「ヤムライハさん」
「あら、マスルールじゃない。珍しいわね、ここに来るなんて」
「伝言頼まれたんで」
「伝言?」
「“明日必ずお伺いします”と」
「明日?何かしら…って、ちょっと!誰からの伝言なのかくらい言っていきなさいよ!」




そんなやり取りがあったのが昨日の晩。兄妹は漁の仕事を終え、網の補修の仕方を教わり、夕方近くなってから王宮を訪ねた。

マスルールに言伝てを頼んだが伝わっている自信はなかったし、時間も時間だし、そもそも向こうは会いたくないと思っているかもしれないし…と、門の前でひたすらおろおろしているのがセド。

門兵にヤムライハに会いたい旨、就業時間を過ぎているようなら出直す旨、話が通っていないならまた機会を改める旨をてきぱきと説明しているのがラナンラ。…ラナンラはだいぶセーラに似てきたかもしれない。


「“アールヴの”と伝えていただければたぶん分かると思います」
「“アールヴ”ですか…。今確認して来ますので、しばらくお待ちいただけますか?」
「はい」


一通り説明を終えたラナンラは、未だにおろおろしている兄の背中を叩いた。恥ずかしいからやめなさい、とはまるで母親のような叱り方である。とりあえずセドの背筋だけは伸びたが、相変わらず落ち着きがないので今度はターバンも取り上げた。曰く、中途半端だから諦めがつかないのよ、とのこと。


「ラナンラ!さすがにターバンまで取るのは…!」
「ダメ!お兄ちゃんはこれに頼りすぎ!これじゃまるで赤ん坊のおしゃぶりみたいじゃない!」
「おしゃ…!?」
「今までの仕事なら問題なかったけど、人と人の間で働かせてもらう以上、隠すことは失礼にあたるもの」
「…巨乳は?」
「適度に隠すのがマナーよ」
「不公平だ!イケメンも適度に顔を隠す文化を作るべきだ!」
「この国の王を見たでしょ?そんな文化あったら根絶やしにされるわ」


いったいどんな会話をしているんだ。残っていた門兵たちは内心で首を傾げた。イケメンが顔を隠す文化なんてものがあったら、君自身も顔を隠すべきじゃないのか。あとうちの王をなんだと思っているんだ。…皆思うことは同じである。

門兵たちがそんなことを考えているとは露知らず。ターバンを取り返そうと必死で反論するセド。そうして十分も実のない論争を繰り広げていれば、呼ばれたヤムライハが必死の形相で現れた。


「セド!ラナンラ!あなたたち、また、来て、くれた、の…っ」
「あ、ゆっくりでいいので…」
「ごめん、なさい、走ったりするのはっ、苦手、で…」


息を切らせてやってきたヤムライハ。アールヴの、と門兵から伝えられてすぐに二人のことだと分かったし、マスルールが言っていた伝言の意味も理解した。しかし、息が切れて声が出ない。


「すみません、突然お伺いしたりして…」
「シャルルカンさんに言われて早目に来た方がいいかと思ったんですが、日を改めた方がいいですか?」


一先ず自分たちがこの国で、いつでも会える距離にいることを伝えたかった。その目的は果たせたのだから、あとはヤムライハの都合に合わせたい。

大きく、鐘の音が響く。ヤムライハは首を横に振った。


「…いいえ、せっかく来てくれたんだもの。二人さえ良ければ中で話しましょ?」
「「はい!」」
「それと。さっきから気になってたんだけど、セドはどうして私に敬語を使ってるの?最初に会った時は普通に話してたじゃない」
「いやあ、ガッサさん…お世話になってる漁師さんに八人将の凄さを教え込まれたんで、つい」
「そうなの?前のままでいいわよ、私もその方が話しやすいし。もちろんラナンラもね」


門兵たちの間を通り抜け、門をくぐる。前に来たときは入るときも出るときも通らなかった道で、話しながらも視線は左右に流れがちだ。夕食が近いのだろうか。どこからともなくいい匂いが漂ってきている。

ラナンラは少しだけ、ヤムライハと間隔を開けて歩いていた。兄にああ言った手前、騒ぐことはできないがやはり大きな胸が怖いらしい。なるべく視界に入れないようにしているのがその証拠。

ヤムライハは机や椅子のある黒秤塔ではなく、中庭へと二人を案内した。最初にちゃんと話をしたのはこの場所だったし、二人には堅苦しい臭いのする部屋より拓けたこの場所の方が合っていると思ったからだ。


「さてと。たしか、なぜ耳が大きいのかってところまで聞いて馬鹿に邪魔されちゃったのよね」
「馬鹿…」
「ふふふ、あいつなら今頃海の上だから邪魔される心配はないわ」


へっくしょい。どこかで誰かがくしゃみをした。

セドは苦笑しながら腰を下ろし、それとなく話の続きを促す。前回はパパゴラスと格闘していたラナンラも、その隣に腰を下ろした。


「アールヴの民にもルフの声を聞く力には個人差がありま…あるんだ。俺たちも小さい頃はそれなりに聞こえてたけど、今は嵐とか、大きな火のそばとか、魔力の溜まる場所じゃないと聞こえない」
「それはつまり、大人になると力が薄れるってこと?」
「ううん。村のじじばばはもっとはっきり聞こえる。私たちはファナリスの血を引いてるから、そのせいだろうって」


特徴的な、大きな耳。しかし髪の色、目、身体能力はファナリスのもの。二人の中の血はファナリス側に大きく傾いている。大きな耳はルフの声を聞くためでなく、視覚を補う方向へと発達した。

そんな二人は村で重要な役割を担っていたという。極めて脆弱なアールヴの民は自らを守る術を持たず、故に山奥でひっそりと暮らしている。その村を守っていたのがセドとラナンラ、それと純粋なファナリスである母親だった。


「ちょっと待って、それってあなたたち三人とも村から離れて大丈夫なの?」
「うん。お母さんと俺たちが生まれる前は村人だけで村を守ってたし、そもそもルフの加護があるから普通の人は村に入れないし」
「ただ力仕事をできる人がいないって問題はあるけど」
「あ、そういう問題…」


もしや一大事なのではと肩を強ばらせてしまったが、平和的な理由で安心した。


「でも祭事の時は困るかも」
「うん」
「祭事?」
「年に一度、ルフへの感謝を捧げる日があって、俺たち二人がその躍り手だったんだ。体力もあるし、動けるからって」


祭りの躍り手は他にもいる。ただ、ここ数年は兄妹が中心に立って演舞を務めていた。音に合わせ、感謝を込めて踊るとルフたちが歌い出すのだという。

見てみたい。その言葉を飲み込んで、ヤムライハはルフの歌についてを尋ねる。年に一度の神聖なもの。きっと自分が気安く踏み込んではいけない領域なのだろう。そう悟って。


(いつか見れたらいいな、とは思うけど)


その“いつか”はそう遠くない未来のこと。



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