■ 断髪少女
「・・・おい、あれ・・・。」
「嘘だろ・・・。」
「あんなに綺麗だったのに・・・。」
「いや、しかし、あれはあれで・・・。」
自分の席に座って本を読んでいた浮竹は、廊下のざわめきが近づいてくることに気付いて顔を上げる。
・・・どうしたんだ?
首を傾げていると、ざわめきが教室の前までやって来て、ガラリと扉が開かれる。
その扉を開けたであろう人物が目に入ってきて、浮竹は唖然とした。
『おはよう、十四郎。今日も元気そうで何よりだ。』
眩しい笑みを浮かべた咲夜に、浮竹は曖昧な返事をする。
「・・・・・・お前・・・その髪・・・。」
呆然と呟けば、彼女はまたもや眩しい笑みを浮かべた。
『全て、捨ててきた。家も、地位も、何もかも。長くて邪魔だった髪も、全部。』
彼女の顎のラインまでしかない髪がさらりと揺れる。
その彼女の言葉の意味を理解するのに、数秒。
最初に浮かんできた感想が、勿体ない、というもので、浮竹は内心苦笑した。
『今の私には、この身一つしかない。でもね、十四郎。何だか清々しい気分なんだ。生まれて初めて新鮮な空気を吸った感じだ。心も体も軽い。』
「・・・そうか。」
言葉通り清々しい顔をしている咲夜に、浮竹は頷く。
正直、思うところはたくさんある。
漣家の当主がそんな暴挙を許すはずがないとか、貴族でなくなるということがどういうことか解っているのか、とか。
言いたいことも聞きたいことも沢山ある。
それでも何も言えないのは、彼女の笑みの裏に、覚悟を感じ取ったから。
これが私の生き方だ。
自分の責任は自分で取る。
私は私らしく生きるのだ、と。
彼女の輝く瞳が、そう訴えかける。
「・・・馬鹿だな、お前は。」
『そう?』
「あぁ。だが、凄くお前らしい。」
笑みを見せれば、どこかほっとしたような笑みが零れる。
『ふふ。そうだろう?・・・ところで、どうだ?この髪型は。』
得意げに問われて、浮竹は苦笑する。
「似合いすぎるほどだ。勿体ない気もするがな。」
『そうか?髪など、生きていればいくらでも伸びるというのに。』
小首を傾げながら言われて、浮竹は再び苦笑した。
「お前は、お前だよなぁ・・・。」
『何だ?褒めてはいないな?』
「貶してもいないから安心しろ。」
『ふぅん?』
「・・・何だ?不満か?」
『いや?十四郎は髪の長いほうが好みなのだな、と。』
「そうだと言ったら、お前は俺のために髪を伸ばすのか?」
『ふふ。長い髪が好みなら、私の髪を守ることだよ、十四郎。』
「なるほど。それもいいかもしれないな・・・。」
彼女を眺めながら呟くと、意外そうな顔をされる。
『おや。君がその気になって守るのは、春水だけかと思っていた。』
「馬鹿言うなよ。京楽は自分の身くらい自分で守れる。」
『私は、そうは見えない?それとも本当に長い髪の女性が好みなのか?』
「そういう訳じゃないが、その身一つしか持たないお前は、何かと面倒な思いをすることになるぞ。」
『そんなことは解っている。でも、その時は、十四郎が助けてくれるのだろう?』
まるでこちらが否ということなど考えていないような表情。
それだけの信頼が向けられていることに、浮竹はくらりとする。
彼女は一体、どれだけ俺を惹きつける気なのか。
そこまで信頼されては、否、という答えなど無いに等しい。
「・・・当たり前だろう。お前の面倒を見ることが出来るのは、俺くらいのものだからな。」
『それなら、そんな君のために髪を伸ばすのもやぶさかではないぞ?』
悪戯に笑う彼女に、浮竹は内心で溜め息を吐く。
「揶揄うなよ。・・・ほら、そろそろ席に着け。今日は元柳斎先生が来る日だぞ。」
『はぁい。』
大人しく隣の席に座る咲夜を見て、浮竹は何度目かの苦笑を漏らす。
こっちの気も知らないで、よく笑う奴だ。
その笑みが美しいから余計に質が悪い。
内心で愚痴を零していると、咲夜の髪がさらりと揺れて、彼女の横顔を隠す。
無意識に伸びそうになる手を引っ込めようとして、彼女に触れることを躊躇う理由はもうないのだということに気付く。
此奴はもう、俺の手の届かないところに居る姫ではない。
これまでよりもずっと近い場所に居る。
そう思い直して、彼女の髪に触れて、耳にかけてやる。
くすぐったそうに身じろいだ咲夜は、笑いながらこちらを見た。
『くすぐったいぞ、十四郎。』
「済まんな。邪魔かと思ったんだ。」
『それはそれは。お気遣いどうも。褒めて遣わす。』
尊大に言った彼女に浮竹はまたもや苦笑する。
「俺以外の前でそんな態度を取ってくれるなよ、咲夜。」
『あはは。努力するよ。』
二人で笑っていると、元柳斎が京楽を引き摺りながら教室に入ってくる。
その姿を見た二人はくすりと笑って、悪戯な視線を交わすのだった。
2017.05.26
長くてきれいな髪を切ってしまった咲夜さんでした。
切った髪は餞別として漣家に置いてきたことと思われます。
思い切り髪を切った人は注目の的になりますよね。
浮竹さんは髪の長さなど関係なく咲夜さんしか見えていないのだろうなぁ。
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