今までずっと、なんでもない願いが続いていたのに。鞄の奥でいつの間にか潰れていたプリント。それと一緒に出てきた、いつもの紙切れ。


友達を泣かせてください


一瞬、書かれた内容が理解できなくて、瞬きを忘れた。泣かせるって、なんだ。悲しませろってことなのか、感動させろってことなのか。それとも…なんだ。ああ、これから風丸の家に行くのに。気分がもやもやして普通の顔ができないかもしれない。ただでさえ、薄々感付かれてるっぽいのに。


(今日泊まりに来いって誘われたのだって、)


もしかしたらそのことかもしれない。




全国大会が始まってから、練習は今まで以上にハードになった。一回戦で全国レベルを見せつけられたからってのもある。でも、一番の理由はあの帝国が初戦で敗退したってことだろう。皆それぞれ、思うことはあったはず。

俺だって頑張って遅刻しないように早く起きて、少しでもボールに長く触れていたくて遅くまで残るようにしている。だけど正直、家が遠いのがキツかった。授業中とかすげえ眠いし。

その点、風丸の家は雷門中学区内。俺の家なんかよりずっと学校に近い。それで羨ましいって騒いでたのもあるんだろうけど、泊まりに誘われた。親がどっちも夜勤でいないとも言ってた。


一度着替えを取りに帰って、既に出来上がっていた晩飯をタッパーに詰めてもらって家を出る。雷門中の最寄り駅に着けば、改札の外で風丸が待っていた。待った?今来たとこ。なんかデートみたい。アホか。なんてやり取りをして風丸家へ。当たり前なんだけど、風丸の家は風丸の匂いでいっぱいで、なんだかほっとした。


「晩飯は?食べてきたか?」
「いや、持ってきた」
「そうか。じゃあ俺はコンビニで何か…」
「風丸の分もあるぜー」
「え?…って、持ってきたってタッパーでかよ」
「おう!かっぱらってきた!」


母さんお手製の唐揚げ。風丸の分も詰めてって言ったら喜んで詰めてくれた。母さんは風丸のこと気に入ってるからな。野菜も食べなさい、とカボチャの煮付けやらサラダやらも渡された。味噌汁も水筒に入れて持ってく?って言われたけど、さすがにそれは断った。


「悪いな、俺の分まで」
「いいのいいの。母さんも喜んで詰めてたし。あ、米だけ炊いてもらっていい?」
「ああ。俺の部屋のゲームは勝手にやってて良いからな」
「さんきゅー。んじゃ部屋に行ってるわ」
「ん」


ここんとこ忙しくてなかなか来れなかったけど、一年の時の夏休みだとか冬休みにはよく泊まりに来てた。勝手知ったるなんとやら。風丸の部屋の位置も、ゲームの位置もコンセントの位置も把握済み。適当なディスクを入れてゲームを起動。メモリーカードを見れば俺のデータが残っていた。


「うわ、半年前のデータじゃん。よく消してなかったなー」


風丸も律儀だな、なんて一人で笑ってゲームを進める。

俺の中で風丸は、特別だ。友達なんだけど、友達じゃない。もっと特別な何か。…上手く言えない。俺はまだ、その名前を見つけられていない。




「片貝」
「んー。早速ゲーム借りてるぞー」
「…ああ」


しばらくして、風丸が部屋に戻ってきた。俺はテレビ画面を見たまま生返事を返す。風丸の返事もどこか気が入っていない。おまけに部屋の入り口から動く気配がないもんだから、俺はゲームをポーズ画面に変えて振り返った。


「風丸?座んないの?」
「…なあ、片貝。笑わないで、聞いてくれるか…?」


立ちっぱなしで俯いて、力無く笑う風丸。俺は座っていたから、表情は見えた。悲しいような、苦しいような。そんな顔。


「…何言っても笑わないよ」
「本当か?」
「おう。約束する」
「あの、な、」


そして途切れ途切れに始まった言葉。風丸の声は、かすれている。

…最近、同じ夢を見るようになった。稲妻町駅の夢。陽はとっくに沈んで、酔っ払ったサラリーマンがいた。だから、それなりの時間だと思う。そこに片貝が来た。電車も、来た。それで、それで、


「…手を、伸ばしたんだ」
「う、ん」
「でも、届かなかったんだ」
「…うん」


俺は立ったままの風丸を座らせて、なるべく近付いて話を聞いていた。そして気がついたらその手を握っていた。震えている。俺も、風丸も。


「この前、片貝を家に送って行った時…」
「うん」
「お前は、すぐには電車に近付こうとしなかっただろ?」
「…うん」
「だから、余計、不安になった」


震える手で、必死に握り締める。俺は今、ここにいると伝えるように。俺は今、ここにいると自分自身に言い聞かせるように。でもそれだけじゃあ物足りなくて、不安で。俺は風丸を抱き締めた。すがるように力を込めたのは俺か、風丸か。


「俺に何か隠してるのは、知ってるんだ」
「うん」
「無理に、話せとは言いたくない」
「ゴメン、な。俺自身もまだ、よく分かってないんだ」


でも、全部終わったらきちんと最初っから最後まで話すから。そう言って風丸の肩に目頭を押し当てる。同じように当てられた右肩が、じわりと濡れるのが分かった。もう一度ゴメン、と心の中で呟く。大丈夫の代わりに、抱き締める腕に力を込めた。


泣くなよ、風丸。俺はお前に泣いて欲しくなんかないんだ。





五の願い


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