眼底 101109hit



これは棗さんが忍術学園にいらしてから数日が過ぎた、ある日の八つ時の話。

縁側に腰掛け、ぺらりと紙を捲る音が廊下に響く。背中には暖かい重みがあり、彼は手持ち無沙汰なのか私の髪を指に巻き付けて遊んでいました。


「名前先輩、髪の毛傷んでますね」
「いつも屋根の上で仕事をしているから焼けてしまうんだよ」
「タカ丸さんが見たら怒ります」
「…そういえば、彼は喜八郎と同じ四年生だったね」


ひょこり。茂みの中で金色が動く。気配はほとんどありませんが、恐らく両隣には同学年の平くんと田村くんがいるのでしょう。茂みの上に伸びた手が、しっかりと金色の頭を押さえ付けていましたから。

喜八郎は私と背中合わせの状態なので彼らには気付いていません。彼らは単純に喜八郎に用があって来ただけなのか、それとも私に用が……いえ、それはあり得ない話でした。“一つ下”の彼らが、進んで私に関わろうとするはずがないのです。

再び視線を本へと戻し、紙を捲る。段々と髪で遊ぶことに飽きてきたのか、喜八郎は花札を一月から順に暗唱し始めました。松に鶴、赤短、カスが二つ。梅に鶯、赤短、カスが二つ。そして桜に藤にと十二月の桐まで暗唱が終わると、喜八郎は抑揚のない声で髪を引く。


「全部覚えました」
「うん。間違えもなかったね」
「じゃあ今度は名前先輩が問題出してください」
「問題?えっと……松、梅、赤法度」
「桜」
「正解。じゃあ次は松、桜、桐、四光法度」
「坊主」
「正解。次は……」


と、言葉はそこで途切れました。

紅葉色の髪が揺れ、牡丹色の目がこちらを睨み、遅れて菊色の頭が茂みの中から現れる。赤と青の間の色が三つ。 向けられたのは嫌悪感と戸惑い。知らずに力の入った手の平から、くしゃりと紙の鳴る音が聞こえる。


「喜八郎。こっちへ来い」
「覗き見?」
「今はそんなことどうでもいい!とにかくこっちへ、」
「ヤダ」
「喜八郎!」


突き放してでも、喜八郎を行かせるべきなのでしょうか。笑って、背中を押すべきなのでしょうか。握り締めた手の平は指先から順に血の気が引いて、立てた爪の痛みにも気付かない。

どうにかして言葉を繋ごうと口を開きかけた時、痺れを切らしたらしい平くんが荒い足取りで茂みから出て来ました。一拍置いて田村くん、更に戸惑いながらタカ丸さんが続く。そうして一歩、また一歩と距離が詰まる度に眩むような緊張感に襲われる。相手が私に抱く嫌悪感。無意識下の想像は、いつも私の首を絞めてくる。

…けれども、平くんの視線は私には向いていませんでした。


「喜八郎!こんな気味の悪い落書きを私の机の下に捨てるな!」
「おー」
「それもこんなに沢山!呪詛か何かかと思ったわ!!」


突き出されたのは、一目見ただけでは何が描かれているのか分からない絵の束。しかし見覚えのあるこの絵は……。


「喜八郎。これは棗さんに捨てるよう頼まれていたものでは……?」
「捨てました」
「私の机の下はくずかごではない!!」


憤慨した様子で喜八郎に詰め寄る平くん。あれこれと叱りつけてはいるのですが如何せん、喜八郎は右から左へと聞き流し、縁側の下にあった蟻の行列を眺め始める始末。最初の様子で私に嫌悪感を抱いていることも、その理由も察することが出来ましたから、震えそうになる声でなんとか平くんの名前を呼ぶ。

案の定、彼は酷く驚いた顔で私を見ました。この時点で全く余裕がなくなってしまっていた私は、後ろにいた田村くんとタカ丸さんの表情までは分かりませんでした。


「その絵は、喜八郎が描いたものではないよ」
「へ?」
「花札……南蛮の絵札を、喜八郎に教えながら棗さんが描いたものだから」
「これを、棗さんが……」
「棗さんはヘタっぴ」


お世辞にも上手とは言えない絵。棗さんは、絵は苦手なんだと笑いながら描いていました。ひと通り描き終えた後に『誰かに見られたら恥ずかしいから捨てておいてくれ』と喜八郎に頼んでいたはずですが、どうやら面倒で平くんに押し付けた様子。

喜八郎は、言葉が少ない。唐突に、私がしたような花札の問い掛けをして彼らを困らせているところも何度か見かけました。彼らは“気違いが移ったのではないか”と喜八郎の心配をしたのだと思います。これは自然の道理。私のせいでいらぬ心配をかけさせてしまったことが申し訳なくて、視線は段々と下がっていく。


「とにかく!これはお前が片付けろ!いいな?」
「滝のうんこ」
「喜八郎おおおおおお!!」
「うるさいぞ滝夜叉丸」
「あのぉ、僕だけ話について行けてないんだけど……」


言い合いの中に柔らかさが戻り、喜八郎の誤解が解けた安心から目が細まる。部屋に戻るのなら、私から気が逸れている今の内でしょう。昔ほどあからさまに怖がられることはなくなりましたが、やはり私自身の苦手意識が一番の問題。人の中にいることに、恐怖心を覚えてしまった。

読みかけの本にしおりを挟んで立ち上がり、そっと気配を消して喜八郎たちを見る。丁度こちらを見た喜八郎は小さく手を振っていました。ありがとう、と口の形だけでそれを伝える。声に出して告げることもできない私のなんと情けないことか。


変わりたい、変われない、もどかしい。

この想いが形を変えるのは、もう少し先のお話。




花よ草木よ岩間に芽吹け




---110907-------------
ひよりさん!遅くなってすみませんでした!花札を覚えようと必死な綾部、心配する他四年、不憫な滝夜叉丸……。二人ほど空気になってしまって申し訳ないです(汗)

あと『法度』というのはビンゴで言うリーチみたいなもんです。赤短の松、梅でリーチならあとは桜で役、みたいな問題の出し方してます。たぶん地方ルール。


topboxShort