ましらのかお



鼻の頭に巻かれた包帯を擦って、ぼんやりと茶を啜る。父上に手酷く説教され、要蔵殿にもご忠言申し上げたはずですと渋い顔をされ…なかなかに堪えた。

生まれてからずっと焦がれてきた人間を前にしても取り乱さなかっただけ、まだましだと思ってもらいたいのだが。


「百合丸!忍に斬られたというのはまことか!」
「姉上…大袈裟ですよ。犬に咬まれるよりずっと軽い引っ掻き傷です」
「何を申すか。もう一寸上なら目を潰されておったのやもしれんのだぞ」
「…そう言えば、そうですね」
「はあ…百合丸は昔からそうじゃ」


半ば隔離するように自室に押し込められ、退屈していたところに現れたのは姉上だった。溜め息混じりにそう言って、荒っぽい動作でその場に座る。

姉上の目は吊り目で、見た目から受ける印象通り鋭い洞察力を持っている。今もきっと、俺の心中を察してこんな険しい表情をしているのだろう。


「百合丸。話せとは言わぬ。だが、もっと周りを頼れ、駄々を捏ねても構わぬ。お前は大人びているがまだ子供だ。誰も咎めはせぬ」


しっかりと俺の両目を見て、強い口調で言い切られた言葉。握られた指先が暖かい。何度も決めたはずの決意が、揺らいでしまう。


「姉上…この我が儘は、佐助の未来を壊してしまうのです…。まだ見ぬ佐助の主の未来すらも…。俺には…そんな真似はできません」


会えただけで十分じゃないか。声を聞けただけで十分じゃないか。今さら何を迷うことがあろうものか。…何度、その言葉を繰り返したことだろう。

握られた指先をほどくようにして姉上の手を押さえ、できる限りの笑みを作った。大丈夫。佐助に会えた。それは間違いなく俺にっとっての“幸せ”だから。


「佐助に一目でも会えて良かった。また縁があればどこぞで会うこともありましょう」
「…本当に、よいのだな」
「はい」
「はあ…。あい分かった。菊はもう何も言うまい」


そう言う割に姉上の顔は不満げで、思わず苦笑してしまう。俺の家族はなぜこうも暖かいのだろう。本当に、生まれたのがこの家族の中で良かった。

姉上とはその後、最近の稽古のことや桜花丸が手習いを始めたことなどを話して過ごした。やはり姉上も桜花丸のことが気になっていたらしく、経緯を説明したらあやつらしいと言って笑っていた。

それから半刻ほど経って姉上が退室すると、今度は入れ替わるように要蔵殿がやって来た。深く深く頭を下げられ、堪らずその両肩を掴んで顔を上げさせる。今回のことは要蔵殿の言葉を聞かなかった俺に否があるんであって、頭を下げられるような理由はどこにもない。

きっと今会うことは叶わないだろうから。そう前置いて、佐助にすまなかったと伝えてくれるよう頼んだ。要蔵殿の目に悲しそうな色が灯ったのは、きっと俺の見間違いだろう。





「今日は、流石に疲れたな…」


陽が暮れて夕餉も湯浴も済ませた後、自室で壁にもたれながらそう溢した。そういえば要蔵殿には床に伏せていたときのことをまだ話していない。新しい忍隊の編成が落ち着いたら聞いてもらえるだろうか…。


「無防備だな。殺されたいのか?」


突如響いた俺以外の声に、閉じかけた瞼を開いて身構える。気配も音もなかった。どうやって入ったのか、柱に背を預けて佇む佐助がそこにいた。


「何か、用でも…?」
「別に」


返ってきた答えはあまりに素っ気ない。佐助は腕を組み、感情のない目でこちらを見遣る。何かを見定めようとしているようにも見えるが…。緊張のあまり目を逸らすことすら叶わず、ただ不格好に身構えたまま時だけが過ぎていく。

しばらくして佐助が障子から背を離すと、溜め息混じりにこう言われた。


「…やっぱ、死んでもいい奴か」


その意図は汲めない。しかし、俺の心臓を冷やすには十分過ぎる言葉だった。死んでもいい。本当に、どうでも良さそうな声色だったのだ。それはただ嫌われることよりも辛い。


「…どういう意味だ」
「あんたの顔が猿にしか見えないってこと」
「猿…戸隠の山の猿のことか?」
「好きに解釈すればいい」


それっきり、佐助は何も言おうとしなかった。蝋燭の明かりに照らされ、平時よりも更に焔に似た髪が微かに揺れる。妖しげで、朧気で、風に吹かれて消えてしまいそうで。思わず手を伸ばし掛けたが、佐助の射殺さんばかりの視線がそれを許さなかった。

そして去り行くその背に、俺は何の声も掛けられなかった。



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前肢