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■ 梅香

夜の散歩中、ふと、梅の香りがした気がして、白哉は立ち止まって顔を上げた。
しかし、見上げた先には闇の中に月が浮かんでいるばかり。
あたりを見ても梅の木は見当たらない。
気のせいだったか、と、白哉は再び歩を進める。


季節は春。
といっても暦の上では春、ということであって、未だ寒さは厳しい。
空気の冷たさが身に染みる。
しかし、その張りつめたような空気が、白哉は好きだった。


散歩に出てきてからすでに一刻ほど経過している。
そろそろ帰らねば。
そう思いつつも白哉の足は邸から遠のく。
帰りたくないわけではない。
ただ、この時期は、どこか落ち着かないのだ。
また何か、大切なものを失いそうで。
緋真を失った時のように。


『・・・朽木隊長?』
ぼんやりと歩いていた白哉の前に、突然見慣れた顔が現れる。
「漣。」
足を止めて、白哉は彼女の顔を見つめた。
『奇遇ですねぇ。朽木隊長もお散歩ですか?』
彼女は楽しげに、ふわりと微笑む。


春を連れてきたような微笑だが、彼女は六番隊の第三席。
他隊から引き抜きの誘いが絶えない女傑である。
その上、上流貴族漣家の姫なのだ。
故に、彼女とは死神になる前から面識があった。
とはいっても関わるようになったのは死神になってからだが。


「・・・漣家の姫がこんな時間に伴もつけずに出歩くな。」
『その言葉、朽木隊長にお返しいたします。』
窘めても彼女は気にしないらしい。
この私にそのような口をきくことが出来るのは漣くらいだろうな。
白哉は内心で呟く。
しかし、そんな彼女のことを煩わしいと思ったことはない。
彼女の凛とした声がそうさせているのだろう。


「私はいいのだ。」
『隊長がいいなら、私もいいのです。』
何の危機感もない彼女に、白哉はため息をつく。
『あら、お疲れですか?』
何を頓狂なことを言っておるのだ、この女は。
白哉は顔を覗き込んできた部下に今度は内心でため息をついた。
「・・・送ろう。」
『へ?』
「送る、と言って居るのだ。・・・帰るぞ。」
彼女の答えを聞くことなく、白哉は踵を返す。


『え?ちょ、朽木隊長!?待ってください!送って頂くなんて、恐れ多い・・・。』
言いながらも漣は私の後を追いかけてくる。
『むしろ、隊長の方が疲れておられるのですから、私が隊長をお送りいたします!』


「・・・疲れてなど居らぬ。大人しく家に帰れ。」
『駄目です!隊長が先です!』
白哉はその言葉を黙殺する。
『聞いておられるのですか!?』
「聞かぬ。」
『聞かぬって・・・。』
呆れたように言われて、白哉はちらりと視線を送る。


『な、なんですか・・・?』
真っ直ぐにこちらを見るくせに、その瞳はどこか挙動不審だ。
私が怖いのならば、そのような口をきかなければよいものを。
『・・・だって、朽木隊長は、隊長で、朽木家当主で、いつお休みになられているのかわからないくらいお忙しいから・・・。』
言い訳をするように言った彼女に、白哉は小さくため息をつく。


「・・・兄を送り届けたら私も帰る。兄が素直に送られなければ、私の帰りが遅くなるのだ。」
『・・・はい。では、お言葉に甘えます。』
こちらに折れる気がないことを悟ったのか、彼女は申し訳なさそうにしながらも頷いた。


『・・・あ!隊長!梅の花が咲いておりますよ!』
暫く無言で歩いていたが、そんな声が聞こえてきて白哉は足を止める。
『ほら、あそこです。あの屋根の上。』
彼女が指差した方に視線を向けると、そこには梅の花が一輪。
白い花が暗闇によく映える。
その花を見て思い出すのは、当然のように緋真のことである。


『朽木隊長。』
呼ばれて白哉は視線を咲夜に向ける。
『春は、すぐそこですよ。』
彼女はそういって微笑む。
その微笑に白哉は内心で苦笑した。


すべて、見抜かれているのだ。
私が緋真を思い出していることも、この時期が未だ苦手であることも。
彼女は、少なくとも死神となってからは、ずっと、私の後ろに控えていたのだから。
付かず離れずの、程よい距離感で。


何故だか、彼女は私のことをよく解っていた。
彼女に人知れず救われたこともある。
いつも当たり前のように、彼女は私の一歩後ろにいた。
そこまで考えて、白哉は内心で首を傾げる。


・・・当たり前のように?
そんなはずはない。
両親を失い、緋真を失って、私は、当たり前などないのだと、己を戒めた。
そして、他者に一線を引いていたのだ。


では、私は何故、当たり前だなどと思ったのだ・・・?
『朽木隊長?どうかなさいましたか?』
沈黙した私を見上げて、彼女は首を傾げる。
そんな彼女に、不覚にも胸がざわめいた。


白哉はそのざわめきに覚えがあった。
かつて、緋真を愛したときに感じていたものと同じだ。
それに気付いてしまえば、心が納得してしまった。
彼女はすでに、私の心の中に入り込んでいるのだ。
当たり前のように。


「・・・何でもない。行くぞ。」
白哉はそれを隠すように、再び歩を進め始める。
『え!?朽木隊長!?』
「早くしろ。」
『ま、待ってください、朽木隊長!』


彼女が慌てて追いかけてくることを感じて、白哉は小さく笑みを零す。
まさか、私にも春がやって来ようとは。
毎年梅の花は私に切なさをもたらした。
だが、もう、私は・・・。


白哉は内心で呟いて、夜空を見上げる。
それでも良いか、緋真。
そう問うた時、梅の香りが強くなった気がした。
それが緋真からの返事のようで、白哉は前を向く。


春は、すぐそこ。
花が咲き、鳥が歌い、心は弾む。
そんな季節がやってくる。



2016.03.07
もうすぐ春ですね。
個人的に、春は苦手です。
ざわざわして落ち着かないので。


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