ファナリスの血



セドとラナンラがシンドリアに着いてふた月が過ぎた。元々目立つ性質だったこともあり、漁師たちにはすっかり二人の顔と名前が知れ渡っている。

目を惹く赤髪を靡かせ、港内をくるくると走り回る。両肩には獲れたばかりの魚を詰めた木箱が乗っている。これが少し前から任されるようになった仕事、水揚げされた魚の運搬だ。競りにかけるもの、王宮へ運ぶもの、バザールへ出すもの。船ごと、種類ごとに分けられた箱をてきぱきと運ぶ。

この仕事が終われば、兄妹はガッサの船の清掃に遅れて参加する。ガッサの船はシンドリア国内でもかなり大きい部類に入るから、人手はいくらあっても足りないのだ。

そうして船の清掃が終わると、日によって船や網の修繕を行う。今回は前日に点検したばかりだったので水夫たちはその場で解散となった。この頃になると日はすでに真上まで昇ってきており、ガッサたちの腹も空腹を訴え始める。


「腹減ったなあ…。船でなんか食っとくんだった」
「ガッサさん、それいっつも言ってますよ」
「船で食べるよりセーラさんの手料理の方が美味しいですからね」
「…誰に似たんだか、お前らも可愛げがなくなってきたな」


と、口では言っても弱音ひとつ吐かずに働くこの子供たちが可愛くないわけがない。セーラにだけは似てくれるなと乱暴に撫でるこの手も、ガッサなりの愛情表現。それを気恥ずかしいと思うようになったのは、はじめより距離が近付いたせい。


「そういや、今日はバルバッドから商船が帰ってくる予定だったな」
「本当!?」
「ああ、昼過ぎには港に着く。仕事は夕方からだから、そのまま遊びに行っていいぞ」


商船はだいたい、昼頃に着く。朝は漁船の出入りが激しく、商船のような大きな船がいては邪魔になるし、夕方ではすぐに陽が沈んでしまって荷降ろしができない。故の昼過ぎ。

商船の出入りがあるときは母の情報を求めて必ず船を訪れた。船乗りたちに母の特徴を伝え、もし見かけたら自分たちのことを伝えてほしいと頼むためだ。この日もバルバッドから戻る船があったので、昼食を食べたあとすぐに港へと向かった。残念ながら、母親の情報は得られなかったが。


「お母さん、案外もう家に帰ってるかもしれないなあ…」
「そろそろお父さんが心配ね…」
「孤独死してなきゃいいけど」


アールヴの民が住む村は山奥にあり、それも普通の人間には入れない。手紙を書いたところで届ける術はないし、お金もまだ貯まっていない。案ずることしかできないのは、非常にもどかしかった。孤独死うんぬんも半分は本気だ。

重い足取りで今度はシンドリアの森へと向かう。日によっては森ではなく王宮に遊びに行くこともあるが、ここにはいつもマスルールとモルジアナがいて、兄妹は二人の鍛錬を見るのが好きだった。特に会話があるわけではないが、森の匂いと母と同じ匂いは心が落ち着く。マスルールたちがふと手を止めると、寄り添い合って寝ていることもよくあった。


「…また寝てるのか」
「そうみたいです」


木の幹にもたれかかる兄妹の前へ屈み、鼻をつまむ。後ろでモルジアナがおろおろしているのには気づいている。でも、こうも無防備に寝られるとマスルール自身も眠くなってくるので気に入らない。飛び起きたセドに寝るくらいなら鍛錬に付き合えと告げて、マスルールは軽く拳を構えた。

二対二の兄妹対決…に、見えるであろう手合わせ。一対一だと差は歴然だが、二人がかりになると途端にセドとラナンラの動きが良くなる。兄妹ならではのコンビネーション。活き活きとした二人を見るのは、モルジアナも好きだった。


四人の手合わせが終わる頃には日も傾いてくる。マスルールとモルジアナは王宮へ、セドとラナンラは酒場へと戻っていく。つい最近から頼まれるようになった仕事、酒場バッコスの手伝いのためだ。

それまでは地元の漁師ばかりでいささか馴染みにくさがあった。しかし兄妹が来て、とある常連客が増えたことで酒場はセーラと弟夫婦だけでは回せないほどの賑わいを見せている。


「やっほー!また来ちゃった!」
「ピスティ!いらっしゃい!今日もヤムライハと一緒?」
「うん。本当はジャーファルさんも誘ったんだけどね。“シンがいない間に政務が滞っては困りますから”って断られちゃった」
「ジャーファルさんにもたまには羽伸ばしもらいたいんだけど、なかなか手強くて」
「そっか…」
「こーら!ラナンラ!手が止まっとるよ!」
「あ、すみません!」


とある常連客。それは八人将のヤムライハとピスティのこと。ヤムライハとは王宮に会いに行っているうちに親しくなり、ピスティとは体型の悩みでラナンラと意気投合したのがきっかけ。

これまでむさ苦しいだけだった港の酒場にラナンラがやってきて、更に八人将の美女二人まで来るようになったとあっては海の男たちも黙っていられない。…といってもまあ、可愛い娘が増えたくらいの感覚なので、ヤムライハたちが居心地の悪さを感じるようなこともなかった。


「セド、今日のおすすめは何かある?」
「バルバッドから来たばかりの酒があるから、それがおすすめかな」
「じゃあ私はそれにするぞ!」
「私もそれでお願い」
「はいよ!セーラさん!アラック二つ!」
「あいよー!」


カウンターではセーラが酒を注ぎ、奥の厨房では弟夫婦が料理を作る。ガッサはほとんど客と喋っているが、たまにセーラにどつかれて店の手伝いに戻る。セドとラナンラは大量の酒、料理を掲げて店内を忙しなく動き回る。漁師の朝が早いためお開きになるのも早く、深酒しすぎずに済むのがいい、とはヤムライハ談。

ある程度客が捌けたところでガッサ、セド、ラナンラは眠い目をこすりながら住居である二階に上がる。おやすみなさい、良い夢を。ヤムライハとピスティに手を振られ、兄妹はふにゃりと顔を緩めた。

こうして、二人の一日は幕を閉じるのだ。



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