春の底の群青色



ひらり、蝶が舞った。
ひらり、桜が散った。
ひらり、春が踊る。



「ああ、俺たちも五年になっちゃったねえ」
「なりたくなかったのか?」
「んー。そうかもしれない」
「奇遇だな。私もだ」


蝶と桜とが踊る春の中、俺と三郎は屋根の上で空を仰いだ。お互いの顔は見ず、ゆっくりと流れる雲だけを見つめる。三郎は俺の後ろ向きな言葉に同意の声を返した。それが意味するところは、きっと似ているようで違うものなんだろう。だって俺たちは別の人間なんだから。


「上に甘えていられるのも、時間に甘えていられるのも、これで最後だ」
「うん」
「来年は最上級生になって、就職活動もして」
「うん」
「私たちは袂を分かつ」
「その言い方、気に食わない」
「間違ってはいないだろう?」


ずっと噛み合なかった視線がようやく重なる。三郎は雷蔵の顔で悪戯に笑ったが、俺は反対に顔を顰めた。確かに卒業して各々の道を選べば容易に会うことは出来なくなるし、敵として対峙することもあるかもしれない。

それでも俺たちは、


「忍術学園卒業生って肩書きは、みんな同じだろ」


だからまたどこかで交わるんだよ。

分かれても、離れても、風が吹けばまた近付くし、寄り添い合う。時には絡まって、雁字搦め(がんじがらめ)になって。それをまた誰かが解いて、分かれて、離れて…。きっとそれの繰り返し。

俺が遠くの山を見詰めながらそう言えば、隣の三郎は黙って視線を並べた。平行に伸びた視線は、また交じらなくなった。


「名前は怖いだけだろう?」


何が、とは言わず、三郎は静かに問う。だけどそれには確信が込められていて、視線を下へと落とした。


「そうとも言える」


同じ学舎で永きを共にしたこいつらと別れるのは、怖かった。日常が崩れる音が遠くで聞こえる。一年、二年なんてあっという間。それはすぐに、傍までやってくる。

頭の中に新しい“日常”を描いて、怖くて気持ち悪くて更に視線を落とした。今この時すら過去になるのが、寂しい。


「嫌なんだよねえ、お前たちの居ない世界ってのが」


落とした視線は膝の上。抱きかかえるようにして両足を引き寄せて腕を回す。ああ、嫌だ嫌だ。この当たり前が壊れるのも、それを想像するのもしている自分自身も。


「はは、中々嬉しい事を言ってくれるじゃないか」
「はあ?どこが」
「私が居ないと寂しいんだろう?」
「たちを付けろ」
「冗談」


三郎の軽口に、落とした視線を引き上げる。やっぱり三郎は悪戯に笑っていて、俺の顔は顰めっ面だった。


「何、これは一人が歩む道ではなく、私たち皆が進む道だ」
「三郎は寂しくないのか?」
「それを聞いてどうする」
「……良いよ、答えなくて」


なんとなく分かるから。俺がそう言えば、三郎は初めて少し困ったような笑みを浮かべた。俺たちは別の人間だから、答えが違うのもまた必然。悲しいとは思わない。


「面倒なのは六年になってからだと思ってたけど、案外五年の方が面倒かも」
「それは同感。あと一年という微妙な時間が微妙だ」
「まだ五年になったばっかだって言うのにねえ」
「まったくだ」


世界が浮かれると、俺たちは独り取り残されてしまったような気持ちになるから。思考は上ることなく、ゆっくりと沈んで行く。皆とは逆へ逆へと進んで行く。

こんな深い海の底のような世界を分かち合えるのも、あと少し。

だから今は、一緒に。




春の底の群青色

独りで見るには、寂しい色だから


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