おしてはひいて



利家殿とまつ殿が帰路につかれる際、宗兵衛殿の泣き声が止むことはなかった。

両手に握った小さな拳で何度も利家殿を叩き、このままでは陽が暮れてしまうからと父上が強引に抱き上げたことで泣き声は一層大きなものに。

とうとうお二人の姿が見えなくなると、宗兵衛殿は泣きながら父上の頬を叩いて逃げ出した。


「やれやれ…予想以上だな」
「これから大丈夫でしょうか」
「そこはあれだ、百合丸の采配で頼む」
「…善処します」


どちらかと言えば、父上は血の気の多い人間の手綱を取る方が上手い。宗兵衛殿のような人見知りとなると勝手が違うのだろう。会いたいと言い出したのは私であるわけだし、宗兵衛殿のことは一任されたと見ていい。

…とは言え。


「父上、笑いを堪えていませんか?」
「くくっ…分かったか。いやあ、お前はどうにも好いた相手に好かれんというか、そういう星の元に生まれたのかと思うと面白くてな!」
「宗兵衛殿に嫌われたわけではありませぬ」
「悪かった悪かった、そう拗ねてくれるな」


父上の反応が面白くないことはたしかだ。大方、振り回される俺を暇つぶしくらいにしか思っていないのだろう。手を貸してくれる気もなさそうだし、俺が自分でどうにかするしかない。


「それでは、私は宗兵衛殿を探しに行って参りますので」
「ああ。捕まらなくとも陽が暮れる前には一度戻れよ」
「大丈夫です。隠れ鬼は得意ですから」


私のこの言葉に父上は目を見開いた。すぐにいつもの食えない表情に変わってしまったせいで理由は聞けなかったが、宗兵衛殿を探している内にあることを思い出した。


「橙色の、鞠…」


もう忘れかけていたような一人遊び。大好きな鞠、鮮やかな橙色を基調とした小振りの鞠だった。

今だから分かる。俺はあれを佐助に見立てて一緒に隠れ鬼をしているつもりになっていたんだ。だからいつも見付からなかった。見付けたくなかった、のかもしれない。

きっと父上は鞠ひとつ見付けられない俺が“隠れ鬼は得意”などと言うから驚いたのだろう。俺はただ、桜花丸とする隠れ鬼のことを指して言ったつもりだったのだが。


「…まるで病だな」


気付かぬうちに巣食われた。身体ではなく、心の内に。治ることなどない。治したいとも思わない。俺は一生、この“病”と共に生きると決めた。





「…ひっく……うう、」


堪えるような嗚咽を聞きつけるのにそう時間はかからなかった。敷地内の隅、人も通らない北側の一角。ここは桜花丸もよく隠れる場所だ。


「宗兵衛殿」


距離は取ったまま、小さく丸まる背に声を掛ける。大袈裟なまでに肩を跳ねさせると、涙に濡れた頬がこちらを向いた。…鼻水は見なかったことにしよう。


「宗兵衛殿、もうじき夕餉ですよ。皆の所へ戻りましょう」
「…まつお姉ちゃんのご飯じゃない」
「そうですね。まつ殿の料理には劣るかもしれません」
「おなか、すいてない」
「それなら、宗兵衛殿のおなかが空くまで私もここにいましょうか」
「えっ」


驚いた拍子に涙が止まったのを見計らい、懐に入れていた手拭いを押し付けた。何かを言おとしているのは分かるが、それを聞き入れるつもりはないから聞くこともしない。

強引に顔を拭って、最後に懐紙を当てて鼻をかんでやれば宗兵衛殿の頬が濡れることはなくなった。


「すっきりした?」
「…うん」
「おなかは?」
「すいてる…」


嘘をついてごめんなさい、と謝る宗兵衛殿の頭をそっと撫でた。どうしてこの子はこんなにも綺麗なんだろうか。俺や佐助とは大違いだ。桜花丸も綺麗といえば綺麗だが、あれは純粋というより無邪気の類い。宗兵衛殿とはまた違う。

涙で濡れた手の平を緩く握る。やはり、宗兵衛殿の肩は怯えに跳ねた。


「もし、宗兵衛殿さえ良ければの話ですが」
「?」
「ここにいる間だけ、宗兵衛殿の兄になってもいいですか?」


覗きこんだ瞳が大きく揺れる。涙の膜は未だ厚く、瞬きひとつで溢れてしまいそうだ。


「私…いや、俺はもっと宗兵衛と仲良くなりたい。兄が駄目なら友だちになって欲しいんだ」


そう言って、少しだけ握る手に力を込めた。これで嫌だと言われたらさすがの俺も折れざるを得ない。

…しかし、気のせいだろうか。宗兵衛が手を引っこ抜こうと体を引いている気がするのは。


「宗兵衛、嫌か…?」
「わ、わかんない…。だってまだ、百合丸さんのこと、知らない…」
「それもそうだな。俺が悪かった」


諦めて宗兵衛の手を離す。これ以上押すのはまだ無理だ。少し強引過ぎた。けれどまあ、収穫が全くなかったわけでもない。


「初めて俺の名を呼んでくれたな」


会話らしい会話もほとんど成り立っていないのだから無理もないが、名前を呼んでもらえたことは素直に嬉しかった…というのが半分。もう半分は名前を覚えてくれていたのかという驚き。

何か不安なことがあるのか、またおろおろと視線を彷徨わせ始めた宗兵衛の頭を撫でる。

差し出した手は握られた。これから少しずつ、仲良くなれればいいと思う。



(13/15)


前肢