願いは残すところあと二つ。そしてFFも残すところ、あと二戦。俺は九つ目の願いを見ながらあることを思い出していた。


私の十の願いを叶えてください。

代わりに貴方の願いを一つ、叶えてあげましょう。



はじまりはその言葉だった。いや、本当のはじまりは俺が電車に轢かれたところなのかもしれないけど。正直、あれが夢だったのかどうかは未だによく分からない。願いを叶えてくれるって話も、嘘か本当か分からない。

それでもまあ、振り返ってみればまんざらでもない願いばかりだったかもしれないな、なんて。だから、


友達にありがとうを
伝えてください。


なんて願いも、素直に聞き入れることができたんだろう。







時刻は六時半。俺は学校指定のジャージに着替え、階段を駆け下り、リビングでテレビを見ていた妹に飛び付いた。


「おはよう佳奈!今日もかわいいなお前は!」
「おはよ、お兄ちゃん。ママが早くごはん食べなさいって言ってたよ」
「ん、わかった。でもその前に…」


小学校二年生の妹は、抱っこするにはそろそろ大きいお年頃。それでも俺は妹を抱き上げて、出来るだけ優しく頭を撫でた。


「佳奈、いつもありがと」
「んー、どういたしまして?」
「うん。どういたしましてで合ってる」
「変なお兄ちゃん」
「そう?」


俺から顔を背けるようにしてへばりつく妹。一度ギュッと抱き締めてから降ろすと、一緒にごはん食べる、と言ってジャージの裾を握ってきた。その手を取って二人仲良くキッチンへ。今度は欠伸を噛み殺していた母さんに抱き着いた。


「母さん、いつもありがと!」
「…何よ、気持ち悪いわね。寝ぼけてるの?」
「いやー。なんとなく」
「…っとに、しょうがない子ね」


母さんの声は鬱陶しそう。でも、作業する手を止めて、水で洗ってタオルで拭いて、まだ乾き切っていないその手を俺の頭の上へ乗せてくれた。


「今日の試合もちゃんと勝つのよ。決勝戦の日は何がなんでもお休みもらうから」
「了解、絶対勝つ」
「よろしい。じゃあ、お父さんにも宣誓してきなさい」
「あーい」


少し強めに叩かれた背中が痛い。だけど心はどうにもあったかい。相変わらず、俺に引っ付いたままの妹と一緒に親の寝室へ向かった。それから父さんにも母さんの時と同じように抱き着いて、ありがとうと宣誓を。


ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。


俺はこの言葉、気持ちを一日かけて出来るだけ沢山の人に伝えた。別に友達一人にだけ伝えろなんて言われてないし、俺はどうしてもいろんな人にありがとうを言いたかったんだ。




今日の対戦相手、木戸川清修の皆さん、良い試合をありがとう。


響木監督、俺達の監督になってくれて、ここまで俺達を連れてきてくれて、ありがとうございます。


春夏秋ちゃん。…ごめんなさい、訂正するので夏未さん睨まないで下さい。…えーっと、秋、春奈ちゃん、夏未さん、いっつもマネージャーの仕事、お疲れさま。俺達が楽しく練習出来るのは三人のお陰です。本当にありがとう。


雷門中サッカー部のみんな、サッカーの楽しさを教えてくれてありがとう。円堂にじゃんけんで負けて入った部活だけど、あの時勝たなくて良かったって、今なら心から思えるよ。




他にも沢山、ありがとうを伝えた。古株さんや校長先生や、応援に来てくれてた人達。宮坂にはメールを送って、入院してる理事長には夏未さんに伝言を頼んで、応援席にいた角間くんにもありがとうを伝えた。

それでもなんとなく言い足りなくて、風丸と一緒に帰る約束を取りつけた俺、本当に風丸のこと好き過ぎるだろ。これって変なことなのかなって考えたこともあったけど、結局答えは出なかった。


「で、何かあるんだろ?」
「さすが風丸さん。ご名答」
「お前とは円堂の次に付き合いが長いからな」


それに円堂より常識がある分、考えてることは分かる。そう言った風丸は目を閉じて、少しだけ口元を緩めていた。俺も風丸が考えてること分かるよ。たぶん、最初に会った日のことを思い出してる。


「風丸」
「ん?」


前を歩いていた風丸が振り返る。俺の後ろの夕陽が眩しかったのか、すっと目を細めた。きっと逆光のせいで俺の顔はよく見えないだろう。それでも、少しでも風丸にこの気持ちが伝わるようにと心からの笑みを浮かべた。


「俺と友達になってくれて、ありがとう」


声に出して初めて、満たされたような気持ちになった。そうだ、俺はこれを一番伝えたかったんだ。

昔、母さんが自分の気持ちを100%伝えることは出来ないし、相手の気持ちを100%理解することも絶対に出来ない、と、珍しく真面目な顔で言ったことがあった。でも、本当に伝えたいことは自然と、なんとなく、相手に伝わるものよ。とも言っていた。


「俺、自分で思ってた以上に風丸のことが好きみたい」
「…いい、もういい。それ以上言うな。こっちが恥ずかしくなる…」
「ははは。うん、とにかくありがとうな」
「、どういたしまして」


風丸の精一杯の澄まし顔。でも段々とそれが崩れて、耳が赤くなって、最終的にはよくそんな恥ずかしいことが言えるな、と顔を逸らされて。

今日はスペシャル感謝デーなんです。なんて笑ってはみたけど、俺も顔が熱くて仕方がなかった。





九の願い


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