レームに着いて三日。ラナンラたちは奴隷商人に関する聞き込みをやめていた。奴隷商人たちをおびき出すためには、これ以上動き回ると逆効果になると判断したからだ。

そして更に三日。鼻と耳を頼りに街中を探し回ったが、未だに手がかりは掴めていない。体は疲れているのに眠れず、窓辺から灯の消えた街を眺める。

闘技会まで、あと二日を切っていた。




「ジャーファルさん。今日はどの辺りを探しに行きますか?」
「あまり気は進みませんが…闘技場周辺を回ってみようと思います。闘技会まで日がないし、市が立つとしたらその辺りですからね」
「では、私たちは今まで以上に気をつけなければなりませんね」
「ふふ、モルジアナは賢くて助かるよ」
「…私だって分かります」
「うん。ラナンラも賢い」


翌朝、宿で軽い朝食を取りながらの会話。モルジアナに対抗するようなことを言う辺り、ラナンラもまだ子供だ。ジャーファルの視線もどことなく生暖かい。

ファナリスであると知られればいつ誰に拐われるとも分からない。特にファナリスを欲しがっている人間がいるであろう場所に行くのだから、なおさら。


朝食を終えると四人は顔を隠し、通りを歩きながら闘技場を目指した。右に左に滑らせる視線、すれ違う人間の匂い、声。喧騒の中から篩をかけるように探すその作業は神経がすり減る。それでも会話がまったくないのは不自然だから、ジャーファルは時折、適当な言葉を三人に投げかけた。


「この国も、悪い国ではないんですがね」
「もっと違う理由で来ていたら、この国も違う姿に見えたのでしょうか…」
「そうか、モルジアナは暗黒大陸に渡りたかったんでしたっけ」
「あ、はい」


そのために、一時はレーム帝国を目指していた。想定外の理由でこの地を踏むことになってしまったが、ファナリスの故郷を見てみたいという気持ちは今もある。ラナンラたち兄妹の次の目的地もレーム帝国、そして暗黒大陸だった。

しかし、今ラナンラの頭の中にそんなことは入っていないだろう。現にジャーファルとモルジアナの会話を聞く余裕すらない。


観光客の振りをして露店を覗く。少し通りから外れた道でたむろする男に聞くと、今日辺り奴隷市が立つらしい。やはり急がなければ。ジャーファルは踵を返そうとしたが、動かないラナンラに手を引かれてその場にとどまった。


「ラナンラ?何か見つけたんですか?」
「…薬の臭いが。それと、鎖の音」
「方向は」
「そこを右です」


暗い路地裏。ラナンラが指差した方向へ足早に進む。闘技場とは逆方向だったが、悩んでいる暇はないだろう。

赤煉瓦積みの家々が立ち並ぶその道。そこには人相の悪い男や顔を隠した人間がぽつりぽつりといる程度。この先に隠れ家があるのか。だとすれば、何の用意もなしに突っ込んで大丈夫なのか。

ついに走り出したラナンラは、掠れそうなほど低い声で聞こえたものを伝えた。


「酒場か何かみたいです」
「酒と…煙草の臭いか」
「臭いが混ざってセドさんの匂いが分からないわ」
「私にはさっぱり分かりませんよ…」


それでも三人の足は確信を持って進む。酒場と言われた場所に近づくにつれ、ラナンラから表情が消えていった。後ろを走る三人にそれは見えなかったのだが、何かを感じ取ったジャーファルがラナンラの手を掴んだ。この子は、危うい。

最後の角を曲がると古ぼけた酒場らしきものが現れた。看板の代わりなのだろうか。扉の前に酒瓶が吊るしてある。


「ここですか」
「はい。この声、間違いありません」


扉から視線を外さずにそう言うと、ラナンラはターバンの下で唇を噛み締めた。ジャーファルにはまだ、その理由が分からない。

店の扉を開けた途端、耳障りな笑い声が鼓膜を打つ。しかし見慣れぬ客に気づくとさざ波のように音が引いていった。鬱陶しいほどの視線。場違いな客に対する疑心、嫌悪。そういったものがない交ぜになっている。

歩く度に軋む床の音が、店内に響いた。


「お客さん。来る店を間違えちゃいねえかい?」
「用が済んだら帰りますので、お気になさらず。…そちらは奴隷商人の方でしょうか?」
「なんだ、俺に用か」


カウンターに座る男。すぐそばの壁には鎖が備えつけてあり、そこに四人の奴隷が繋がれていた。シンドリアで行方不明になった人たちと特徴が一致する。

ジャーファルは顔を覆っていたターバンを外すと、懐から出した書状を男に突きつけた。


「我が国の民を誘拐したあなた方には、罰を受けていただきましょうか」
「なっ、」


驚いて逃げようとした男に、赤い紐が絡みつく。また別の男が店の外に逃げ出したが、マスルールとモルジアナがそれを取り押さえた。店の中ではまるで他人事のように笑い声が上がる。胸糞の悪い。壁から下がる鎖からして、ここは奴隷商人の溜まり場。つまり彼らも同業者。

ジャーファルは小さく舌打ちをこぼした。


「ほお、わざわざこんな所まで追っかけてきたのか?たったこれっぽっちの人間を助けるために」
「我が国の、家族とも言える民ですから」
「国の名前は」
「シンドリア。七海の覇王の治める国です」


これは牽制。シンドリアに手を出せば動くものがあるという脅し。店の亭主も、客も、王の名前を呟いて表情を強ばらせた。

たったこれだけの人間が拐われて動く国など他にありはしない。そういう時代で、そういう世の中だからこそ、その場にいた人間はシンドリアという国の異質さが理解できなかった。


「ジャーファル様…!」
「もう安心してください。今鎖を外しますから」
「ありがとうございます…本当に…もう二度と帰れないかと…」
「大丈夫。すぐに帰れますよ」


この場にいる囚われた民は四人。若い男が一人と娘が二人、それと子供が一人。

セドの姿は、ない。




「言え。あの男はどこにいる」
「や、やめろ…!俺たちだって頭に嵌められたんだ…!囮にされたんだよ…!」
「言え!あいつは、どこにいる!!」


店の外から何かが崩れるような音が聞こえた。男から取り上げた鍵で鎖を外し、怯える四人を庇いながら外へ飛び出す。

ラナンラが唇を噛み締めていた理由はこれだった。セドだけがいないのだ。塀だったらしい瓦礫の前で声を荒げていて、今にも殴りかかりそうなラナンラをモルジアナが必死に押さえている。


「俺も!お前らも!頭に嵌められたんだ!!あのファナリスも今頃奴隷だ!!」
「うるさい!黙れ!!」
「ラナンラさん…!落ち着いてください!」


暴れて、声を荒げるラナンラの目からは涙が溢れていた。

兄妹たちに最初に声をかけた主犯格の男はこの場にいない。捕らえたのはその手下で、そいつらは“嵌められた”と口を揃えて叫んでいる。こちらは囮。セドを売るための、時間稼ぎ。

船で聞いた笑い声が、嫌でもラナンラの頭の中に甦った。



24/29

topboxNorth wind