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■ 金木犀

『・・・まったく、毎回同じことをしてよく飽きないものだわ。』
溜め息を吐きながら勝手知ったるというような足取りで朽木邸の庭を進むのは、上流貴族漣家の姫、漣咲夜である。
彼女は朽木家主催の秋の茶会から抜け出して、お気に入りの東屋を目指しているのだった。


幼馴染だからといって、いい気になっているのが悪いのよ。
私のことを敵視しているらしいある上流貴族の姫は、墨汁に汚れた私の着物を見てそう言い放った。
もっとも、その墨汁を取り出したのは彼女自身だったのだけれど。


『結構気に入っていたものだったのに・・・もう着られないわね。』
今日の装いは白地に黄や赤、金銀の椛がちりばめられたもの。
その柄を切り裂くような墨汁の黒が、温かみのある品の良さをかき消してしまっている。
幸いなのは、汚れたのは裾の部分だけで、帯には被害がなかったことだろうか。


そんなことを考えていると、ふわり、と甘いような、酸っぱいような香りが鼻腔を擽る。
香りをたどってみれば、小さな橙色の花が咲いているのが見えた。
もう秋なのだ、と知らせるその香りは、落ち込んだ気分をさらに切なくさせる。
切なくなるのが解っているのに、ずっと香りの中に浸ってしまうような、そんな香り。


『金木犀の花が咲く時期なのね・・・。』
香りに誘われるように、足が自然とそちらに向いた。
近づけば、香りが強くなる。
濃密な香りに潜む切なさの理由は、この花言葉のせい。


初恋。
それがこの金木犀の花言葉で。
初恋、という言葉から連想することと言えば、初恋は実らない、ということで。
事実、私の初恋は実らなかった。


それを思い出すから、この香りは切ない。
何年経っても、この香りを嗅ぐと幼馴染に恋をしていた自分を思い出してしまう。
白哉、と彼の名前を呼ぶことが当たり前だった日々を思い出してしまう。
それが当たり前のことではないのだと知らずに笑っていられたあの日々を。


汚れた着物を哀れに思うのは、彼と私の距離を暗示されているようだから。
今の白哉の前にこんな姿のまま立つわけにはいかないのだ。
彼個人であれば些細なことだと言い捨てるだろうけれど、彼の朽木家当主という立場が、それを許さない。


つまり、今の私は、白哉の前に立つことは出来ない・・・。
着物が汚れていなければ、白哉と話をすることぐらい出来ただろうに。
暇を持て余して朽木家の書庫に入り浸っていても、多忙な白哉と顔を合わせることは殆どない。
時折、ルキアと世間話をすることはあるけれど。


「・・・何をしている。」
抑揚のない声にびくりとして振り向けば、そこには思い浮かべていた幼馴染の姿がある。
髪の毛一本に至るまで、彼の姿に乱れはない。
汚れた着物を見せないように、彼に背を向けたまま金木犀に視線を戻した。


『・・・息抜きよ。人が多すぎて眩暈がしそうだったから抜け出してきただけ。』
「そうか。」
『貴方こそどうしたの?主催者がこんな所に居ていいのかしら?』
「一通り挨拶は終えた故、問題なかろう。」


『そうかしら。貴方と話したい相手は腐るほど居るわよ。』
なんて、私自身その内の一人なのかもしれないけれど。
「今、私が話したいと思っているのは、お前だ。・・・あの姫と、何があった。」
潜められた声は、全てを見抜いているようで。


『何も?少しお話をしただけよ。』
「嘘を吐くな。」
『嘘じゃないわ。』
「話せ、咲夜。何があった。」


話せるものなら話してやりたいわよ。
内心で呟いて、空しくなる。
白哉に頼りたくなってしまう自分の心の弱さが憎い。
私の心を揺らす彼の鋭さが憎い。


『・・・何もないわ。大体、何かあったとして、それを聞いてどうするの?それを理由に、あの子との見合いを断るのかしら?』
「何故そのような話になる。私は、ただ、お前のことが・・・。」
白哉は、その先の言葉を濁した。


『・・・ねぇ、白哉。初恋は実らないのよ。』
後ろで小さく息を呑む声が、聞こえた。
『知らなかった?私の初恋は白哉だったわ。でも、貴方は、緋真さんを選んで、今もまだ、彼女の面影を追っている。』


初恋は実らないのよ。
もう一度呟くように言えば、沈黙が落ちる。
噎せ返るような金木犀の香りが、切なさを増長する。


白哉以外の人を好きになったことだってあるけれど、やっぱり白哉は特別だった。
だから、離れることは出来なかった。
白哉が緋真さんを愛していても、幼馴染として傍に居ることを選んだ。
他の姫に嫌がらせをされたって、彼がルキアを引き取るといった時だって。


「・・・ならば、もう一度私に恋をしろ。」
『え?』
白哉の言葉に思わず振り向けば、彼は予想以上に近くに居た。
すぐに伸びて来た手に顎を掬われたかと思えば、ぼやけるほど近い距離に白哉の顔が寄せられる。


『・・・なぜ・・・?』
掠め取られた唇には、確かに彼の唇の余韻が残っていて。
「初恋は実らないのだろう?ならば、もう一度、お前に恋をさせるまでだ。次の恋ならば、初恋ではないからな。」


それは屁理屈というのでは、という私の言葉は、続かない。
再び近づけられた彼の唇が私の口をふさぐ。
何度も、何度も、啄ばむように。
全てを溶かすような口付けに、降参するしかなかった。


『も、やめ・・・。』
「断る。」
『ちょ、びゃく、や・・・ん・・・わかった、から。ま、って・・・。』
キスの合間に懇願すれば、ようやく彼は距離を取って。


「観念したか?」
勝ち誇ったような瞳は、幼いころから変わらないそれで。
『い、色々と、順番が違うわ!』
「お前が素直に私を見ないのが悪い。」


『そ、それは、着物が、汚れているからで・・・。』
「そういうことにしておいてやるが、お前は、私がそんなことを気にするような男ではないと知っているはずだ。」
無駄に長く傍に居たわけではないのだ、とその瞳が語っている。


『だって、白哉は朽木家当主じゃない。朽木家当主の御前に、こんな姿で現れるわけにはいかないでしょう?』
「莫迦者。朽木家当主だからこそ、そんな姿で現れた客人に出来ることがある。・・・来い。」


『え、ちょ、白哉?』
腕を引かれるままに着いていくと、朽木家の空き部屋に放り込まれて。
その中にいた訳知り顔の女中の手には紅葉色の袴。
帯を取られてあっという間に袴に着替えさせられると、再び白哉に手を引かれる。


『・・・ふ、ふふ・・・。』
茶会へと戻るらしい白哉に付いていきながら、笑ってしまった。
「どうした。」
『だって、朽木家当主が、着物の着回しを思いつくなんて・・・。』


「気に入っている着物なのだろう。ならば、大切に着ればよい。墨汁は・・・落ちぬだろうが。」
『構わないわ。墨汁の跡があってもなくても、もうこの着物は大切な着物だもの。』
「妬けるな。後で私がお前に着物を見繕ってやる。」


『楽しみにしておくわ。』
そう言って笑えば、白哉も微かに笑みを浮かべる。
そのまま二人で茶会の席に戻れば、私に墨汁を投げつけた姫の視線が痛かったけれど。
白哉の、婚約を決めてきた、という発言には、私も朽木家の家臣たちも頭を抱えたけれど。


『・・・白哉ったら、本当に馬鹿ね。』
「その馬鹿を好いているくせに何を言う。」
『そうね。私も大概馬鹿だと思うわ。でも、仕方ないじゃない?好きになってしまったんだもの。』


軽口を叩きながら、二人で笑い合う。
初恋は実らない。
ただし、初恋の相手にもう一度恋をした場合は例外なのかもしれないと、咲夜は思うのだった。



2017.10.2
通勤中に金木犀の香りが漂ってきて、もうそんな時期かと思っていたら、ふと話が思い浮かびました。
白哉さんは茶会の席に姿を見せない咲夜さんを心配して探しに行ったのだと思われます。


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