螺旋回りて何時かへもどる



人が捌け始めた食堂を目指し、目当ての人物がいたことにほっと胸を撫で下ろす。


「棗さん、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「おお、黒彦も今からお昼?いいよ、一緒に食べよう」


昼休みもじきに終わろうかという時間、棗さんは今日のお品書きの前で仁王立ちしていました。二人で残っていた山菜定食を注文し、お盆を持って席に着く。

明日から六年生が一週間ほどの実習に向かうらしく、先生方はそちらにかかり切りのため午後の授業はお休みとなりました。委員長を務めている先輩方は委員会の引き継ぎのために駆け回っており、学園全体がどこか落ち着きないように思えます。

そのことを知らない棗さんは忙しそうだね、と大して気にしたふうでもなく箸を取る。


「そういや黒彦はこんなにのんびりしてていいの?」
「今日は午後からお休みになりましたから」
「ホント?じゃあ喜八郎か文次郎でも捕まえて花札できないかな」
「喜八郎は分かりませんが、潮江先輩は明日から一週間は実習なので…」
「あー…じゃあ誘えないな」


少しがっかりしたように肩を竦める棗さん。医務室での一件から潮江先輩を気に入ったようで、あれからも度々花札に誘っていました。…しかし、洞察力で勝る潮江先輩も運の要素にはとことん弱いらしく、棗さんから一度も白星を勝ち取れていないのが現状です。

そうして食事が半分ほど進んだ頃、私は箸を置いて二人のことを話題に出しました。


「あの…棗さんさえよろしければ、会っていただきたい人がいるのですが…」


慣れない話題に言葉尻が萎んでいく。

棗さんがいらしてからそれなりの時間が経ちましたが、これまでに会わせたい人がいるなどと言い出したことはありません。きっと驚いたのでしょう。棗さんも私に釣られるように箸を置きました。


「別に構わないけど…。あたしの知ってる人?」
「五年い組の尾浜勘右衛門くんと久々知兵助くんです」
「あー…ダメだ、覚えてない。見た目は?」
「二人とも長い黒髪ですね」
「さらっさらの?」
「それは六年生の立花先輩かと…」
「じゃあやっぱり覚えてないわ」


おどけるように肩を竦めて見せ、棗さんはまた箸と味噌汁を手に取る。覚えていない、ということは悪い印象もないと考えていいのでしょうか。

悶々と考えながら食事を再開させると、少しの間沈黙が続きました。




「友達?」


不意に、どことなく嬉しそうに口元を緩めて、私に問いかける。なぜか恥ずかしくなって、私は手に持った味噌汁に視線を落としながら小さく“分かりません”と答えました。


「そっか。会うのが楽しみだな」


胸を張って友と答えられたなら、それは幸せ以外の何ものでもないでしょう。

深くを追求してこない棗さんに甘えつつ、遅めの昼食を終えました。


昼食の後、棗さんはくのいち教室の風呂掃除に向かい、私は用具倉庫へと向かいました。そこでは既に食満先輩が用具を引っ張り出したり、何かを書き留めたりと忙しなく動いているところで。何か手伝わせてくださいと声をかけると、食満先輩は嬉しそうに笑ってくださいました。


「今丁度お前を呼びに行こうかと思ってたんだ。時間、大丈夫か?」
「はい。そのために来ましたので」
「悪いな。少なくとも一週間は空けるから…その間にやることはこれに書いてある」
「分かりました」


先ほどまで食満先輩が筆を走らせていた一枚の紙。後から分からないことが出てきては困るからと、その場ですぐに目を通しました。


一、綾部が掘り散らかした落とし穴の処理
二、小平太がぶっ壊した薬草園の柵の修理
三、生物委員会の飼育小屋の補修


「綾部の奴、癇癪起こしたのかなんなのか知らねえがいろんな所に穴掘っててな…」
「そういえば…つい最近も三年の三反田くんが落ちたと聞きました」
「そうなのか?まあ、保健委員はいつものことと言えばそれまでだが、さすがに数が多すぎる」


そう言って溜め息をつく食満先輩の姿に湧いた罪悪感が、ちくりと胸を刺す。喜八郎がいつもよりたくさん穴を掘るのは、決まって何かを察して欲しい時です。

勘右衛門くんも兵助くんも委員会に六年生がいないので引き継ぎはない。しかし、作法委員会は立花先輩がいなくなってしまうと上級生は喜八郎一人に…。


「とりあえず今日の委員会はもう一刻経ったら始めるから、それまでは好きにしてていいぞ」
「すみません、お言葉に甘えさせていただきます」
「そんなに畏まらなくていいんだが…もう少し、こう…」
「あ、の、すみません…何か不快にさせてしまうようなことを…」


まだ時間があると聞いてすぐにでも喜八郎を探しに行こうとしたのですが…。食満先輩の一言に後ろ髪を引かれ、震えそうになる声で必死に言葉を絞り出す。

そんな私の様子を見て気遣ってくださったのか、食満先輩は慌てたように手を振って否定しました。


「ああ、違う!そうじゃなくて…ほら、昔みたいに“とめ先輩”って呼んでくれないかなあ…と、思ってだな…」


一瞬の、間。

言われた言葉の意味がすぐには理解できず呆けている間に、食満先輩の顔が見る見る内に赤らんでいく。

…あれは私がまだ一年生で、食満先輩が二年生の頃でした。末っ子だった私は家族が恋しくて、いつも気にかけてくださる食満先輩を兄のように慕っていました。

その時、呼びやすい名前で呼べ、と笑った食満先輩。私が私を見失ってから、長く呼ぶことのなかった名前。


「…とめ先輩、落とし穴のことは喜八郎にも言って聞かせておきます」
「え!?…あ、おう!頼んだぞ!」


懐かしさと照れ臭さ。互いに赤味を帯びた頬で笑い、私は再び親しみを込めた名前で呼べることの嬉しさを、そっと噛み締めました。




螺旋回りて何時かへもどる


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色変わりて