「セド!ラナンラ!悪いんだが、一個頼まれてくれないか?」
「はい。何をすればいいですか?」
「この地図の場所に行って酒を受け取ってきて欲しいんだ。代金はこれな」


少しずつ漁師の生活リズムにも慣れてきて、漁から戻った後も起きていられるようになった。毎日新しいことを教わり、夕方になるとヤムライハに会いに行く。それがここ最近の二人の日課。

この日は風が強く、様子を見て漁を控える船が多かったため酒場が繁盛している。酒の減りが早いし、雨が降り出してからでは取りに行くのも大変。そこで二人がお使いに出されることになった。頼まれた酒の量はかなりのものだったが、この兄妹ならば問題ない。

途中までは地図を頼りに、ある程度近くまで来たら鼻を頼りに酒屋を目指す。酒屋の亭主は二人のことを知らなかったし、子供だけで大樽二つも運べるのかと心配した。荷車は?大人は?何を聞いても大丈夫と笑うだけ。


「じゃあ、これがお釣りだが…。本当に大丈夫なのかい?」
「はい、大丈夫です。お兄ちゃん、お金しまうから二個持って」
「ん」
「な!?」


ひょい、と担ぎ上げられた大樽。右肩にひとつ、左肩にひとつ。そうしてなんでもないような顔でありがとうございましたと頭を下げて店を出る。子供二人、それも片方は女の子。大樽を担いで歩く姿は目を引いた。親切心で手伝おうかと声をかけてくれる人もいたし、面白そうだから店を教えてくれと言う人もいた。これはある意味、いい宣伝になったかもしれない。

店に着いて戸を叩く。出てきたセーラは二人の姿を見て荷車くらい使えばよかったのに、と笑った。


「さっき来た客があんたらのことを話してたよ。ずいぶん力の強い子たちだなって」
「戻ってくる時も声かけられました」
「ラナンラみたいな女の子が持ってたから余計だね。さ、これはお駄賃だよ」
「クッキーだ!」
「ありがとうございます!」


酒屋で受け取ったお釣りも渡して、今日の手伝いはここまでとなった。袋に入れられた焼きたてのクッキー。フルーツが入っているのか、さっぱりとした甘い匂いがする。

二人はクッキーの入った袋を持って王宮を目指した。まだ時間は早いが、焼きたてをヤムライハと一緒に食べたかったから。いつも通る道を駆けて、近道に塀を飛び越え、屋根に上る。そのまま飛ぶように走って、走って、不意にラナンラが足を止めた。


「どうしたラナンラ?」
「…今、一瞬聞こえた」


じっと空を睨みつける。空はすでに鉛色を重たく広げていて、あと一時間と経たない内に雨が降り出しそうな雰囲気だ。


「恵の雨だ」
「ルフが集まってきてる」


ラナンラが聞いたのは、恵の雨に喜ぶルフたちの声だった。生き物たちに潤いを。命育む恵みの水よ。二人の足は誘われるように、シンドリアの森へと走りだした。



風が強くなり、ぽつりと雨が一滴、頬を打つ。そしてぽつぽつ、と途切れるように音を立てたと思ったら、それは次第に煙るような雨へと変わった。天気が崩れると予想していた漁師たちは、予め船を港に固く繋いである。バザールも早めに店仕舞いをしていて、街を歩く人の姿はない。

そんな中、兄妹は森の奥で静かに呼吸を整えていた。


「嬉しいね」
「楽しいね」


高揚する気持ちを鎮めるように、深呼吸をひとつ、ふたつ。手近に落ちていた枝を拾い上げ、両手に構える。向き合って、礼をひとつ。白い鳥が、二人の間を横切った。


「命が生まれる」
「命が育つ」


右手を前に突き出し、左手を高く掲げる。拍子をとるように足を運び、正面から、左右から、背中合わせから、手に持った枝で打ち合う。視界を遮る雨、張り付く前髪に二人は目を閉じた。それでも動きは止まらず、踊るように枝を打ち鳴らす。

次第にルフが二人を囲むように集まり始めた。寄せては返す小波のような動き。白く淡い光が辺りを包みこむ。




「どうしたんだろうねえ。こんなにルフが集まって」


そして、一点に集うルフに誘われるようにやってきた少年がいた。打ち付ける雨を腕で遮りながら、ルフの流れを辿る。

バルバッドの内乱で友を失った。心に負った傷は未だ癒えず、ただ塞ぎこむ毎日。心配してくれる人はいる。けれど、戻ることのできない過去に囚われて、前に進めずにいた。そんな時に見つけたルフの流れ。

青い髪が、雨の中に踊る。


「ありがとう」
「私たちは感謝します」


森の中の拓けた場所に出たとき、少年…アラジンは眩むような白に目を細めた。空は重く暗い色をしているのに、ここだけは集まったルフのせいで眩しいほどに明るい。それに、打ち付けるような雨もずっと優しい。

中心にいる赤髪の二人。掲げた枝に集まるルフたち。目を閉じているはずなのに、弧を描くように投げられた枝は容易く相手の手へと収まる。その度にルフの光が尾を引いて、アラジンは瞬きを忘れてその光景に見入った。


「とても、綺麗だね」


自然と口からこぼれた言葉だった。二人は踊りながらアラジンに声をかける。ルフの小波は、いつの間にかアラジンも囲むように広がっていた。


「ルフが喜んでいる。不思議な人だね」
「あなたは、ルフに愛されているのね」

「何があったのかは知らないけど、君が悲しんでいるとルフたちも哀しいと言ってるよ」
「勇気を出して、前に進んで。あなたにならきっとできるわ」


友を、失った。
友を失った人を、見た。
友を、家族を、恋人を失って、奪われて、悲しみと憎しみが募るのを見た。

それでも前に進む、光を見た。


「…うん。僕もがんばるよ。ありがとう」


そう言って、アラジンは力強く頷いた。セドとラナンラもそれを見て、そっと目を細めて笑う。

恵の雨が、静かに三人の頬を撫でていった。



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