(セドさんたち、やっぱり故郷へ帰ってしまうのかしら…)


寝過ごしたジャーファルがマスルールに文句を言い、アルテナや捕われていたシンドリアの民たちとの食事が終わった夜のこと。モルジアナはメインマストの天辺に腰掛けながら、そんなことを考えていた。

今回レームへとやってきたのは攫われた人たちの奪還のためだが、兄妹のそもそもの旅の目的は母親を見つけることだった。シンドリアに留まっていたのは暗黒大陸に渡る旅費を稼ぐため。

その母親に再会した今、シンドリアに留まる理由はない。




「モルジアナ!そんな所にいたのね!」


不意に、甲板からラナンラの声が聞こえた。名前を呼ばれたので視線を下ろすと、ラナンラの隣にはセドらしき人影もある。モルジアナは慌ててメインマストから飛び降りた。


「セドさん、もう起きて大丈夫なんですか…?」
「うん。まだ本調子じゃないけど体を動かさないと落ち着かなくて。大目に見てね」


指を絡めてぐっと伸びをした拍子に袖が下がり、セドの腕が露になった。暗がりでも分かる真っ白な包帯。それを見たモルジアナの眉間に皺が寄る。残念ながら、セドとラナンラはモルジアナのこの表情の変化に気づくことができなかった。

兄妹は伝えたいことがあってがモルジアナを探していた。ジャーファルたちには、既に改めて伝えてある。二人は腰を折るようにして頭を下げた。


「ここまで一緒に来てくれてありがとう。お兄ちゃんを…拐われたみんなを助けられたのはモルジアナたちのお陰よ」
「危険な目に合わせてごめん。でも、みんなが来てくれたと聞いてすごく嬉しかった。ありがとう」


深々と頭を下げる兄妹にたじろぎ、モルジアナは頭を上げてくださいと両手を彷徨わせながら狼狽えている。

もちろん、船に戻ってきた際に礼は言ってある。しかしその時のセドは弱っていたこともあり、きちんとした礼を言うことができなかった。だから今、こうして改めて兄妹揃って礼を言って回っているのだろう。

ようやく視線が合うようになると、モルジアナも少しだけ顔を綻ばせた。


「ラナンラさんが絶対に助けに行くって聞かなくて大変だったそうです」
「私だけ待ってるなんてできないわ」
「なんとなく想像つくよ。逆の立場なら俺も同じことをした」


王宮でのやり取りを思い出したのか、ラナンラが拗ねたように口を尖らせる。やんわりとその頭を撫でるセドの表情は暖かい。

そんな二人に、モルジアナは思い切ってずっと気になっていたことを口にした。


「…失礼かもしれませんが、少し、意外でした」
「ん?何がだい?」
「その…セドさんは、ラナンラさんが助けに来たことを…怒ると思っていたので…」
「それは確かに、私も気になっていました」


三人にもよく聞こえるようにか、平時より心なしか張り上げられた声。船室からの明かりを背に受けて、表情の見えないジャーファルがそこにいた。

かつ、こつと木靴を鳴らし、三人の輪の中へと入る。咎める体ではないが、ただ分からないといった風に彼は首を傾げた。


「ラナンラは無茶をするし、セドはそれを咎めないし。アールヴの絆のことは聞いていましたが、それだけでは説明がつかないかと」
「言われてみれば…たしかにそうですね。特に考えたことがなかったので上手く説明できるか分からないのですが…」


おずおずと話し始めたセド。その内容は、簡単に言ってしまえば『逆の立場なら自分も同じことをした。だから責められなかった』というもの。しかしその中にはジャーファルが考えるようなものとはずれがある。

セドはラナンラが無茶をしたことに対して心を痛めていない。これが一番のずれだろう。足りない言葉はラナンラ自身が補って説明した。


「私が傷付くことよりも、できることがあるのに何もせずにいることの方が辛いです」
「俺もその気持ちが分かるからラナンラのことは責められません。一緒にいたいのは俺も同じですし、逆の立場になったときのことを考えたら尚更」


傷付くことよりも何もしない方が辛い。それを理解した上で、無茶をしてでもやって来た助けを素直に受け入れることができるだろうか。…ジャーファルもモルジアナも、答えは否だった。

もしシンドバッドたちが助けに来たら、アラジンやアリババが助けに来たら、二人とも『どうして助けに来た』と叫ぶことだろう。自分が傷付く分には全く構わないが、大切な人が傷付いてまで助かりたいと思えない。

ただ信じて待つのとは訳が違う。相互依存にも似た信頼関係。相手が一番辛くない選択をしたと心で理解し、納得することは難しい。


「単に仲がいいんです。俺たちは」
「うん」
「ふふ、仲がいいのはいいことです」


この関係を当たり前と思っている兄妹にこれ以上の説明を求めても無駄だろう。考え方は人それぞれ。例を挙げればジャーファルとシンドバッドのように立場が違うという場合もある。モルジアナはどうだろうか。どこか戸惑った様子の彼女の頭を、ジャーファルは優しく撫でた。


さて、この話はここでおしまい。そもそもジャーファルが船室から出て来たのは明日の予定を決めるためだったからだ。


「セド、ラナンラ。アルテナさんは明日この国を発つそうですが、二人はどうしますか?」
「あ、じゃあお父さんへの伝言を頼まないと」
「そうね。お父さんがひとりぼっちになってから随分経つもの」
「それって…」


モルジアナが何度か目をしばたかせる。兄妹は一度顔を見合わせ、そして揃って笑顔を浮かべた。


「一緒にシンドリアへ帰ろう」



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