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■ 愛する故に

かたん、と音がして、するりと窓から何者かが入り込んできた。
そのまま壁に寄りかかって、こんこん、と壁をノックするのはいつものこと。
またか。
そう思いながら筆を滑らせていた手を止めて、入り込んできた者に視線を向けるのもいつものこと。


「・・・何用だ。」
そう問えば、彼女・・・漣咲夜は片膝をついて首を垂れる。
高いところで一つに結ばれた長い黒髪がさらり、と揺れた。
流れるような所作。
これも、いつものこと。


『お仕事中のところ申し訳ございません。白哉様にご確認して頂きたい書類がございます。』
恭しく差し出された書類を受け取って、ちらりと中身を確認する。
「・・・またか。」
見合い。
その文字が目について、つい、ため息が漏れた。


『お好きな姫のお名前を教えていただければ、すぐにでも婚約を取り付けるとのことです。家臣一同、朽木の血が絶えるのではないかと危惧しております。』
片膝をついたまま見上げてくる彼女もまた、それを危惧しているようだった。
その瞳は切実だ。


彼女は朽木家の縁者である。
親族に数えられることはないが、朽木家の血を引いている者であることは確かで、その優秀さから朽木家の領地の一部を管理しているほど。
朽木家の臣下のような顔をしているが、正真正銘貴族で、漣家の長女。
家を継いだ弟の邪魔にならぬように、と、漣家を出て朽木家に仕えている。


それ故、彼女は私を主として扱う。
彼女の瞳には、他人を従える者と他人に従う者、という関係しか映っていない。
だから私にそんな瞳で見合い話を持ってくることが出来るのだ。
彼女は私をただの主として見ているだけ。
そう思って、少し息苦しくなる。


「・・・そのうち考える。」
小さく呟けば、彼女は残念そうに目を伏せた。
『そのうちとは・・・そのうちとは、いつなのでございましょう。緋真様が亡くなられてから五十余年。ルキア様には真実をお話しになり、今では本物の兄妹のようにございます。それなのに、まだ、白哉様のお心はあの時から進んでは居られないのですか。』


悲しげな、気遣うような言葉。
しかし、言葉の端々から、責められていることを感じる。
伏せられていた目が再びこちらを向いて、その瞳にさらに息苦しくなった。
そこには、私自身を見る瞳はなく、ただ、朽木家の存続だけを見据える瞳しかない。


「・・・それほど朽木家が大切か。」
思わず出た言葉は、自嘲めいていて、酷く冷たかった。
その声に震えた彼女を見て、己の立場が憎くなる。
孤独だ。
そう思わずにはいられない。


「私は、ただ朽木家を繋ぐだけの存在か。適当に妻を娶って、子を為せばいいか。」
彼女に当たっても仕方ないのに、滑り出てくる言葉は刃のように冷たかった。
『申し訳、ございません。』
震えながら頭を下げた彼女に、苛立ちが募る。


誰でもいいというのならば、咲夜がいい。
私がそう言葉にすれば、彼女は手に入るのだろうか。
苛立ちが理性を奪っていった。
「それほど子が欲しいのならば・・・兄が産めばよかろう。」
そういうと同時に、体が動いた。


『え・・・?・・・きゃ!!』
彼女を押し倒し、手首をまとめて、床に縫いとめる。
状況が理解できていない様子に、思わず力が入った。
彼女の顔が少し歪められる。
その顔を見たくなくて、彼女の首筋に顔を埋めた。
唇で彼女の首筋をなぞると、彼女の体が大きく震える。


『・・・びゃく、や、様。どうか、お赦し、を。』
私が何をしようとしているのか気が付いたのだろう。
震えた声は、彼女が私に恐怖していることを物語っていた。
何故、私を恐れる。
そう思う半面、当たり前だ、とも思う。


『いや。白哉様、やめて、ください。どうか、どうか・・・。』
懇願する彼女の声に同情するも、その声に妙な快感が奔る。
それはおそらく、背徳感。
そして、征服感。


「子を為せば、いいのだろう?貴族の姫ならば、相手は誰でもいいのだろう?」
言いながら彼女の首筋に吸い付けば、私のものという紅い印が浮かび上がる。
「・・・ならば、兄でもよかろう。」
首筋を伝って、彼女の耳元でささやく。
息を呑んだ気配がした。


しん、とした沈黙が落ちる。
彼女の口から拒絶の言葉が出る前に、彼女の口を塞いでしまおうと首筋から顔を上げたとき、私は即座に後悔した。
彼女は、音もなく泣いていた。
泣きながらも、私を拒絶しそうになる体を、必死で抑えていたのだった。


何故・・・。
彼女の姿に、力が抜ける。
驚くほど心が冷えて、体まで冷たくなったようだった。
彼女の上から退いて、近くの壁に背中を預ける。
立ち上がることは出来なさそうだった。
解放された彼女は、自分を抱くようにして小さくなって、それを見たくなくて、俯いた。


「・・・それほど、朽木家が大事か。」
己の身を差し出すほどに。
逃げ出そうとする体を必死で抑えてまで。
兄が見ているのは、それだけなのか。
私は、それだけの存在なのか。


『・・・も、うしわけ、あり、ません。』
絞り出すような声が、小さく響く。
「・・・私は、朽木家の当主でしかないのか。」
『もうしわけ、ありません。』
「何故謝る。」
『・・・もうしわけ、ありません。』


ただ謝るだけの彼女に、己の罪を認識する。
それしか言えぬのだ。
私が恐ろしいが故に。
自業自得、か・・・。
内心で自嘲する。


「・・・帰れ。」
短い声は、小さく震えた。
私の声が聞こえたのか、彼女は何とかして体を起こし、私に視線を向けた。
それに気が付いて、私も何とか顔を上げる。
目が合うと、その瞳が大きく見開かれた。


『なぜ・・・何故、泣いておられるのですか・・・。』
言われて初めて気が付く。
涙が頬を伝っている。
頬を伝う温かさが、切ない。
顔を隠すように、再び俯いた。


「帰ってくれ。」
『白哉さま・・・。』
彼女が近寄ってくる気配がする。
「帰れと言っているだろう!」
鋭く言っても、彼女は近づいてくるようだった。
『白哉様。』


「・・・それ以上、近づくな。頼む・・・。」
懇願するも、彼女は手を伸ばせば触れる距離まで近づいてきた。
恐る恐る伸ばされた手が、私の肩に触れた。
情けなくもびくり、と肩が震える。
「私に、触れるな。」
そう言いながらも、彼女の手を払いのけることは出来ない。


『白哉様。私は、平気です。そんなにご自分を責めないでください。』
柔らかな声とともに、震えながら、私にもう一方の手を伸ばして、抱きしめてくる。
『申し訳ありません、白哉様。お辛い思いを、させてしまいました。白哉様は、朽木家を繋ぐためだけの存在などではないというのに・・・。』


彼女の温もりに、涙が零れ落ちる。
「・・・済まぬ。」
『いいえ。白哉様は何も悪くなどありません。』
「私は、兄が、いいのだ。・・・愛して、いる。」


『白哉様・・・。』
「その、兄に、誰か妻を娶れと、言われるのは、辛い。誰でもいいと言いながら、兄を選んでも兄の心は手に入ることはない。ならば、誰でもいいなどと、言うな・・・。このように、簡単に私に触れたりするな。兄は、私を、ただの当主としか、思ってはおらぬのだろう。」


『白哉様。』
「早く、私を、離せ。」
『白哉様。』
「早く、帰ってくれ。」
『白哉様。』
「私から、離れて行ってくれ・・・。顔も見せるな。」


『・・・ふふ。そんなに縋りつきながら言われても、その言葉を信じることなどできません。これでは、私から離れることなど出来ませんよ。』
気が付けば、彼女をかき抱くようにきつく抱きしめて、彼女の着物を掴んでいた。
『白哉様。』
「・・・なんだ。」


『先ほどのお言葉は、本当ですか?白哉様は、私が、必要ですか。』
「・・・あぁ。」
『私の心が、欲しいですか。』
「あぁ。」
『では、いくらでも差し上げます。』


笑った気配がして、何故、と、今日何度目かの問いをする。
嬉しい半面、信じられなかったのだ。
しかし、それすらも分かっている、とでもいうように、彼女は私の背を撫でた。
あやすように、優しく。


『・・・ずっと、ずっと緋真様が羨ましかった。死して尚、白哉様に愛されている緋真様が。白哉様が選んだのだから、それは素晴らしい女性だったのでしょう。ルキア様のお姉さまと言われれば、そう、思いました。そう思う半面、もう、白哉様を縛るのはやめてくれと、思いました。・・・私の僻みですが。』


「・・・そのくせ、兄は、いつも私に見合い話を持ってきた。」
不満げに言えば、彼女は小さく笑った。
『えぇ。それが私の仕事でもありますから。でも、本当は、いつも、今度こそ白哉様が頷かれるのでは、と、内心で冷や冷やしておりました。もし、白哉様が頷いたら。そうしたら、私は朽木家を去ろうと決めていました。』


「ならぬぞ。」
彼女は、私にとっても、朽木家にとっても、必要な存在なのだ。
そんなことはさせないと、彼女をさらに抱きしめる。
『ふふ。そのようにされては、去ることも出来ません。』
「何を笑っておるのだ。」


『そう不満げにおっしゃらないでくださいませ。・・・ただ、嬉しくて。白哉様のことがずっと心配だったのです。白哉様のお心が晴れることなどないのかもしれないと思うと、私でなくとも構わないから、誰か、白哉様のお傍に、と。このままでは白哉様が壊れてしまうのではないかと、ずっと、不安でした。』


彼女の声が震えていた。
彼女から見た私は、それほど、弱っていたのだ。
ここ数年は、特にそうだったのだろう。
ルキアの件の時など、相当酷かった自覚がある。
自覚しているだけでも酷い部分がたくさんあるのだから、彼女は、きっと、私の無自覚な部分まで見ていたのだろう。


『白哉様。』
「・・・なんだ。」
『本当に、私などでよろしいのですか。』
不安げな声が、愛おしい。
「私は、咲夜がいい。愛しているのだ。理性が体を止められぬほどに。」


『・・・っ。』
彼女の息が詰まって、それから嗚咽が聞こえてくる。
私の羽織を握りしめているのが解った。
小さく震える体を宥めるようにその背を撫でた。


『う、びゃ、びゃくやさま。わた、わたしも、びゃくや、さまを、お慕い、して、おりました。』
「そうか。」
『それ、なのに、びゃくやさまが、あんなことを、するから・・・。』
「・・・済まぬ。」
『でも、びゃくやさまの、方が、苦し、そうで。わ、わたしは、どうしたら、いいのかと・・・。』


「済まぬ。怖い思いをさせた。」
『あ、あやまらないで、ください。わたしが、いけませんでした。白哉様の、お心も考えず、白哉様に、見合いを、押し付けて・・・。申し訳、ありません。白哉様を、傷付け、ました。』
泣きながら言って、縋りついてくる彼女に、小さく笑った。


彼女は、これほど、私を想ってくれていたのだ。
私を想うが故の、あの態度だったのだ。
自分でなくともいいと、身を引く覚悟をしながらも、私の傍に居た。
私が彼女を傷つけても、私の心配ばかり。
私は、彼女に愛されている。


「・・・愛している。緋真を愛していたのは事実だが、あれは、過去のこと。今でも思い出すことはある。だが、それだけだ。緋真は、死んだ。今の私は、兄を・・・咲夜を愛している。私と、一緒になってはくれないだろうか。私とともに、歩んではくれないだろうか。朽木家に入るということは、兄にも大きな負担となろう。だが、私は、それでも、咲夜が、いい。」


『・・・私も、白哉様が、いいです。だから、どこへなりとも行きましょう。白哉様が傍に居られるのならば、私は、どんな道でも共に歩みます。』
「私の、妻になれ、咲夜。」
『はい、白哉様。』
そう頷いた気配がして、彼女の全てが温かくて、この温もりを、大切にしようと、思った。



2016.03.23
実は両想い。
互いに不安で、臆病になっていて、言葉にも態度にも表すことが出来なかっただけ。
離れろと言いながら咲夜さんを抱きしめて離さない白哉さんが思い浮かびました。


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