■ 相思相愛
『・・・・・・はぁ。』
宴の片隅で窓枠に肘をついて詰まらなさそうな顔をしている女。
目を引く豪奢な赤い着物を纏ったその女は上流貴族漣家の長女、咲夜姫であるのだが、その人を寄せ付けない雰囲気に誰もが近づけずにいる。
・・・あの、狸爺め。
ちらり、ちらりと向けられる視線を無視しながら、咲夜は内心で愚痴る。
夫を選べ、というのならば、まだ分かる。
しかし、婿を選べ、というのは些かおかしな話ではないか。
あの子は、立派な当主となるだろうに・・・。
漣家の次期当主となるために日々鍛錬を積んでいる弟の姿を思い出して、心が重くなる。
確かにあの子は体が弱い。
それでも、あの子は努力を止めないのだ。
それなのに、私が婿を取ってしまっては、あの子の立場がなくなってしまうだろう・・・。
今日の話を聞かされた弟は、泣きそうに笑った。
いってらっしゃい、姉上。
笑顔で送り出してくれたが、あの子はきっと今頃泣いているだろう。
「・・・お?珍しいな。こんな所に顔を出しているなんて。」
何度も吐かれる盛大な溜息に誰もが咲夜を遠巻きにしている中、彼女の雰囲気など気にした様子もなく近づく男が一人。
その男にゆらりと視線を向けた咲夜は、再び溜息を吐いた。
『遅いぞ、十四郎。』
詰まらなさそうな、そして何処か拗ねたような声音。
その声音とは裏腹に彼女の表情には微かな安堵が浮かんでいて、浮竹は内心苦笑する。
多くの視線を感じながらも、徐に彼女の傍に座り込んだ。
「すまん。隊主会が長引いた。・・・しかし、どういう風の吹き回しだ?お前が宴に顔を出すなんて。」
怪訝そうな顔をした浮竹に、咲夜は数秒沈黙する。
浮竹が首を傾げて先を促せば、苦々しい顔をした咲夜が口を開いた。
『・・・父上が、今日の宴の中から婿を選べ、と。』
すい、と視線を浮竹から外した咲夜は、窓の外を見つめる。
目を丸くした浮竹は、その横顔をまじまじと見た。
面倒そうにしているが、その言葉に嘘はないらしい。
それを見て取って、浮竹は目を伏せる。
「そうか・・・。」
その一言を言葉にするのが、精一杯だった。
婿、ということは、彼女の弟は、次期当主となることを諦めさせられるのだ。
あれ程一生懸命に稽古に励んでいるというのに。
咲夜と共に彼の頑張りを見守って来た浮竹は、小さな痛みを感じる。
『十四郎。』
暫くの沈黙の後、静かな声に呼ばれて浮竹は顔を上げる。
真っ直ぐに自分に視線を向ける彼女は、何か覚悟をしているらしい。
珍しく緊張しているらしいその表情は硬かった。
「何だ?」
先を促せば、一度視線が外されて、それから再びこちらを見つめる。
『・・・私を攫い、私の夫になれ、十四郎。』
命令のような、懇願のような咲夜の言葉に浮竹は目を見開いた。
「お前・・・。」
『私の選んだ相手が長男であるならば、婿になれなどと言うことは出来まい。ましてや、君は紛れもなく一家の大黒柱であって、浮竹の名を捨てることなど考えたこともないだろう。その上、君は私の命の恩人だ。あの狸爺とて、君の意思を無碍にはしない。』
「それは、確かにそうだが・・・京楽は?」
『・・・断られた。身代わりになるのは御免だと。僕は僕自身を愛してくれる人を選ぶよ、だとさ。全て見抜かれているとは思わなかった。』
自嘲を含んだ声音だが、彼女の口元がふ、と微かに緩む。
『まったく、彼奴は良い友人だよ。・・・さて、十四郎。どうする?私の言葉に頷くかどうかは、君が決めていい。』
「・・・もし、俺が断ったらお前はどうするつもりだ?」
『この場に居る長男に片っ端から声を掛けて同じ話をする。もっとも、自らの家を捨ててでも漣家の婿になりたい者はいくらでも居るから、賛同者が居るとは思えないが。』
・・・そんなの、狡いだろう。
まるで脅しだ。
俺が彼女の言葉に頷かなければ、彼女の弟は地位を失う。
そして彼女は、そのことに深く傷つく。
目の前の美しい顔に感情が現れることは少ないが、彼女は優しいから。
俺が彼女の命を救うことになったのだって、その優しさが原因で。
慈善活動の一環として流魂街を訪れた彼女は、老若男女問わずに無条件に優しさを与えた。
その中で彼女に心惹かれた男は数知れず。
そして彼女は、欲望を増長させていった男たちに襲われたのだった。
や、めろ・・・。
流魂街での任務を終えて瀞霊廷に足を向けていた俺の耳に届いた微かな声。
不審に思ってその声のする薄暗い路地に足を踏み入れれば、通りから見えない場所に数人の男に囲まれた女を見つけた。
羽交い絞めにされて、刃物で着物を刻まれている女。
控え目な柄ではあるが良い品だと解るその着物は、すでに無残な姿になっていて。
俺が踏み入れるのがあと少しでも遅ければ、彼女は貞操を守ることが出来なかっただろう。
そして俺は、何とも皮肉なことに、あの日、彼女に一目惚れをしたのだ。
送り届けた先が漣家で、俺などの手が届くことはない姫だということを思い知らされたのもその日だった。
それでもこれまで、己の心を悟られずに、着かず離れずの関係でやって来たというのに。
「・・・悪魔の囁き、か。」
『え?』
「いや、何でもない。」
『そうか?それで、答えは?』
「俺に断る理由があるか?」
『え、無いのか?』
目を丸くした咲夜を見て、浮竹は思わず盛大な溜め息を漏らす。
『な、なんだ、その溜め息は・・・。』
「何故お前のような奴に一目惚れしたのかと思ってな。あの日の自分を少し呪いたいよ、俺は。」
『え・・・?』
ぽかんとした様子の咲夜に小さく笑う。
「白状すると、俺はお前のことが好きだから、そういう話をされると断れない。撤回するなら、今の内だぞ?さっきの言葉から察するに、お前には想う相手が居るのだろう。その相手が俺でないのならば、撤回してくれ。今すぐに。」
真っ直ぐに彼女を見つめれば、その瞳が揺れて、ふい、と顔を背けられる。
『・・・・・・撤回は、しない。』
ぽつりと呟かれた言葉に目を瞬かせていると気付く、彼女の変化。
耳まで赤くなっている、その横顔。
嬉しさを噛みしめているような唇が、表情を崩すまい、とでもいうように、固く結ばれている。
「・・・・・・お前・・・嘘だろ・・・。」
彼女に釣られて熱くなる顔を隠しながら、浮竹は呟く。
『それは、こっちの台詞だ、馬鹿。』
「心臓に悪すぎるぞ・・・。」
『それも私の台詞だ。私の緊張を返せ。』
ちらり、と彼女を見れば目が合って、慌てて逸らす。
・・・初心か、俺は。
いい歳して何をやっているのか・・・。
内心で自分に突っ込んで、浮竹は苦笑する。
「・・・お互い、馬鹿だなぁ。」
紅い顔を隠すのを諦めてしみじみと言えば、彼女もまた苦笑した。
『そうだな。』
頷いてからくすくすと笑いだした咲夜を見て、浮竹は彼女に手を差し出す。
「攫ってほしいのならば、攫ってやる。この手を取るか?」
悪戯に問えば、彼女の瞳が悪戯に輝いた。
『十四郎が私を攫いたいのなら攫われてやるさ。』
楽し気な言葉と共に彼女の手のひらが重ねられて、その手を握りしめる。
「そういうことなら、遠慮なく攫ってやる。」
『え?・・・わ!?』
手を引けば胸に飛び込んできた彼女を抱きしめて、そのまま立ち上がる。
多くの視線が向けられたが、どうせなら派手に攫ってやろうと宴の真ん中を歩き出した。
『ちょ、十四郎?何を・・・。』
視線に耐えかねた咲夜がひそひそと問うてきて、くすりと笑う。
「これだけ見せつければ、父君も文句は言えないだろう?」
浮竹の言葉に目を丸くした咲夜だったが、一瞬の後に笑みを零した。
『確かに、その通りだ。・・・末永くよろしくしてくれよ、十四郎。』
「俺の台詞を取るなよ・・・。」
困ったような浮竹に、咲夜は微笑みを見せる。
その微笑みに皆が惹きつけられるのだが、咲夜が浮竹に向ける柔らかな視線に気付いて、その場にいた男性陣はがっかりするのだった。
2017.05.09
お互いに想いを隠していた二人。
京楽さんはそんな二人に気付いていたのでした。
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