていて、あの真剣な瞳でこちらを見ている。
『もう少しそのまま、本を読んでいてもらえますか?』
顔を上げた私に気が付いた彼女は、そう言いながら筆を滑らせている。


彼女の瞳を見て、大人しく本を読むことにした。
しかし、文字の上を視線が滑っていくだけで、内容が頭に入ってくることはない。
彼女のあの真剣な瞳をもっと見たいのだ。
そして、あの瞳が私に向けられていると思うと、落ち着かないのだ。
本を読むふりをしながらちらりと彼女に視線を移せば、彼女の瞳がこちらに向けられていて、小さな優越感が湧きあがる。


『・・・うん。出来ました。白哉様、楽になさってくださいな。』
暫くして、彼女はそういって筆をおく。
それを見て、本を閉じる。
彼女へ視線を向ければ、納得のいく出来だったらしくその表情は満足げだ。
彼女にそんな表情をさせる絵に、嫉妬のような感情が芽生え、内心で苦笑する。


初めは、彼女の描くものにしか興味がなかった。
それから、このような絵を描くことが出来る人物がどういう者なのか気になって、彼女に面会を申し込んだ。
朽木邸内の絵を描かせてくれるのならば、という条件付きで、彼女に直接会うことになった。


初めて彼女を見たときは、不思議な感覚だった。
あれほど生命力が溢れ、絵の中に引きこまれるような感覚をもたらすものを描くのが、これほど華奢な女なのか、と。
本当にあれを描いたのはこの女なのかと疑った。
しかし、それはすぐに覆されることになる。


筆を持った彼女は、別人だった。
華奢で、弱弱しい雰囲気だった彼女は、筆を持つと、凛と前を見据えて、何ものも見透かすような、そんな、大きな雰囲気を醸し出した。
彼女が絵を描く姿は、何か、それが当然のことだとさえ感じられるほど自然であった。


彼女の筆先が魔法のように色彩を生み、光と影を生み出していく。
その筆を持つその手は繊細で、襷掛けされた袖から覗く二の腕の白さが眩しかった。
薄い肩、風が吹いて髪の間から時折覗く項。
人形のように精巧な顔。


いつの間にか、私は彼女の絵だけでなく、彼女自身を見つめているのだった。
それに気づいた彼女は、不思議そうに私を見た。
そんな彼女にどぎまぎしながら、また絵を描く姿を見せては貰えぬだろうか、と問えば、どうぞお好きに、と、微笑を返される。
それから、彼女との交流が始まったのだ。


『白哉様。』
「なんだ?」
『今度、個展があるのはご存知でしょう?招待したら、来ていただけます?』
唐突に言われて、首を傾げる。
これまでも何度か彼女の個展に足を運んだが、彼女から招待されるなど、一度もなかったからだ。


「もちろんだ。そなたから招待されずとも、勝手に行くつもりだった。」
『あら、それは嬉しい。・・・それじゃあ、この絵は、決まりね。』
彼女は小さく呟いて、先ほどまで筆を滑らせていた絵を見つめる。
その瞳が柔らかくて、その絵を見てみたくなった。


「見てもよいか?」
『ふふ。これは駄目です。当日までのお楽しみということで。当日来てくださるのならば、必ず見ることが出来ますから、お待ちいただけると。ほぼ完成ではありますが、まだ未完成ですし。』
彼女にそう言われてしまえば、見ることは叶わない。
早々に諦めて、当日の楽しみにとっておくことにしたのだった。


それから一月ほど後。
白哉は咲夜の個展会場に足を運んでいた。
一枚一枚吟味をしながら会場を進んでいくと、一番奥に人が集まっているのが見える。
気になってそちらに足を向ければ、私に気付いた者が道を開けた。
見えた絵に、白哉は目を丸くする。


その絵には、木陰に座り込み読書をする男の姿。
顔は陰になっているが、その姿は、まぎれもなくひと月前のあの日の私の姿だった。
その絵の中にいる私は、揺らめく光に囲まれている。
光と影の明暗が絵に深みを持たせていた。


百之歌 第五十一番。
題を見れば、彼女の涼やかな字でそう書かれていた。
題の意味を掴むのに思考を巡らせる。
絵をよく見れば、光だと思っていたそれは、炎の形を成していた。
そして、思い当たった意味に目を見開く。


現世の歌、百人一首の第五十一番。
ーーかくとだに えやは伊吹のさしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひをーー


ーー恋い焦がれていることを貴方に伝えたいのだけれども、伝えられない。
貴方は知らないのでしょう。
伊吹山のさしも草のように燃えている私の心を。ーー


『白哉様。約束通り来てくださったのですね。お礼申し上げます。楽しんで頂けておりますでしょうか。』
後ろから声を掛けられてゆっくりと振り向けば、微笑む彼女がいた。
「・・・あぁ。」
頷けば彼女は嬉しげに笑った。


「百人一首の第五十一番歌、か。」
彼女を見てそう口にすれば、目が丸くなる。
『・・・流石は白哉様。現世の歌までご存知なのですね。』
少し拗ねたように、言い訳をするように言われて、口元が緩みそうになった。


「かくとだに えやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを。」
『まさか、諳んじておられるとは。流石に参りましたねぇ。』
「・・・この絵、私が譲り受けたい。」
『申し訳ありませんが、この絵は手放すには惜しい出来です。誰かに譲るつもりはございません。』


「・・・では、そなたごと貰おうか。」
そういって彼女を見つめれば、彼女は目を丸くした。
『ご冗談、ですよね・・・?』
「さぁな。」
『さぁな、って・・・。』


「その絵を売らないのならば、今日のところは引こう。ただ・・・。」
『ただ?』
「・・・その絵を私以外に売り渡すことは許さぬ。それだけは約束してもらおう。」
それだけ言って踵を返す。


『え、あ、はい!誰かに渡すことはしませんので、ご安心くださいね!・・・白哉様!本日は、お越しいただき、ありがとうございました!また、見にいらしてください!白哉様のご要望とあらば、いつでもお見せいたしますから!』
彼女に背を向けて歩を進めれば、背中にそんな声がかけられる。


彼女は、気付いているのだろうか。
私が、彼女のあの絵を欲しいと言った本当の意味に。
彼女の想いが込められた絵を欲するということは、彼女の想いが欲しいということ。
絵で気持ちを伝えてきた彼女への、意趣返しだ。


・・・伝わっていなくとも、問題はない。
彼女の気持ちがこちらに向いているというのなら、私も遠慮はしない。
宣言通り、彼女ごと貰ってやろう。
内心で呟けば、口元に笑みが浮かんだ。



2016.05.10
かくとだに えやは伊吹のさしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
藤原実方朝臣(『後拾遺集』)
百人一首の五十一番目の歌。
現代語訳は大雑把につけたものなので、興味のある方は自分で調べてください。
百人一首は、今も昔も同じ感情を持っている、ということが解る歌が多くて面白いなぁと思います。


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