しらんかお



宗兵衛が美濃へやってきて三日。彼はすっかり懐いていた。…弟、桜花丸に。


「そうべえ!今日は西の庭につれてってやるからな!」
「うんっ」


もともと年も同じなのだし、桜花丸と打ち解けたことはなんら不思議でもない。今日も今日とて二人は仲睦まじく、手を繋ぎ合いながら敷地内を駆けていく。

俺は縁側からぼんやりとその姿を眺めていたのだが、不意に廊下の先で笑いを堪える父上が視界に入った。その後ろには善兵衛殿もいる。


「…そんなに面白いですか」
「くくっ。いや何、お前にも不得手なものがあるものなのかと思ってな」
「善兵衛殿は」
「若が…あの若がなんともお寂しそうな顔で…ぶふっ」
「私とて!切れる緒くらいあるのですからね!」


恐らく今の俺の顔は羞恥で赤く染まっていることだろう。しかし如何せん、子供の顔だ。二人の笑いを誘う結果にしかならなかったらしい。


「元より、私は宗兵衛と桜花丸の橋渡しになるつもりだったから良いのです!」
「っははは!拗ねておるな!いやあ、子供らしくて結構結構」
「頭を撫でないでください!」
「これ!殿の手を払うとはなにご…あ痛!」


すっかり構い倒す体勢に入った父上の手を払い、茶々を入れる善兵衛殿の向こう脛に蹴りを入れる。そこまでやってもひと呼吸後には腹を抱えて笑い出すしで始末に負えない。

どうにかして一泡吹かせてやれないものか。笑い転ける二人をねめつけながら考える。そのまま物騒な方向に思考が傾きかけた時、元の位置へと引き戻すかのように体が浮いた。


「どうした百合丸。父上に苛められでもしたか?」


間近に浮かぶ、兄上の柔和な笑み。苛められたわけではないが腹が立ったのには違いない。しかしそれを言葉にするのも癪で、兄上の肩に額を押し付けて誤摩化した。

何を言っても逆効果なのは分かっている。若い娘でもあるまいに、いい年した男二人は箸が転げても笑い出す勢いだ。


「いくら父上と言えど度が過ぎれば嫌われてしまいますよ。ほどほどにしてください。善兵衛殿も」
「すまんすまん、つい面白くてな…」
「父上」
「…あいや、すまなんだ」
「うむ…」


兄上強し。しょげる二人をちらりと窺えば、今度は俺が腹を抱えて笑う番だった。


宗兵衛を桜花丸に取られてしまった気はする。だが、桜花丸を宗兵衛に取られてしまった気もする。つまるところ、俺は弟たちと遊べないことが寂しかったらしい。父上たちに言われた時は認められなかったのに、兄上に指摘されると素直に頷けた。これは人徳の差だろうか。

そしてあの後、父上たちは軍議が始まるからと大広間へ向かわれた。もう聞かされずとも分かる。信長公から戦の命が下ったのだ。赤母衣衆である利家殿も間違いなく呼ばれている。父上が俺を尾張へ寄越したがらなかったのもそのため。…だが、さすがに相手がどこかまでは分からない。


「兄上!けいこはおわった?」
「いや、今日の稽古はお休みだよ」
「やった!じゃあ桜花丸たちとあそぼう!」


部屋にこもってお伽草子を読んでいる時だった。加減なしに襖が開かれ、腕を伸ばした格好の桜花丸がそこに現れた。まあ、廊下を駆ける足音で予測はしていたが。

桜花丸は稽古がないと知るなり飛び付いてきて、急かすように俺の手を引いた。襖の先には視線を泳がせる宗兵衛の姿もある。


「お前たちは今まで何をして遊んでいたんだい?」
「今日は西の庭でかくれ鬼!そうべえはな、隠れるのがうまい!」
「そうか、すごいな宗兵衛」
「えっ、あ、う」


急に名前を呼ばれたことに驚いたのか、言葉とも言えないような声を出しながら襖の影に隠れてしまった。遠慮のない桜花丸は今は隠れ鬼じゃないと言いながら宗兵衛を引っ張り出す。…半べそじゃないか。


「とりあえず、するなら隠れ鬼以外のことだな」
「じゃあ、ありの行列を見る!」
「…宗兵衛は他に何かしたいことは?」
「あ、ありの行列、見る…」


思わず肩の力が抜けた。桜花丸も昔の俺に負けず劣らず、妙な遊びが好きらしい。宗兵衛もそれでいいと言うし、二人がしたいと言うことを無理にやめさせるのも気が引ける。

だがせめてもう少し“色”をつけたい。何かないものか…。


「ああ、たしかあれがあったな」
「なに?ありの行列?」
「いや、蟻の行列に置くと面白いものだ」


引き出しを開け、そこから竹で編んだかごを取り出す。かごの蓋を開ければほんのりと甘い匂いが広がった。


「干菓子だ。砕いて置けば蟻が巣へ持ち帰るだろう」


しかし、それだけのために使うのではもったいない。俺は桜花丸と宗兵衛に口を開けるように言って、ひとつずつ干菓子をつまんで放り込んだ。

分かっていた桜花丸は満面の笑み。宗兵衛は目を白黒させたのち、ほんのりと目元を緩めて笑った。


「ありがとう兄上!」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」


戦が始まる。その事実が心の内に暗い影を落としていたが、二人の笑顔に救われた。

俺も桜花丸も宗兵衛も、まだ子供なのだ。せめて子供の間くらい、知らん顔をしてもいいだろう。



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