浮いた思惑落ちる鼻先



結局、あの後は二度ほど落とし穴に落とされてしまいました。すぐ横を走り回っていた喜八郎も私と同じく泥だらけ。おまけに委員会が始まる頃にはお互いの後輩たちが呼びに来て『喧嘩はやめてください』と言われてしまう始末。…平くんは七松先輩に拐われていました。

遅れてやって来たとめ先輩は笑っていて、端にいた立花先輩に穴埋めを手伝うよう交渉していました。さすがにそれは無理があるのではと思うのですが…。


「おや、鼻の頭に泥がついているね」
「拭いてください」
「じゃあじっとしていて」


喜八郎の顔に付いていた汚れを拭ってやりながら考える。きっと今日の委員会活動は落とし穴の後始末で終わってしまうでしょう。

棗さんに会いに行く約束はどうしようか。私はいつでも構わないけれど、勘右衛門くんたちとした約束は守りたい。でもあまり遅くなっては棗さんにも迷惑をかけてしまうし…。

汚れの取れた喜八郎は立花先輩に呼ばれてふらふらとそちらへ向かう。そうだ、立花先輩も明日からしばらく留守にされるから、喜八郎が委員会をまとめなければならないんだ。


「名神、ひとつ頼みたいことがあるんだが」
「え?…あ、はい、なんでしょうか…?」
「私が留守の間、この馬鹿の面倒を見ていてくれ」
「だそうです」


立花先輩が私に頼み事なんて。心当たりを探す間もなく喜八郎を指差す立花先輩、まるで他人事のように言葉を繋げる喜八郎。

喜八郎の面倒を、見る…?


「返事は」
「は、はい」
「よし。兵太夫、伝七、藤内。もし喜八郎が見付からない時は名神の所へ行くように」
「はーい」
「分かりました」
「えっと…はい…」


訳も分からないまま話が進められていく。喜八郎の面倒を見るだなんて。それはつまり、六年生が留守にしている間、用具委員会と作法委員会の二つを見るということなのでは…。いえ、喜八郎を信じなくてどうするのですか。


「喜八郎はやれば出来る子だね?」
「たぶん」
「それじゃあ、委員長代理としてしっかり務めを果たさなければならないよ」
「はーい」


気のない返事。少々心配ですが、まだ始まってもいないことをいつまでも気に病んでいても仕方ありません。私は交渉を諦めたらしいとめ先輩の後ろについて、鍬や鋤を取りに用具倉庫へ向かいました。

用具倉庫前にはよい子四人が私たちを待っていました。とめ先輩が今日の委員会内容を簡単に説明すると、作兵衛が一年生三人にも出来ることを振り分ける。まずは長屋周辺の穴埋めから片付けてしまいましょう。あそこは一番人の往来が多い場所ですから。


「そういや黒彦は綾部と仲が良いんだな」
「はい。喜八郎は実家の常連で」
「常連?」
「父が鋳物師なんです」
「ああ、それでか」


抱えた鍬が鳴る。これも実家から仕入れた物です。喜八郎が使う踏子ちゃんとテッコちゃんも、同じく父が拵えたもの。


「長期休暇の時も一緒に帰るんです。まず父に踏子ちゃんとテッコちゃんを預けて、登校する時にまた私の家に寄って」
「知らなかった…」
「その、お話しする機会がなかったので…」


何やら気落ちしている様子のとめ先輩になんと声を掛けていいものか迷ってしまう。けれど、こうして私自身の話を聞いてもらえることがとても嬉しい。これからはとめ先輩のお話もたくさん聞ければいいと、緩む頬の下に願いをそっと隠しました。


長屋に面した中庭に着き、みんなで抱えたり担いだりしていた鍬を地面に下ろす。まずは私ととめ先輩で印のない穴がないかを探し、あれば被せた土を踏み抜いて下準備。通り抜けようとする保健委員は手を取って誘導しながら作業をしました。

どうにかこうにか長屋周辺の穴を埋め終わった頃、同じく委員会に目処をつけたらしい勘右衛門くんと兵助くんが現れました。とめ先輩に一言かけて、二人に駆け寄る。


「お疲れ黒彦、今回は綾部も派手にやったねえ」
「もう埋め終わったのか?」
「とりあえず、長屋の周りだけ。まだ他の場所は回れてないんだ」


ぐるりと見渡してみると、思ったよりも色の違う土が多いことに気付く。一年生三人はすっかり疲れきっていて、廊下に寝そべってぐったりしています。さすがの作兵衛も疲れた様子。留守の間、とめ先輩が心配しないようにと頑張っていたから。


「黒彦、鍬片付けたら終わりでいいからな。明日以降の委員会活動に関しては先に話した通りだ」
「分かりました。下級生はお任せしても?」
「ああ。…っと、別に俺の分まで片付ける必要はねえぞ」
「ついでですから、お気になさらず」


放り出されていた分も合わせて計六本の鍬を肩に担ぐ。これくらいは家の手伝いで運ぶこともよくありましたから、多少重くとも気にはなりません。

恐らく棗さんのことで会いに来てくれたであろう二人に向き直る。棗さんと一緒に夕飯をとる約束をつけてきたとのことで、食堂が混む時間からずらして集まることになりました。楽しみがまたひとつ増え、肩にかかる重さも忘れてしまう。きっと、おばちゃんの料理もいつも以上に美味しく感じることでしょうね。





「ようやく動き出したか」
「なんだ仙蔵、盗み聞きか?」
「立ち聞きだ」
「大して変わんねえだろ…」


消えた群青色と入れ替わるように、緑の影が音もなく現れる。呆れた声色を物ともせず、すました顔で言葉を躱すは立花仙蔵。溜め息を返す食満も、瞬きひとつ後にはどこか面白がるような表情をしていた。


「ったく、ろ組の連中は何をしているのやらだな」
「つつけば存外面白いものが見れるかもしれんぞ?」
「どうせ俺らは明日から実習だよ」
「それもそうだ」


今度は立花が溜め息を吐く番だった。

何かもっと面白いものはないものか。そう呟いた彼らが厄介事を拾って帰ってくるのは、遠くない未来のことである。




浮いた思惑落ちる鼻先


(24/25)


色変わりて