「…というわけで、シャルルカンさんは俺たち兄妹に勇気をくれた素晴らしい方なんです!」


漁の仕事が一段落した午後。昼寝から覚めた兄妹は、酒を片手に漁師たちからの質問攻めにあっていた。探している母親はファナリスで、自分たちはその血を半分引いていること。父親譲りで耳が大きいこと、視力が低いこと。最初にこの国に着いた時、二人のファナリスを母親と勘違いした関係で王宮に泊まったこと。その時にシャルルカンにもらった言葉のこと。

シンドリアに着いてまだ数日しか経っていないが、話題の種は尽きなかった。


「…何と言うか、お前ら二人はいろいろ規格外だな」
「え、そうですか?」
「“そうですか?”じゃねえ!あのシンドバッド王に間近で対面しただあ?羨ましいじゃねえかこの野郎!」
「い、痛いですガッサさん…!」


酔った勢いもあって、力任せにセドの頭を撫でるガッサ。ラナンラは少し距離を置いてその様子を眺めている。

実際は、イケメンに囲まれていたせいで顔も何もろくに見ていない。だから対面と呼ぶには些か語弊がある。…と、反論しても直接言葉を交わしたというだけでこの国の国民にとっては十二分に羨ましいことなので、やはりガッサの力は緩まなかった。そこへ見かねたセーラが助け舟を出す。


「あんた、その辺で勘弁してやりな。セドが困ってるじゃないか」
「へーへー」
「悪いね。うちの旦那は絡み酒だから、適当なところで逃げておくんな」
「あ、いえこれくらいなら別に」
「っとに、若い子にまで気を使われて世話ないね!」
「あ痛!」


強めの平手がガッサの背中に入る。丸まっていた背中が真っ直ぐに伸びて、絡み酒の対象がセーラへと移った。しかし、さすが夫婦と言ったところか。ガッサのあしらい方も慣れたものだ。セーラは適当に相槌を打ってかわすと、兄妹に向かって小さく手招きをした。


「せっかくなんだから、シンドリア観光に行ってきな」


そう言って、二人に小遣いを持たせる。

まだ給料をもらえるほど働いていないと二人は戸惑った。だが、この国をもっと見て欲しいというセーラの言葉に押され、深く頭を下げてお金を受け取る。

今日の漁では水揚げの仕事しか参加しなかった。ガッサたちは大漁だと喜んでくれたが、本当なら他にも仕事はたくさんあったはずだ。競りはもちろん、網の補修や船の点検、魚の運搬だってあっただろう。もらった小遣いを握りしめて酒場を後にし、二人は明日からもっと頑張ろうと頷きあった。


「…それで、これからどこに行く?お小遣いはできれば使いたくないんだけど」
「やっぱりバザールじゃない?見て回るだけでも楽しいと思うよ」
「ターバン…」
「お兄ちゃん、そろそろ慣れて。熱くて蒸れるでしょ?」
「…うん」


付き合いで顔を隠すのも嫌気が差してきたらしいラナンラ。シンドリアは気候的に蒸し暑いし、日中に顔を布で覆うのはなかなかきついものがある。仕方なく、セドはターバンにかけた手を離した。

視力の低い二人は、聴覚と嗅覚に頼りながら道を辿る。食べ物や香、染料など様々な匂いが流れてくる先。それに大勢の人の声も聞こえるから、道は尋ねずとも迷うことなく進めた。

そうして十分も歩けば、港とは違う活気に溢れたバザールが見えてくる。


「そこのお兄さん、おひとついかが?」
「今朝獲れたばかりのパパゴラスの肉はどうだい?この国に来たならこいつは食っておくべきだぞ!」
「輸入物の服ならうちが一番の品揃えさね!見て行っておくんな!」
「流行りの香はこちらよ。必ず気にいる香りが見つかるわ」


人、人、人。道行く人々は肌の色、目の色、髪の色、どれも入り乱れて国籍が分からない。商いの声はあちこちから飛び交い、並ぶ品々も二人が見たことのないものばかりで目移りしてしまう。今までに見たどの国よりも、活き活きとしている。二人はそう感じた。


「すごい…。こんな国初めてだよ」
「この国を、あのシンドバッドって人が作ったんだよね…」
「たぶん。ガッサさんがそう言ってたから」
「すごい人だったんだね」


シンドリアは観光地だ。当然、シンドリア国民だけでなくよそから来た観光客もいる。そのどちらもが、生きる力に溢れている。これは王の力あってこそなのだろう。


もらったお小遣いは使うつもりがない。しかし客引きの声は絶えずかかり続けるので、二人は早々に通りから外れた道へと逃げ込んだ。本当はもっとじっくり見たかったが、ただでさえ人混みは苦手なので仕方ない。

そのままふらふらと、あてもなく歩き続けた。幾重にも積み重なる家、時折顔を出す不思議な動物たち。バザール以外にも見ていて楽しいものはたくさんある。

そして市街地からだいぶ外れた位置まで来た時、嗅ぎ慣れた匂いが鼻先を掠めた。森の中からファナリスの匂いが二つ、流れてきている。


「お兄ちゃん」
「ああ。二つってことはたぶん、マスルールさんとモルジアナさんだと思う」
「行ってみよ。私、お母さん以外のファナリスって興味がある」


二人はそのまま森へ入ることにした。森の中には木の実がなっており、匂いを確認して問題のなさそうなものをかじりながら歩く。甘い匂いが立ち上ぼり、それは森の奥にいた二人にも届いた。

ファナリスの匂い。だけどよく嗅ぐと少し違う、匂い。手合わせをしていたマスルールとモルジアナはぴたりと動きを止め、匂いのする方へと歩き出す。

二組が鉢合わせるのに、そう時間はかからなかった。


「「あ、」」
「「……」」


しかし、会ったところでどうしようとまでは考えていなかった。セド、ラナンラはほぼ硬直。マスルールは普段通りの無表情。辛うじてモルジアナがこんにちはと頭を下げたので、兄妹は慌てて頭を下げた。


「こ、こんにちは。先日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。…ところで、お二人はここで何を?」
「鍛練」
「同じファナリスだから、指南していただいていました」
「兄妹だからじゃなくて?」


こてん、とラナンラが首を傾げる。漁師に聞いた話からてっきり二人は兄妹だと思っていたのに。何の気なしにそれをそのまま言ったら、モルジアナの肩がびくりと跳ねた。おろおろと、助けを請うようにマスルールを見上げている。

マスルールはそんなモルジアナの顔をじっと見て、無造作にその頭を撫でた。相変わらず表情に乏しいので、何を考えているかは分からない。


「違う。けど似たようなものだ」
「!」
「あ。赤くなった」
「!!」
「仲がいいんですね!」


顔を真っ赤にして必死に首を振るモルジアナ。彼女は兄妹という言葉を否定しているつもりなのだが、この場合は仲がいいと言われて恥ずかしがっているようにしか見えない。

まあ、俺たちも毎日手合わせしてるしなあ、と自己完結してしまったので、結局兄妹という認識は変わらないままだった。



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