さいしょ



物心つくまでそこらの子供と変わらぬ、いや、そこらの子供以上の水準ではあったが、何の病にかかることもなくすくすくと育った。しかし、物心つく以前から好んで手にする色があった。それは執着に近く、傍にあると落ち着く色でもある。


「父上、百合丸の鞠を見ませんでしたか?」
「なんだ、また何処ぞへ隠したか?」
「はい…」
「どれ、父も一緒に探してやろう」


俺はいつも妙な一人遊びをしていた。大好きな鞠を自分で隠し、自分で探すのだ。これがなぜか必ずと言っていいほど見つからない。城の者は“子供のすること”と言って深く考えていないようだったが、父上と母上が“百合丸は見つからない振りをして遊んでいる”と話しているのを一度だけ聞いたことがある。俺は本当に見つからないのだと言って怒っていた。

それから月日が過ぎ、数えで八つになった頃のこと。兄に倣い、武芸を始めたため奇妙な一人遊びはしなくなったが、俺はいつも何かを探していた。それが“何か”ではなく“誰か”であると気づくのに、そう時間はかからなかった。

目を閉じると朧げながらその姿が浮かぶ。声すらも聞こえるというのに、その“誰か”に会ったことはない。胸を掻きむしりたくなるような虚無感に苛まれ、いつの間にか床に伏せるほどにそれは悪化した。うわ言のように繰り返すのは“会いたい”という曖昧な言葉ばかり。父が、母が、姉が、兄が、弟が、皆が会いに来てくれたのに俺の心は一向に満たされる気配がない。

床に伏せて三月。とうとう薬師が匙を投げた。無理もない。蝕まれているのは心の方なのだから。父も兄も奔走し、俺を生かそうと新しい薬師や祈祷師を連れては俺の部屋へとやって来た。死ぬのは恐ろしくてたまらなかったが、生きられるような気もしなかった。

そうして季節も二度変わり、城の者たちがせめて穏やかに逝けるようにと心支度をし始めた頃、俺は熱に浮かされ、ましらの夢を見るようになっていた。数多のましらが何かを囲んでいる。俺は隠すなと叫び、手を伸ばす。ましらの群れに触れそうになると、決まってましらたちの間から伸びてきた手に叩き落とされた。これを父上に話したのはほんの気紛れだ。


「父上…ましらの夢を、見るのです」
「猿?恐ろしい夢なのか?」
「分かりません…。ただ、ましらの中に人が一人、いました」
「猿と人…はて、どこかでそんな話を聞いた気がするな。どこだったか…」


何やら思案し始めた父上の横で目を瞑った。久しぶりに喋ったせいか喉が痛む。ぼんやりとした意識の中、瞼の裏にはずっと執着し続けてきた色が灯っている。もういっそ、あの色にこの身と命を焦がされたのではと思うほどだ。

父上は思案ののち、珍しく大きな声を出して忍を呼びつけた。突然のことに驚き、一度は瞑った目を大きく見開く。


「要蔵!要蔵はいるか!!」
「はっ、ここに」
「たしか以前、猿の亡骸の山に子供が一人いたという噂があったな」
「はい。信濃、戸隠の山にそのような噂が」


猿の亡骸、子供、戸隠の山…。心の臓が大きく波打つ。思わず体を起こし、布団から身を乗り出した。


「それは…いつ頃の話ですか、その子供の名はなんと、」
「百合丸!体を起こして大丈夫なのか!?」
「要蔵殿…!」


すがるように声を上げて、引きつる喉が大きく咳き込んだ。胸からこみ上げるような咳はなかなか止まらず、父上に背をさすってもらいながらも目は忍に向けたまま。お願いだ、どうか、その先を教えてくれ。


「…申し上げます。その幼子、猿の亡骸の山にあり。戸沢白雲斎が才を見出し修練をつけたるが四月前。後、“猿飛佐助”と命名されたものと聞き及んでおります」


要蔵殿が淡々と告げる言葉が脳髄を揺らす。

体中の血の気が引いて、肌の表面が痺れるような感覚。視界が白んでよく見えない。倒れるようにして布団に横になると、父上が慌てて薬師を呼んでいた。


思い出した。どうしてこんなことを忘れていたのか分からない。極稀に現れる婆娑羅者。その存在を教わったのは何年も前のことで、その言葉に妙な引っ掛かりを覚えたんだ。俺は違う名前で、違う世界に生きていた。どんな名前でどんな場所だったのかは、もう思い出せない。

焔を透かしたような橙色。
握り締めたこの着物と、同じ色。

虫食い状の記憶の中、まるで切り取ったように鮮明に残っている男に、俺はこの世界に生まれ落ちた時から焦がれていた。



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前肢