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■ 目覚める春

ひとつ、ふたつと、花開く気配がする。
温い緩やかな風がその香りを運んでくる。
澄んだ青空を遊ぶように飛び回る小鳥の声が聞こえてくる。
それらに誘われるように瞼を開ければ、そこには春があった。


『・・・どう、して・・・?』
温もりを感じる肌。
香りを感じ取る鼻。
鳥の声を拾う耳。


何故私はまだ生きているの。
どうして、私の感覚の全てが、戻ってきているの。
何故、あの人の気配が、近くにあるの。
これ程までに、世界が鮮明なのは、どうしてなの。


私は、虚の毒に全てを奪われて、それで、全てを塞ぎこんで、そのまま死んでいくはずだったのに。
それなのに、どうして、私の心臓は、まだ脈打っているのだろう。
この瞳も、鼻も、耳も、肌も、どうして、感覚を取り戻しているの。


「・・・あ!目が覚めたんですね!よかった!」
覗き込んできた顔は、知らない顔だった。
見慣れない服を着た栗色の髪の女性は、嬉しげに笑っている。
その隣では、あの人の義妹が泣きそうにこちらを見下ろしていた。


「咲夜、殿・・・。」
せり上がってきた涙が、その瞳を一杯にする。
『ル、キア・・・?』
「咲夜殿・・・!!目覚めなかったら、どうしようかと・・・すぐに、兄様を呼んで参ります!」


『一体、何が・・・?』
この状況の理由を聞きたかったのだが、駆けだしていったルキアを止める術はなく。
説明をして欲しいと助けを求めるように栗色の女性を見つめる。
そんな私に気付いた彼女は、本当に良かった、ともう一度呟いた。


『貴女、は?』
「申し遅れました!あたしは、井上織姫。朽木さんの友達です!朽木さんがね、教えてくれたの、貴女のこと。白哉さんの大切な人だ、って。それで、試しに、あたしの力を使ってみてくれないかって。毒が全身に回っていたみたいで、少し時間が掛かっちゃったんですけど。」


照れくさそうに話す少女は、死神の気配がしない。
それに、井上織姫といえば十数年前に旅禍としてやって来たうちの一人ではなかったか。
不思議な気配のする髪留めに気付けば、それがきらりと光りを放った気がする。
初めて会ったはずなのに、どこか安心するのは、何故なのだろう。


「あ!白哉さんが来るみたい!それじゃあ、お邪魔虫は消えますね!白哉さん、すっごく心配してたんですよ。あたしと朽木さんも、また後でお見舞いに来ます!卯ノ花さんたちにも、知らせてあげないと!」
彼女はそう言って、病室を出ていく。


「・・・咲夜・・・?」
入れ替わるように姿を見せたのは、朽木隊長だった。
信じられないものを見ているような表情だったが、その顔が徐々に歪んでいく。
自分はこの人をこれ程までに傷付けてしまったのだと、酷く、後悔する。


『朽木、隊長?』
「莫迦者・・・。この私を、一年も待たせるのは、お前くらいだぞ・・・。」
そう言って恐る恐る私の頬に伸びてきた手は、微かに震えているようだった。
触れた温もりがじわりと広がって、胸に沁みる。


「この温もりが、いつ消えてしまうのかと、私は・・・。」
恐ろしかった、と声にならないくらい小さな声で呟いて、彼は私を見つめる。
「井上織姫に治療をさせていると聞いた時、私は、期待してしまった。お前が、目覚めるのではないかと。その期待がいつ裏切られるのかと、心穏やかではいられなかった。」


『隊長・・・。』
「何度も、諦めようとした。何もせずに死なせるほうがお前にとって良いのかもしれないと、何度も思った。だが・・・忘れられなかった。お前と過ごした日々も、お前への想いも。何一つ。」


私だって、忘れられなかった。
貴方と過ごした日々を。
貴方への想いも。
だからこそ、私は、貴方を遠ざけたのに。


「・・・愛している、咲夜。私の傍に居ろ。私に、大切な者を二度と失わせてくれるな。お前は私の言葉を何度も遮ったが、それがどれほど、私の心を抉ったか。私が大切ならば、私の傍に居ろ。私のためだなどと言って、私の傍から離れてくれるな。」
懇願するような声に、涙が溢れ出てくる。


『ご、めん、なさい。ごめんなさい、朽木隊長。わたし、わたしは、ずっと、貴方のことを・・・お慕いして、おりました・・・。ずっと、ずっと・・・。』
ずっと、貴方が好きだった。
本当はずっと、貴方の傍に居たかった。


「素直になるのが遅いのだ、莫迦者。」
こつん、と重ねられた額に小さく笑えば、拗ねた瞳がこちらを見下ろしてくる。
「二度と、私を遠ざけてくれるなよ。」
『はい。朽木隊長。』


「名前で呼べ、莫迦者。」
『・・・愛しております、白哉様。』
溢れる想いを伝えれば、彼は愛しげに私を見つめて。
それから、私もだ、と彼の唇が私のそれに重ねられる。


「愛している、咲夜。」
微笑む白哉様は、ふわりと私を抱きしめる。
その温もりを感じることが出来るとは、何と幸せなことなのだろう。
この幸せを知ることなく死に行こうとした己は、何と愚かだったのだろう。


『・・・ふふ。ねぇ、白哉様。外の景色を、見せてくださいませんか。』
私の言葉を聞いた白哉様は、一度私から離れるとそっと体を起き上がらせてくれる。
そのまま抱き上げられて、窓の傍に連れて行ってくれた。
上手く動かぬ己の身体に苦笑しながら、白哉様にその身を預ける。


青い空に映える桜の花。
飛び回る鳥たちの声。
頬を撫でる暖かな風。
そして傍には、求めてやまなかった愛しい人。


『・・・春、なのですね。』
最後に見たあの時の景色と違って見えるのは、季節が違うだけではない。
私の心が、白哉様によって彩られたのだ。
世界が、これ程までに美しいものだったとは。


『こんなに美しい世界を、私は、捨てようとしていたのですね。』
「動けるようになったら覚悟をしておけ。この私の心を奪っておきながら一人で死のうとするなど許さぬぞ。罰として、一生私の傍に居ろ。二度と、一人になろうなどと思うなよ。」


『はい。二度と、そのような愚かなことはいたしません。私は一生、白哉様のお傍に。』
「当然だ、莫迦者。」
言葉とは裏腹な優しい声に涙が出てきて、視界が滲む。
この美しい世界と、愛しい人の温もりを二度と手放すまいと、心の中で誓うのだった。



2018.04.02
眠り続ける咲夜さんが目覚める日をずっと待っていた白哉さん。
白哉さんは大切な人のためならば何年でも待ちそうだなぁ。
時間軸的には原作完結後のお話です。


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