毎月二十六日、それがあいつの月命日。その日には必ず朝練の前に墓参りに行った。前の日に買っておいた白い花束と線香、それと最後の手紙を持って始発から二本目の電車に乗り、あいつの家の最寄り駅へ。そこから十分ほど歩いた所にある小さな寺に片貝は眠っていた。
俺の背はあの頃より伸びた。髪も伸びたし、声も少し低くなった。片貝がいなくなってから今日で丁度一年なんだから、俺だってそれくらい成長もする。
…早いものだなあと、素直に思った。
朝焼けの中、伸びる墓石の影を縫い繋ぐように歩く。右から五列目、奥から三番目の位置。一年も通えば足が覚える。今日で丁度一年だなんてあっという間だったな、と俺は感慨深い気持ちで墓石を見た。しかし、いろいろな気持ちがない交ぜになって浮かんだ笑みは一瞬にして崩される。
「……なん、で、」
目の前にあったのは見覚えのない墓石、家紋、そして名前。すぐに隣の墓を確認したが、片貝の名前はどこにもない。俺は“なぜ、どうして”をうわ言のように繰り返す。
一周忌の日には午後から親戚とお参りに来るから、もし都合がつけば来てあげて欲しい。それは一昨日の夜に片貝の母親から電話で聞いた話だ。万が一にも実家の墓に移したなんてことは考えられない。けれど、狭い墓地を全て回っても片貝の墓は見つからなかった。
気がついた時には走り出していた。強く握り締めたせいで花束を包む紙から湿り気が伝わってくる。毎日飽きるほど走り込んでいるはずなのに、呼吸の仕方を忘れた。とにかく必死に走って片貝の家を目指した。
後になってから気づいたが、俺が片貝の家のチャイムを押したのはまだ六時を過ぎたばかりの早朝。このときの俺にはそんなことを気にかける余裕なんてなかったけど。
「はーい、どちらさま…って、風丸くんじゃないの」
「あの、片貝…あ、晃くん、は」
「あらやだ、行き違いになっちゃった?あの子さっき起きたと思ったら急に飛び出してっちゃったのよね」
「…っ、すみません、ありがとうございます!」
「いいえー」
まさか、そんな、うそだ、でも。
言葉が溢れてどうしようもない。心臓は走った以外の理由で早鐘を打ち続けている。片貝のお母さんにはお礼だけ言って、赤みの退いた朝を走る。たぶん、片貝は俺の家に向かった。無意識に近いけど、なぜかそう確信した。
駅について、閉まりかけたドアに無理矢理体を滑り込ませる。普段ならこんなことはしないが、今は一分一秒すら惜しい。稲妻町駅までの二十分ほどの道のりの間、混乱する頭で考え続けた。
片貝の墓がなくなった。墓の位置を間違えたとか、寺を間違えたとかじゃない。最初の内は部活帰りに毎日通ってたくらいだ。周りより少し小さな墓石、明るい色合い。全部覚えてる。
それと片貝のお母さんの言葉。期待で泣きそうになって、裏切られた時のことを考えて違うかもしれないという言葉で蓋をした。
片貝とした最後の約束を忘れたことなんか、一度もない。
『間もなく稲妻町駅。お出口は反対側です』
ドア上に文字が流れて、ようやくかと花束を抱え直す。…と、ここで時計代わりに時間を確認していた携帯が震えた。画面に表示されたのは母さんの三文字。出るのをためらっていると電車が駅に着いたので、ドアが開くと同時に通話ボタンを押した。
『あ、もしもし一郎太?今どこにいる?』
「稲妻町駅だけど」
『さっき片貝くんが来てね、一郎太いますかって言うからあの子ならお墓参りに行ったわよって言ったんだけど』
「はあ!?」
『そういえばあんた、誰のお墓参りに行ったんだっけ?』
行き違い。俺たち馬鹿だろと思った。試しにあいつの携帯に電話をかけてみたが繋がらなかった。こうなったら仕方ないと、俺は急いで反対側の電車に飛び乗った。
…しかし、行った先の墓にもあいつはいなかった。どうしてじっとしててくれないんだ。会いたいのに会えない。それだけならまだいい。会えるのに会えないから、こんなにも息が苦しい。
(ここにいないってことは、家に帰ったか、また俺の家に向かったか…いや、あいつの性格からいって戻るとは考えにくいし…)
弱った。行き先が分からない。俺の家に行ったってことは片貝も俺のことを探してるはずだと思うんだが。とりあえず時間を確認しようと携帯を開くと、円堂から“朝練休むのか?”というメールが来ていた。
「…そうだ、がっこ、う」
朝練、部活…学校。円堂のメールには理由は後で話すとだけ返して、俺はまた走り出した。
馬鹿だな。どこかで立ち止まって、少し相手を待つだけでいいのに。俺たちは止まれず、相手を追いかけ、走っている。その結果がこのいたちごっこ。…笑えない。
会ったらまずなんて言ってやろうか。遅すぎだ、いつまで待たせるつもりだ、じっとしてられないのか、どれだけ走ったと思ってる、会いたかったんだ、話したいことが、たくさんある…。
走りながら、泣きそうになった。会ったら絶対殴ってやる。
『稲妻町駅ー、稲妻町駅ー』
そろそろ朝練のない生徒も登校し始める時間帯。俺はサラリーマンや学生の間を縫うように走る。途中ですれ違ったクラスメイトに花束なんか持ってどうしたと聞かれて、とっさに“お祝い”と返してしまった。これがあながち間違いでないことを願う。
「あれ?風丸、サッカー部の朝練は?」
「そんなに急いでどうしたの?」
「あ、花束だ。それ誰かにあげるの?」
「やっぱり足速いねえ」
「FFの決勝って明日じゃなかったっけ?寝坊?」
「悪い!今急いでるから…!!」
次々にかかる疑問の声に背中を向けて走り続ける。庇うようにして走っていたが、腕の中の花束は少しくたびれた格好をしていた。それでも構わず走って、走って、最後の角を曲がって、校門を抜ける。グラウンドにはマネージャーたちしか残っていない。どこだ、どこにいる。右に左に首を動かして片貝の姿を探す。
「あー!風丸先輩!」
「え?あ、本当だ」
「決勝前日に遅刻だなんていい度胸ね」
「風丸せんぱーい!夏未さんがご立腹ですよー!!…って、あれ、聞こえてないんですかね?」
校舎の影になる部分だった。等間隔で並ぶ木の一本に背中を預けて、手のひらで扇ぐ後ろ姿。
その姿が見えた瞬間、頭の中が真っ白になった。周りの音が嘘みたいに遠い。泣きたい。今すぐにも泣き出したい。名前を呼ぼうとしたけど喉がひきつってうまく声が出せなくて、代わりに駆け寄って、くたびれた花束でぶん殴ってやった。まるで魔法が解けるみたいに、白い花が砕ける。涙を堪えようと唇を噛んだせいで、言葉は出ない。
振り返って、そいつは…片貝は、笑った。
「おはよう、風丸」
最初の言葉がおはようって、なんだよ。もう涙なんか止まらない。遠巻きに眺めていた奴らは何事かと目を白黒させていて、ようやく俺の口から出た言葉は“馬鹿”の一言。
…本当に、また会えるなんて。
「風丸ったら泣き虫さん」
「これで、泣くなって、ほう、が、無理だ、ろっ」
「…うん、ありがとう」
立ち上がって、抱き締められて、一年前のあの日を思い出して、また涙があふれた。
片貝は何度も何度も、嬉しそうに“ありがとう”を繰り返した。
終わりのない物語