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■ 烏羽色の姫

『・・・この私を妻にしたいのならば、私よりも強くなってから出直してきてください。』
そんな言葉と共に彼女はふわりと微笑む。
その表情だけを見たのならば、今さっき目の前の男を容易く地面に転がしたなどとは夢にも思わないだろう。


艶やかな黒髪は一つに結い上げられ、烏羽色の髪紐が時折ちらりと虹色の光を放つ。
優雅な所作、華奢な体つき。
一見吹けば飛ぶような儚さだが、先ほどの剣技は白哉が見惚れるほど美しかった。
思わず足を止めて眺めてしまう程に。


『・・・朽木隊長?十一番隊にご用でしょうか?』
此方に気付いた彼女は何事もなかったように問うてくる。
「あぁ・・・。」
先を続けない私に首を傾げた彼女は、此方の視線を辿って苦笑を漏らした。


『お見苦しいところをお見せしてしまいました。申し訳ございません。』
頭を下げる彼女をまじまじと見つめても、先ほどの剣技に必要な膂力が一体どこにあるのかと疑問に思うほど。
死覇装を身に纏っていても、戦いや争いなどから程遠い所にいる貴族の姫にしか見えない。


「いや、私の方こそ済まぬ。間が悪い時に来てしまったようだな。」
『何時ものことですので、お気になさらず。して、何用でございましょう?生憎と五席以上の者たちは出払っておりまして、現在は第六席である私、漣咲夜がご用件をお預かりさせていただいているのですが。』


「そうか。では、これを更木に。といっても、あれが書類整理などするとは思えぬが。」
『この書類ならば私でも処理できますが、お急ぎですか?15分程お待ちいただけるならばすぐにお渡しできますが。』
ちらりと見ただけで彼女は何の書類か理解したらしい。


「隊長の書類を六席が熟すのか。」
『ええ。十一番隊の上位席官はああいう方々ですので・・・。』
少しだけ眉尻を下げて、彼女はおっとりと言う。
その姿はやはり、何処からどう見ても貴族の姫君だ。


「そうだな。あれが仕事をするのを待っていたところでいつになることやら。そなたに任せる。待たせてもらおう。」
『では此方へ。お茶をご用意します。・・・そういう訳で仕事が入りましたので、貴方も仕事にお戻りくださいね。』


私に見せた笑みと、転がっていた男に見せた笑みに違いはないように見える。
おっとりした口調も相変わらず。
しかしながら、彼女の気配が少しだけ剣呑になったから、流石に思うところがあるらしい。


執務室に通されて、椅子を勧められる。
閑散とした執務室に居た隊士に茶を用意するように伝えて、彼女は筆を執った。
淀みなく筆を滑らせる様を眺めていれば、隊士が緊張した様子で茶を運んでくる。
指先に墨が飛んでいるところを見ると、十一番隊の書類整理要員なのだろう。


『なんのおもてなしも出来ず申し訳ありません。』
「構わぬ。急に訪ねたのは私のほうだ。」
『とんでもございません。直接私が受け取ることが出来てようございました。他の者に預けると、私に書類が回ってこないこともありますので。』


「苦労するな。」
彼女の言葉に苦笑を漏らせば、彼女もまた苦笑する。
『他の隊にご迷惑を掛けていることは分かっているのですが。それもまた十一番隊の隊風といいますか。』


「お蔭でそなたのような優秀な人材が育つという訳か。良いのか悪いのか考えものだな。」
『六番隊の席官と比べれば、私など大したことはございません。幸か不幸か隊長の書類を処理する機会があるというだけで。』


「・・・ひとつ、聞いても良いか?」
茶を啜って言えば、彼女は顔を上げる。
『何でしょう?』
首を傾げた彼女の髪紐が、光を反射して虹色に光った。


「漣家の姫が、何故十一番隊に?」
上流貴族漣家の姫君である彼女の噂は、何度か耳にしたことがある。
深窓の姫君が野蛮な十一番隊に配属されて可哀そうだ、と。
だが、先ほどの腕前を見る限り、ただの姫君という訳でもあるまい。


『そうですねぇ・・・』
そういう話かと言わんばかりに、彼女は視線を書類に戻す。
一瞬だけ考え込んで、くすりと笑った。
その様子に首を傾げていると、彼女は口を開く。


『簡単に言えば、家への反抗でしょうか。弟たちは剣の稽古をつけてもらえるのに、私は剣を持つことすら許されなくて。理由を聞けば「女だから」と言われて、性別だけで人生を左右されては堪らない、と。そんな時、現世に行った折に浦原様と四楓院様に出会いまして。今だからこそお話し出来ることですが、そこでご指導いただくことに。』


なるほど。
あれらに斬拳走鬼を仕込まれたのならば、先ほどの動きにも納得がいく。
認めたくはないが、夜一の瞬神という呼び名は伊達ではない。
浦原喜助に至ってはその実力は底知れぬ。


「・・・あれらは意地が悪い。そなたも苦労しただろう。」
私の言葉に彼女は苦笑を漏らす。
『時折、朽木隊長のお話もされておりました。』
有ること無いことをべらべらと話していたことが予想出来てため息を吐いた。


『ふふ。話半分で聞いておりましたので、そう心配されずとも。』
「ならばよいのだが。」
『というよりも、正直、あの方々の冗談にまで付き合う体力がなかったのですが。』
少しだけ遠い目をした彼女は、あれらに随分仕込まれたのだろう。


「その華奢な身体であれ程の剣技とはな。」
『先ほどは、お恥ずかしいところを見せてしまいまして・・・。』
「構わぬ。・・・思わず足を止める程に美しかった。」
蝶が舞うように優美で、けれど、無慈悲なほどに迷いがなかった。


「・・・十一番隊に愛想を尽かしたときは六番隊に来い。いつでも受け入れよう。」
『朽木隊長にそう仰っていただけるとは、光栄にございます。ですが・・・私は、この十一番隊が気楽なのです。』
「そうか。ならば気長に待とう。果報は寝て待てというからな。」


『ふふふ。本当に、勿体ないお言葉です。・・・と、これで良し。書類が出来上がりました。確認をお願いいたします。』
筆を置いて立ち上がって、彼女はこちらに向かってくる。
目の前に差し出された書類を確認すれば、不備など見当たらなかった。


「仕事が早いな。話しながらだったというのに不備もない。」
『それはようございました。また書類がありましたらお申しつけください。ご連絡いただければ取りに伺います。』
「私とて、机に向かっているだけでは気が滅入る。どうしても手が空かぬ時は頼むやもしれぬが。」


『ならばお待ちしております。次はお茶だけでなくお茶菓子もご用意しておきますね。』
悪戯に笑った彼女は、少しだけ幼い表情になる。
「甘味は好かぬ故、それ以外のものにしてくれ。」
こちらも悪戯に言えば彼女はまた笑った。


『存じております。甘味を口に放り込むと嫌な顔をされたと夜一様が。』
「あれは何度止めろと言っても聞かなかったからな。」
『私も良く放り込まれました。もっと食べろと。』
「あれが大食いなのだ。一緒にされては敵わぬ。」


茶を飲み干して立ち上がれば、目の前に居る彼女はやはり小さくて、華奢だ。
ルキアよりは背が高いだろうか、などと余計なことを考えて内心苦笑する。
もう少し話していても良いが、彼女のほうが忙しかろうと退散することにした。
戻ることを伝えれば彼女は見送りを申し出たが、それはやんわりと制して。


「そのうちまた来る。先ほどはああ言ったが、気を回す必要はない。そなたも私の相手だけをしている訳にもいかぬだろうからな。」
『お気遣いありがとうございます。』
「ではこれで失礼する。」


執務室を出て、隊舎の出口を目指す。
・・・あれが漣家の咲夜姫か。
会話をするのは初めてだったが、中々興味深い女人である。
あの化け猫が有ること無いこと吹き込んでいる様子なのは気に入らぬが。


次に会ったときにはあの化け猫をどうしてくれようか・・・。
白哉の思考は、咲夜のことから夜一への仕返しの方法へと流れていく。
だが、白哉はまだ知らない。
その心の中に、新しい何かが芽生えたことを。



2021.01.11
息抜きがてら書類を届けに来た白哉さん。
そこで遭遇した咲夜さんに興味津々なご様子。
続編があるような無いような。

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