たえられない



翌日から、兄上に手伝ってもらって少しずつ体を動かす練習を始めた。今の俺では佐助に会いに行くことすらままならない。まずはしっかりと歩けるようになろう。そして強く、もっと強くなろう。


「百合丸、少し休んだらどうだ?」
「では縁側まで行きましょう」
「ふむ…なら今度は兄の鍛錬に付き合え」
「え?うわっ」


補助のために繋いでいた手が離れ、浮遊感。ぐん、と高くなった視界に慌ててしがみつけば、兄上の笑い声がとても近くなった。位置を直すように兄上が一度跳ねると、体の収まりもよくなる。所謂抱っこ。兄上の腕に座るような格好で、体を安定させるために首にしがみついた。


「やはりだいぶ軽くなってしまったな…」
「これから沢山食べて、すぐに兄上も追い越してみせます」
「ははは、それは頼もしい」


兄上は俺より六つ上の十四歳。元服も初陣も済ませているが、正室はまだ迎えていない。父上に側室はおらず、俺の兄はただ一人。四つ上の姉上はその男勝りな性格故か縁談に恵まれない。三つ下の弟は好奇心旺盛でいつも城のあちこちを駆け回っている。

三男一女。兄上は文武に秀でたお方であるし、波多野家の将来は安泰と思っている。


「さあ着いたぞ百合丸。降りるか?」
「…もう少し」
「おや、甘えるのが上手くなったな。兄は嬉しいぞ」


気恥ずかしくて、顔が見えないよう兄上の肩に額を押し付けた。兄上、本当はずっと甘えたかったのです。けれどそれより穴の空いた胸が痛くて、辛くて、悲しくて。穴を塞ぐ術ばかりを探しておりました。ようやく、ようやく、手がかりが見つかったのです。どうか今少しだけ、甘えさせてください。

兄上は何も言わず、ゆっくりと俺の背を撫でた。何も聞かないのは兄上の優しさ。いつ散るとも知れない命と思えば、ただ傍にいれることすら途方もなく幸せなことなのだと思えた。波多野家は一城を与えられている。が、国を治めている訳ではない。いつ上から命が降りて戦場に出向かねばならぬかも分からない。

考えただけで、ぞっとした。


「おお、ここにおったか。探したぞ、行春、百合丸」


ひょこり、と角から顔を覗かせたのは父上だ。声に釣られて顔を上げると力一杯頭を撫でられた。どうやら兄上と俺…というより、俺を探していたらしい。俺も兄上もすぐにその理由を察した。


「それでは、私は稽古に戻りましょう」
「ああ、よう励め。百合丸、部屋まで歩けるか?」
「はい。大丈夫です」


一礼して去る兄上の背を見送り、父上の後に続いて歩き出す。父上の部屋までは距離があったが、ゆっくりとした歩みのおかげでなんとか一人で辿りつくことができた。…心なしか、張り詰めた空気が肌に痛い。そう硬くなるなと笑われてしまったものの、握りこんだ指を開くことができない。

胡座をかいてどっかりと座った父上。俺が少し離れた所に座ろうとすると、手を引かれてその膝の上に座らされた。大きな、まめだらけの手の平。沢山の命がこの両手に守られている。


「お前も分かっているようだから単刀直入に聞くが…心の病、だったのか?」
「…はい。恐らくは」
「話せるところまででいい。この父に話してはくれないか?」


父上の指を握って、息を飲んだ。顔が見えない分、話しやすいかもしれない。どこまで話そうか。佐助のことは話さなければならない。橙色、猿…気味悪がられやしないだろうか。猿の物怪に取り憑かれたと思うかもしれない。ああ、それでも、


「どうか、聞いてください」


もう、俺のような弱い心の中に納めておくことができない。



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前肢