列成す幸せあなたと拾う


(富松視点)


(あ、)


と思った時には、すでに身を隠していた。何故と聞かれればなんとなくとしか答えようがないのだが、自分が割って入れる雰囲気でなかったことは確かだ。……たぶん。

医務室の濡れ縁に並んで腰掛けるのは委員会の先輩二人。普段は先輩方が目を合わせるところすら見たことがない。俺にはそれなりに話し掛けてくれる名神先輩は、どういうわけだか六年生を苦手としていた。

もちろん、名神先輩の噂は俺も聞いている。委員会に入ってすぐの頃はおっかなくてしょうがなかったし、噂を鵜呑みにしてたのもあってビビりまくってた。でも、一年が過ぎて、二年が過ぎて。少しずつだけど名神先輩に対する苦手意識みたいなものは薄れてきている。


(でもなんで名神先輩って六年生が苦手なんだ…?)

「作兵衛何してんの?」
「…ぎゃあああああああ!!」


どっぷりと思考の海に沈んでいた俺は背後に迫る人影に微塵も気付かなかった。ついでに言うと気配は愚か、砂利を踏み締める足音すら消えていなかった上に相手は忍のたまごですらないのに、だ。

なのに悲鳴まで上げちまったとか、相手はあの棗さんだったとか、今ので先輩方にも見付かったとか、長屋の方が急に騒がしくなったとかな!…思わず綾部先輩の印を探す程度には動揺した。


「な、棗さん…!脅かさねえでください!」
「驚いたのはこっちだっつーの。ちょっと声掛けただけで化け物にでも遭ったみたいな悲鳴上げて」
「あ、いや、その…すんません」
「うん。作兵衛は存外素直だから好きだよ」
「はあ…」


真顔で頷く棗さんに曖昧な相槌を打つので精一杯。この人は本当に“分からない”という言葉がよく似合う。

何を考えてるのか“分からない”
どこから来たのか“分からない”
目的があるのかも“分からない”

まあ、あまりにも分からないことだらけ過ぎて例のクラス対抗戦が始まっちまったわけだが、名神先輩と一緒にいるこの人を見る限り、とても悪い人には見えなかった。そしてほぼ無意識に呼んだ棗さんの名前は、食満先輩の声によって遮られた。


「作兵衛!今の悲鳴は何だ!?何があった!?」
「い、いや、別に何もねえです!」
「あたしが急に声掛けたせいだよ。あと二人ともおはよう」
「おはようございます。棗さん」
「あ、おはよう…じゃなくてだな!」


俺の声に気付いた食満先輩と名神先輩が慌てて走ってきた。棗さんはあっけらかんと答え、二言目には朝の挨拶。本当にこの人は…。


「作兵衛もおはよ」
「は、はい!おはようございます!食満先輩と名神先輩もおはようございます!」
「おう、おはよう…って、だから!…あー、もういいか」
「おはよう、作兵衛」


最初こそ納得のいかなさそうな顔をしていた食満先輩も最終的には諦めたらしい。俺も反射的に挨拶を返しちまうわで、なんかもうグダグダだ。棗さんの中でこの話はもう終わったのか、次の瞬間には少し難しい顔で名神先輩の顔を見ていた。


「そういや黒彦さ、もう走ったりして平気なの?」
「はい。薬も頂いたのでなんともありませんよ」
「ちょっと待て。伊作は今日も一日絶対安静っつってたぞ?」


名神先輩の顔色は平時より幾分か悪い。でも“なんともない”という言葉が嘘というわけでもないように見える。というかそもそも俺は名神先輩は誰かに薬を嗅がされて倒れたって話しか聞いてねえ。…ま、まさかその“誰か”ってのはドクタケみたいな悪い城の忍で“薬”ってのは相当やばい毒薬だったんじゃねえのか…!?

あり得る!学園の中に無断で侵入するにはあの小松田さんを突破しなきゃならねえから無理!でも名神先輩が倒れていたのは学園の外!そうだ、もう演習中に敵に襲われたとしか考えられねえ!


「名神先輩!!」
「は、はい…?」
「早く医務室に戻ってください!このままじゃ名神先輩が死んじまいます…!!」
「あの、薬は頂いたし、あれは毒薬でもなかったから…」
「いいんです!先輩が俺たち下級生を心配させないよう嘘をついていることは分かってます!だから一年坊主たちにバレる前に早く治してください!」


なかなかその場を動こうとしない名神先輩の背中をぐいぐいと押す。ああ、あんなにでけえと思ってた名神先輩の体がこんなに細っこいなんて…!きっとこの人は寝る間も食う間も惜しんで委員会の仕事をしてくださっていたに違いねえ!


「名神先輩!俺、もっともっと頑張ります!!」
「よくわからないけど、無理だけはいけないよ…?」
「はい!」


尚も不思議そうに首を傾げる先輩だったが、その内俺の隣に並んで医務室への道を戻り始めた。ありがとうと言った先輩の声は、なんとなく震えている気がした。ああ、やっぱりまだ具合が悪いんだ…!


「あんた、良い後輩に恵まれたな」
「棗さんに言われるのも癪ですが…俺もそう思います」




列成す幸せあなたと拾う


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色変わりて