図書委員



委員会の合間に、懐に入れた手紙を何度も読み返した。差出人は実兄。歪むことなく丁寧に綴られた文字は兄の気質を表しているようだ。もちろん、返事は書こうと試みた。試みたというのは、つい癖で人の読めない字、つまり暗号で書いてしまってまともな手紙にならなかったからだ。二、三日続けたところで匙もとい筆を投げた。

「もう中在家先輩に代筆頼むしかねえかなあ」
「中在家先輩がどうかした?」
「ああ、この際雷蔵でもいいぞ。…いや、やっぱりお前は大雑把だから駄目だ」
「なんだかよく分からないけど馬鹿にしてるでしょ」
「してないしてない」

本来ならば俺の当番ではないので図書室にいる必要はないのだが、いつまた俺お手製暗号図書カードが出てくるとも分からない。よって常時待機が基本となっている。
今日も今日とて壁際の定位置に陣取り、適当な巻物片手に時間を潰していた。そして同じ五年の雷蔵は本日の図書室当番で、たまたま聞こえた俺の独り言を拾い上げたという次第。少々機嫌を損ねはしたものの、適当に手の平を振って流すと『まあなんでもいいけど』とあっさり引き下がる辺り、やっぱり大雑把なんだよなあ、雷蔵は。

(でもまあ中在家先輩に頼むのもなんだし…。うちの組で字が綺麗なのは保健の菊治郎、体育の春時、作法の雪之助に用具の黒彦ってとこか)

菊治郎はダメだ。折角書いてもらっても不運を発動させて無駄になるのが見えている。春時は委員会活動で捕まらないし、雪之助はいらん世話まで焼きそうだから却下。となると、

「雷蔵、少し席を外すぞ」
「え?いいけど、どこに行くの?」
「たぶん、用具倉庫。いや、今日は食堂か?まあとにかく図書室閉める前には戻ってくるから」

後ろ手にひらりと手を振って戸を開ける。いってらっしゃい、遅くならないようにね。なんて、お前はどこの嫁だと突っ込みたくなった。

用具倉庫へ向かう途中できり丸とすれ違ったら、先輩が図書室にいないのって珍しいですねと目を丸くされた。
突然背後から現れた三郎には“アレ”を貸してくれと言われた。今日は休館日だと返したらさっさと消えた。
土を吐き出す穴があったので覗きこんだら四年の綾部喜八郎がいた。あまり黒彦の仕事を増やしてやるなと言ってみたが、聞こえたかどうか定かでない。

「…っと、いたいた。おーい黒彦ー」
「名前?」

綾部が掘り散らかしたらしい穴ぼこ地帯を抜けた先、用具倉庫の前に黒彦はいた。こいつは基本的に高所作業が主だから、こうしてすぐに見つかったのは運が良い。

「珍しいね、委員会はどうしたの?」
「抜けてきた。別に少しくらいなら大丈夫だろ。それよりだな、お前に折り入って頼みがあるんだが」
「私に?」

もう頼めそうなのがお前しかいないんだ。そう言って懐に入れた兄の手紙を取り出し、躊躇う黒彦に構わねえから読めと押し付けた。
ゆっくりと、丁寧に広げられた文に視線を滑らせる黒彦。本題を読んだところで一度目を見開き、次の瞬間には柔らかい笑みに変わる。そして最後の一字まで追い終わると、柔らかく目元を緩めた顔が手紙から上げられた。

「おめでとう名前。お兄さん、ご結婚なさるんだね」
「ああ。親も早く孫の顔見せろって喜んでる」
「ふふ、名前も嬉しそうで良かったよ。でも、この手紙と頼みというのに何の関係が?」
「よくぞ聞いてくれた。お前は本当に話が早くて助かる」

兄からの手紙は来月に嫁さんを貰うというものだった。奥手な兄に嫁いでくれる嫁さんが見つかって嬉しいという気持ちはあるし、祝ってやりたいという気持ちもある。そしてすぐにでも返事を書いて出したいのだが如何せん、冒頭の問題にぶち当たってしまったというわけだ。

「つまり、黒彦に手紙の代筆を頼みたい」

兄貴も読めない手紙なんぞ寄越されても迷惑なだけだろうしな。気恥ずかしさはないが、気まずさはある。それを誤魔化すように首に手を当てて顔を逸らしていたら、胸の辺りでかさりと紙の鳴る音がした。

「残念だけど、そういう頼みなら私は断るよ」
「あ、おい!面倒だって言うなら今度ランチ奢るから…!」
「駄目です。それは名前が書いたものでなければ意味がない」
「…そりゃ分かっちゃいるが」

読めなかったら本末転倒だろう。無理矢理懐に戻された手紙を入れ直し、少々恨めしげに黒彦を見る。だが奴も奴で譲る気はないらしく、先ほどとは違って堅い表情でこちらを見ていた。

「黒彦」
「駄目です」
「そこをなんとか」
「駄目ったらだ、め、です」
「…何が、駄目なんだ?」
「「な、中在家先輩!?」」

もそりとした声が間に挟まれ、慌てて声がした方を振り返る。するとそこにはいつもの不機嫌そうな顔で佇む中在家先輩がいた。

「中在家先輩がどうしてここに…」
「雷蔵に、聞いた。…それより、」

何が駄目なんだ?もう一度同じ質問を向けられた黒彦は、恐る恐るといった様子で話し始める。たぶん、黒彦が頑なに“駄目”なんて言うのは珍しいから中在家先輩も気になったんだろう。かくかくしかじか。中在家先輩は相槌も何もないから話しにくそうだ。

「…というわけがありまして」
「分かった。名前」
「あ、はい」
「代筆は頼むべきではない。…が、手伝うことならできる」
「手伝う…?」
「名前が違う字を書きそうになったら注意する…とかでしょうか?」

こくり、と首肯がひとつ。そういうことなら喜んで、と同意がひとつ。まあ子供の手習いみたいに一緒に筆を持つよりましか、と妥協がひとつ、出そろった。

「…じゃあ、それでお願いします」

心優しい友人、先輩。文句なしの講師が二人もいるんだ。さすがの俺でもまともな手紙が書けそうだと、照れの混じった笑みが自然と溢れた。



五年は組