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■ 足りなかったもの@

『行ってらっしゃいませ。』
いつも貴方は返事をせずに私に背を向ける。
そしてそのまま邸を出ていくのだ。
婚約してから半年。
すでにそれが毎日の恒例になっている。
『白哉様・・・。』
小さく名を呼んでみるが、貴方の背中はいつも遠い。
名前すら呼んでもらえていない。


朽木家のご当主様が咲夜姫をご指名だそうよ。
突然の申し出に、中流貴族である我が漣家は動揺した。
当然のことながら、この私も。
いつ知り合ったのだ、と、両親に詰め寄られたが、あの方のお顔を拝見したことが数回ある程度で、話しかけたことも、話しかけられたこともない。
朽木家に問い合わせてみてもご当主様のご指名だ、という答えしか返ってこなかった。
こちらが断ることなど出来るはずもなく、見合いが淡々と進められて、婚約が成立し、今に至る。


何故私なのだろう・・・。
そう思わずにはいられない。
愛だの恋だのに幻想を抱いているわけではない。
しかし、無視をされ続けるというのは堪えるものがある。
自分の存在理由を見失いそうになる。
せめて、名前を呼んでくれたなら。
そうしたら、私は私でいることが出来るのに。
名前を呼ぶこともされないのでは、どうすればいいのか解らない。


「・・・さま。・・・咲夜様。」
名を呼びながら揺り起こされて、いつの間にか自分が眠っていたことに気が付く。
瞼を開けると目の前には清家さんの顔があった。
「咲夜様。このような場所でお眠りになられては、風邪を召されます。」
そういった清家さんの表情からは、感情が窺がえない。
『・・・申し訳ありません。』
情けない声。
思ったより弱弱しい声に内心で自嘲した。


「・・・どこか、お体の調子でも悪いのですか?」
先ほどよりかは幾分穏やかな声で問われる。
『いえ。何でもありません。こんなところで眠るとは、朽木家当主の妻となる自覚が足りませんね。』
だから、白哉様は私を無視するのだろうか。
適当に指名したはいいが、私などでは妻にしたくないということだろうか。
それならそれで、婚約を破棄して欲しい。
何故、飼い殺しのような真似をされているのだろう。


「そんなことはございません。咲夜様は朽木家当主の妻としてのお仕事をすでに果たされておられます。我らは咲夜様に感謝しております。」
そういわれて、首を傾げる。
それを見て笑ったのか、清家さんの瞳が柔らかくなった気がした。
『私は、何も・・・。ただ、この邸に居るだけです。』
「それが重要なのでございます。咲夜様がこの邸に居る。それだけで良いのです。それが、白哉様の支えになるのですから。」


『・・・そんなはず、ありません。』
言いながら涙が込み上げてきて、それを隠すように俯く。
『白哉様は、一度だって、私の名を呼んではくださらない。私に答えてはくださらない。私を見てはくださらない・・・。白哉様のお心が解らないのです。白哉様は、何故、私などをお選びになられたのですか。白哉様ならば、私でなくても、お相手がいくらでもおられるのに・・・。』
俯いた瞳からぽたり、と、涙が零れ落ちた。


「・・・何をしている。」
静かな、低い声。
清家さんの声ではない。
そう思って顔を上げると、いつの間にか白哉様が目の前に立っていた。
『白哉、様・・・。』
「・・・清家。」
「はい。私はこれで失礼いたします。」
白哉様に名を呼ばれた清家さんは、一礼して去って行ってしまう。


それを一瞥した白哉様は私に視線を移す。
感情のない瞳が、私を見据えた。
『・・・お帰り、なさいませ、白哉様。』
その瞳を見るのが怖くて、そういって頭を下げる。
相変わらず返事はない。
だが、ずっと視線が向けられているようだった。
頭を上げることも出来なくて、床に涙が落ちる。


「・・・泣くほど、辛いか。」
静かすぎるその声に、小さく震える。
初めて、声を掛けられているのに。
初めて、視線を向けられているのに。
何も答えることが出来ない。
顔を上げて相手の顔を見ることすら、出来る気がしない。


「・・・家に、戻るか。」
それは、婚約破棄ということだろうか。
やはり私は、必要ないのだ。
期待などしていなかったはずなのに、現実を突きつけられて、胸が痛い。
その痛みを堪えて、声を絞り出す。


『・・・白哉様が、そうしろと、おっしゃるのならば。』
「では、私が残れといえば、残るのか。」
静かに問われて返答に詰まる。
『・・・白哉様のお望みのままに。』


「何故、兄は・・・。」
白哉様は何かを言いかけて、それから口を噤んだようだった。
しばらくの沈黙。
「・・・戻れ。此度の婚約は、白紙に戻す。漣家には私から伝えておこう。」
そう言い残して、白哉様は去っていく。
少し顔を上げて覗き見た彼の背中は、やはり遠かった。



2016.03.10
Aに続きます。


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