俺は、誰かに何かをしてあげることができなかった。その代わりと言ってはなんだけど、何かをしてくれた誰かに、ありったけのありがとうを伝えたつもりだ。

これで十の願いも終わり。最後の願いを叶えたら、今度は俺が願いを叶えてもらう番。何を叶えてもらうかは、もう決めた。

俺はもっと、ずっと、皆と一緒にいたい。

…そう、願うつもりだったんだけどな。




友達にさようならを
伝えてください。




見付けたのが学校、それも部活前の部室だったのが運の尽き。途端に顔色を悪くした俺に風丸が心配そうな顔をする。ちょっとまだ整理できてないから、落ち着いたらすぐ話す。それだけ早口に言い切って部室を飛び出した。

心は理解を拒否している。頭は否応なしに理解した。それでも思考は追い付かず、まとまらない頭でその言葉を考え続けた。

どうやら終わりが近いらしい。そう認識できたのは、突然現れた世宇子中の…アフロディとかいう奴が帰った後。激昂した円堂を皆が必死になって抑え込んでいる。俺はただぼんやりと、どこか遠いその光景を眺めていた。

気が付いたら辺りは真っ暗。誰もいないグラウンド。俺は悲しくて、哀しくて、声を圧し殺して泣いた。皆の笑った顔が過る。これも全部思い出に変わって、消えてしまうんだろうか。さようならってことは、そういうことなんだろうか。結局何も考えたくなくなって、一人膝を抱えて泣き続けた。





(例えばもし、)


神様がいたとして。

十の願いは神様の願いだったんだろうか。だとしたら、神様は本当にそれを叶えて欲しかったんだろうか。それで、俺の願いを叶えてくれるつもりは、あったんだろうか。

そもそも俺は、本当はあの夢の通りに死んでいたんじゃないだろうか。それじゃあ今の俺は、何なんだろうか。神様が生き返らせてくれたのかな、なんて。


「突飛過ぎるか」


思わず、自嘲地味た笑いが漏れた。

考えよう。とにかく、考えよう。後悔しない答えを見付けなくちゃ。自分に言い聞かせ、立ち上がる。涙を拭った頬に当たる風は、どっかの誰かみたいに優しかった。





次の日、体が少しだるかった。熱はない。むしろ平熱より低いくらいだ。それでも部活をするのに支障はないから、俺はいつもと同じように振る舞った。


更に次の日、なんとなく呼吸が辛い。息を吸っても肺に入ってこない。そんな感じ。これは深呼吸を繰り返して誤魔化した。


それから二、三日。時々目が見えなくなるようになった。あくまで一時的なものだけど、一人で歩くのは怖い。学校の中では風丸の袖を掴んで移動した。だけどなぜか、サッカーをしている時だけはどんな異常も現れなかった。


合宿の日、俺は皆と枕投げをして、カレーを食べて、円堂の特訓に付き合った後、一人でグラウンドの真ん中に立ってみた。不思議と悲しくない。気を抜いたら泣きそうだけど、別の何かがそれを塞き止めている。

この日、俺は答えを出した。










「よーっす風丸ー。調子はどうよ」
「…そういうお前は酷い顔だな」
「あー、やっぱり?」
「隈が酷い。顔色も悪い」
「ちょっとやること終わんなくてさ、寝るの遅かったんだ」


決勝戦の朝、風丸はいつものように駅の改札前にいた。俺もいつものように改札を抜けて、風丸の隣に並んで歩き出す。体はだるくない。呼吸も正常、視界も良好。試合に支障はなさそうで、俺はほっと息を吐く。そこから何かを汲み取った風丸が“馬鹿”と言って俺の頭を叩いた。ちくしょー、地味に痛い。


「そういやスタメン聞いた?」
「いや、試合前にならないと教えてくれないんじゃないか?響木監督のことだし」
「だよなー。ああ…俺試合出させてもらえるかなー…」
「微妙だろうな」
「そこは冗談でも“片貝なら大丈夫だ!!”って言ってください」
「……それ、円堂の真似か?」
「ピンポーン」
「ヘタクソ」
「ひでえ!」


一拍遅れて、笑い出す。はっきり言って勝ち目の見えない試合前だと言うのに、俺達の間にある空気はどこまでも穏やかだった。でもまあ、いつまでもそんな風にはいられない。

急遽変更されたスタジアム。煽るような態度の世宇子中。キックオフ前の緊張感。全部が全部、空気を塗り替えていく。俺はベンチスタート。時間がない。でもそれは、時計で計れるような時間ではなくて、


「片貝。染岡と交代だ」
「はい」


響木監督に背中を押され、俺は担架で運ばれてきた染岡と拳を合わせた。その拳を今度は心臓の上に乗せる。大丈夫。まだ、動いてる。


「片貝。体は大丈夫か?」
「あはは、そりゃこっちの台詞だって。風丸の方がボロボロじゃん」
「…俺のとお前のとは、違うだろ」
「大丈夫だよ。今は調子が良いから」


フラフラと安定しない体を支えるように、風丸に肩を貸す。何か言い掛けたのには気付かない振りをして、俺は自分のポジションに立った。

白線の内側はまるで別世界だ。足元の感触はもちろんだけど、何より空気が違う。歩くようにしてボールを蹴るアフロディは、まるで俺達のことを嘲っているみたいだった。それでも一度白線を越えた以上、俺達は最後まで勝利を信じて戦う。

結局、前半は何もできないまま終わった。体もボロボロ、交替枠は使いきった。けれど、諦めない。

後半が始まって間もなく、苛立たしげに顔をしかめたアフロディがゴール前に立った。振り上げられた脚がボールを蹴る。円堂が、構えて、ボールを止めた。ああ、これは、


「一番最初の試合みたいだ」


どんどん敵陣へ上がっていくボールに、俺は思わずそう呟いた。円堂を信じていた皆の間を繋ぐボール。あの時と違うとすれば、敵だった鬼道が同じゴールを目指してるってことかな。


「行こう、片貝」
「うん」


風丸と並んで攻め上がる。二人で打ったシュートが、最後にゴールネットを揺らした。

















「片貝、本当にインタビュー受けなくて良いのかよ」
「うん。観客席の方に親とか来てるはずだからさ、俺そっち行くわ」
「へっ、親孝行かよ」
「俺の愛しの妹が待ってんの!」
「豪炎寺ー、鬼道ー。シスコン同盟一人追加ー」
「「は?」」


試合後の控え室は、勝てた嬉しい気持ちでいっぱいになっていた。俺の隣で荷物を片付けていた染岡も怪我の具合は良いらしく、ニヤニヤと笑いながら肩を組んでくる。そこに茶々を入れてきたのはベンチに座ってドリンクを飲んでいたマックス。急に名前を出された二人は揃って首を傾げた。…あいつら自覚なかったのかよ。


「おいお前ら。用意はできたか」
「はい!」
「あ、監督。すんませんが俺達は…」
「先に木戸川清修の友達の所へ、優勝の報告をしに行きたいんです」
「分かった。出る時は裏口を使え。正面は人が多くて出にくいだろうからな」
「「ありがとうございます!」」


土門と一之瀬は木戸川清修の友達(たしか西垣くん)の所へ向かった。肩を組んだままの染岡がもったいねえと呟く。それに苦笑いを返し、俺も監督にインタビューは受けない旨を伝えた。

他の皆はインタビューを受けに行くらしく、一人また一人と控え室を出て行く。俺は最後まで残って、もう少し人が捌けてから出ますと嘘を吐いた。


最後の一人が出て行くのを確認した後、俺は壁にもたれてずるずると座り込んだ。小刻みに震える指先。言うことを聞かない体。白む視界。もう、限界が近い。一人っきりは少し寂しかったけど、今さっきまでの試合を瞼の裏に浮かべればそれはすぐに紛れた。楽しかった。今まで一番、楽しい試合だった。





「…片貝?」


一分か、二分か、それとも十分くらい経ったのか。朦朧とする意識では分からない。けれど俺しかいないはずの空間に、俺以外の声が響いた。ゆっくりと扉の方へ顔を向け、そこにいた人物に俺は微笑む。なんとなく、来る気はしてたんだ。


「片貝…!お前、やっぱり体が…!」
「さすが風丸さんっすねー。もうバレた」
「冗談言ってる場合じゃないだろ!早く病院に…!」


慌てて駆け寄ってきた風丸が俺を立ち上がらせようと肩を貸す。俺はほとんど力の入らない手の平でその腕を掴み、首を振った。病院は、いいんだ。


「風丸。笑わないで聞いて欲しいことがある」
「…内容に、よる」
「はは、だよな」


壁にもたれ直した俺。その隣に座って話を聞く体勢に入る風丸。目を見て言うにはこっ恥ずかしい内容だったから、正面に座られなくて良かった。


「俺さ、風丸のことすげえ好きなんだ」
「な、」
「でも、それが友達としての好きとか恋愛としての好きとはどうにも違って、何て言っていいか分からなかった」


ずっと考えていた。俺だってヘタクソなりに恋をしたことがある。友達としての好き、恋愛としての好き。その違いくらいは分かるつもりだ。でも、風丸に対しての“好き”はどちらにも当てはまるようで、どちらにも当てはまらない。しっくりくる答えが見つからなくて、ずっともどかしい気持ちでいた。


「好きなのはたしかなんだけど、大好きじゃ浅い。で、最近になってようやく分かった」


こっ恥ずかしい。でも、これはきっと目を見て伝えなけばいけない。逸らしたくなるのをなんとか堪え、風丸の目を真っ直ぐに見た。

十の願いを叶えていく内に、タイムリミットをちらつかされる度に、世界の全てがかけがえのないものに思えた。その時、すとんと胸の内に落ちるように零れた言葉。まだ拙いかもしれないけど、一番しっくりきた言葉は、


「俺は、お前が“愛しい”」


愛しい、愛しい。友達のようで、恋人のようで、家族のような風丸。お前に会えた俺は本当に、幸せなんだ。


「側にいるだけで、すごくホッとして、見返りなんかなくても、何かしてあげたくなって、」
「っ、もういい!もう喋るな…!!」
「すごく、大切なんだ」


涙で掠れる声が鼓膜を揺らす。少し間を空けて座っていた風丸は、痛いくらいの力で俺を抱き締めていた。

風丸が行くなと叫ぶ。行かないでくれと叫ぶ。

無茶言わないでくれ…ってのは残酷な言葉かもしれない。代わりに重たい腕をなんとか持ち上げて、風丸を抱き締め返した。


「絶対、また会いに来る」
「…そんなの、どうやって来るんだよ」
「大丈夫だって。なんとかなる気がするから」
「馬鹿だろ、お前」
「うん。知ってる。でも、絶対会いに来るって約束するから」


約束は破らないと約束した。風丸も覚えているかは正直分からなかった。でもたぶん、思い出してくれたんだろう。背中に回った腕が少し、緩んだ。


「絶対にか?」
「もち」
「……分かった」


今度こそ完全に風丸の腕が離れ、お互いの顔が見えるようになった。あーあ、また泣いてる。でも今回は俺も泣かされたから、お互い様ってことで。

涙は流したまま、今までで一番の笑顔を浮かべる。ぼやける視界の中で風丸の目元も、同じように緩んだ。よし、もう大丈夫だろ。

それじゃあ、




「「またな」」




さようならは、言わないよ。





十の願い


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