塁月ありて理解は遠し



東の空が白みはじめた頃、ようやく目が覚めました。吸い込んだ薬が抜けきっていないのか、体には僅かばかりの違和感が残っています。演習には問題なさそうですが。

それはそうと、昨日いらっしゃった方々はいったいどのような目的があったのでしょうか。眠らされた以外に体の異常はなく、盗られたようなものもありません。物色した形跡がないところからして、恐らくは上級生の仕業。


(…今のところ実害は出ていないので良しとしましょう)


寝間着から忍装束に着替えて部屋を出ます。人の少ない食堂で朝食をいただき、おばちゃんから昨日夕飯を食べに来なかった理由を尋ねられ、曖昧に笑ってその場は逃げました。

演習は朝からでしたので、逃げたその足で演習場所である裏々山まで向かいます。今日は五年は組だけでの札取り合戦。ペアは組まずに単独で。一人一枚配られた札を三枚集めた時点で勝ち抜け、という簡単なルールです。けれど協力するな、という言葉はどこにもありませんでしたから、私は今こうして囲まれているわけです。


「黒彦。大人しく札を出せ」
「それは、できません」
「囲まれてるのはわかってるだろ?」
「は、い」
「いくらお前でもこの人数を相手にするのは無理だ」


だからと言って、おいそれと札を差し出してはなりません。これが実際の任務だったとしたら?自分の命惜しさに情報を差し出して数多の命を危険に晒せと?ああ、それだけは決してあってはいけない。


「渡せないものは、渡せません」
「チッ、追え!」


逃げる。逃げる。木々の間を縫うように走って跳んで、誘い込む。演習場所が裏々山で助かりました。あとで喜八郎にお礼を言わなくては。


「あんの穴掘り小僧…」


追手が忌々しげにそう呟いたのは少し離れた場所から聞こえた悲鳴のせい。私は用具委員で、喜八郎が掘った蛸壺を埋めるのも私の仕事。最近は悪戯に印を置かないこともありましたので、それなら裏々山まで行きなさいとたしなめもしました。

実際、一週間ほど前に喜八郎はここを訪れており、演習前に確認すれば土の山ができている場所もありました。つまり、先ほどの悲鳴は彼の落とし穴に落ちた方の悲鳴、というわけです。


(…二人、ですか)


人数が減ったところで足を止めます。これ以上無闇に走っては私まで落ちかねません。飛んできた手裏剣は苦無で弾き、一人二人と間合いを詰める。体術は私の得手ではありませんが、好んで使う技ではありました。

私の中の誰かは闘う時、足を止めるなと教わったそうです。前後に開いた足に交互に重心を移すこの歩法。忍は極力音を立てず、静かに期を待つものですから、この歩法は忍に非ずと否定されることが多かった。理に叶っていると思うのですが、ね。





「…先生、私のものと合わせて三枚、札を集めました」
「よろしい。合格だ」


走り回ったせいで増した体の痺れに顔をしかめ、それを悟られないよう必死に足を動かす。忍術学園に戻ったらまず、喜八郎にお礼を言わなくては。おばちゃんに心配をかける前に、食堂へ行って昼食を頂かなくては。保健室へ行くのはそれらが終わった後でいい。

ああ、いったい誰でしょうか、こんな厄介な薬を使ったのは。私はこれほどまでにどこかの誰かに嫌われていたなんて、知りたくありませんでした。



塁月:るいげつ
月を重ねること。




塁月ありて理解は遠し


(11/25)


色変わりて