なきむし



利家殿とまつ殿は五日ほどの滞在ののち、尾張へと帰られた。普段聞くことの叶わない父上と兄上の武勇を聞いたり、槍術の稽古をつけていただいたりと、俺ばかりが楽しんでしまった気がする。別れ際、お二人にそのことを謝ると“自分達もそれが楽しかったから気にするな”と頭を撫でられてしまった。

俺は宗兵衛殿へ宛てた文と、会えるのを楽しみにしているという言伝てをお二人にお願いした。まだ読み書きは苦手だと聞いたから、返事はきっと来ないだろう。そう思っていたのだが、嬉しいことに宗兵衛殿から文が届いた。紙いっぱいに広がる拙い文字。俺のために頑張って書いてくれたのかと思うと、どうしても頬が緩んでしまう。


─はじめまして。
 文をありがとうございました─


そう書き始められた手紙の内容は、ほとんどが利家殿とまつ殿のことだった。利は強い、だけどまつお姉ちゃんの方がもっと強いだとか、二人が笑っていて自分も嬉しい、これからも笑っていて欲しいだとか。添えた桜にはこちらも綺麗な桜が咲いたという返事があった。

手紙から感じ取れたのは宗兵衛殿がとても優しい子だということ。それと、自分の話をするのが苦手らしいということ。会ってどんな話をしようか、どんな遊びをしようか、彼とは仲良くなれるだろうか。何度も手紙を読み返しながら、そんなことばかりを考えた。





「百合丸、宗兵衛が着いたそうだ」


返事が届いて幾日か過ぎ、その日はやってきた。門から使いが走り、来客の報せが父上に届く。報せを聞いた父上は手習いをしていた俺の部屋へと顔を覗かせた次第。

宗兵衛殿が来た。すぐにでも会いたい。ああ、墨で汚れたりしていないだろうか。今日は善兵衛殿の稽古はなかったから、着物や髪は乱れていないはずだが…。


「父上、おかしな所はないでしょうか…」
「大丈夫だ大丈夫だ。そら、早く会いに行ってやれ」


朗らかに笑う父上に背を押され、門へと向けて駆け出す。門前には利家殿とまつ殿、それに見知らぬ子供が一人いた。きっとあれが宗兵衛殿だろう。

供を付けるでなく、前田夫妻自ら出向かれたことにはじめは驚いたが、こちらに気付いて手を振る姿を見て『ああ、お二人はそういう方だった』と妙に納得してしまった。


「百合丸ー!元気にしてたかー!」
「はい、お陰様で。利家殿たちもお変わりはなく?」
「ああ、皆風邪も引かず元気にしている!」


お二人ともお元気そうで何より。

一先ず簡単な挨拶を済ませたことだし、そろそろ本題に移りたいとは思うのだが…。


「ほら宗兵衛、いつまでもまつの後ろに隠れていないで出てこい」
「さあ、文をくださった百合丸殿にございますよ」


肝心の宗兵衛殿が、まつ殿の後ろに隠れて出てきてくれないのだ。結い上げられた肩ほどまでの長さの髪がちらりと覗く。しかし顔は見えない。出てきてくれる気配もない。

困ったように笑う利家殿と一度だけ視線を交わし、まつ殿の後ろをそっと覗き込んだ。


「はじめまして、宗兵衛殿」
「!!」
「文をありがとうございました。お会いできて嬉しいです」
「…あ、う…」
「私も、利家殿とまつ殿が大好きですよ」


零れ落ちてしまうのではと思うほどに見開かれた目。段々と涙が溜まって、助けを請うようにまつ殿へと逃げてしまった視線がなかなかに悲しい。どうにか安心させようと出た言葉はやはりお二人の名前だった。

そろり、そろりと視線が下りて、俺から逃げるように後ずさり。上がりきった肩に首を竦め、きつく握り締めたまつ殿の着物で顔を隠す。それでも、彼の言葉はきちんと俺に向けられた。


「…ぼく、も、だいすき」
「では桜はお好きですか?」
「う、ん」
「私も好きです。桜吹雪は特に綺麗で」
「まっしろ、雪みたいで、きれい」
「はい」


にこりと笑んで、宗兵衛殿の手を優しく握る。また大きく見開かれた目は次第に細まり、ぎこちないながらも笑みの体を成した。音で表すならば“へにゃり”とでも言ったところだろうか。握り返された手が温かい。試しに腕を緩く広げてみると、恐る恐るといった様子で宗兵衛殿は俺に抱きついてきた。

急に胸に込み上げてきた嬉しさの塊に、たまらず抱き締める腕に力を込める。可愛い。どうしよう、すごく可愛い。俺の周りにはいなかった系統だ。弟の桜花丸ももちろん可愛いが、宗兵衛殿の可愛さは全く違う類いのもの。どうしても頬が緩んでしまう。


「まあまあ!こんなに早く打ち解けられますとは!」
「某も驚いた!良かったなあ宗兵衛、これからは百合丸の言うことをきちんと聞くんだぞ?」
「はい…」


俯き加減に頷いた宗兵衛殿は俺の着物を握り締め、不安げに瞳を揺らしていた。当たり前だ。誰だって知らない人間ばかりの所に放り込まれれば、怯えもするし縋りたくもなる。


「これから私とたくさん遊びましょう。大丈夫、利家殿とまつ殿もすぐに迎えに…」
「あー…すまん、それなんだがな…」


遮るように声を挟んだのは利家殿。しかし言葉の歯切れが悪く、まつ殿と顔を見合わせながら気まずそうに後ろ頭を掻いている。何かあるのだろうかと思案して、以前お二人が訪れた時に見せた父上の険しい表情を思い出した。

あれはたしか、俺を尾張に寄越すことを父上が拒んだ時のこと。…尾張に、何かあるのだろうか。


「百合丸までそんな顔をするな。何、ほんの一月ほど宗兵衛を預かって欲しいだけの話なんだ」
「一月、も…?」
「!!」
「あっ、しまった…!」


一月もの間、ここで預かるなどという話は聞いていない。せいぜい三日かそこらかと思っていただけに驚いた。

どうやらこの話を聞かされていなかったのは宗兵衛殿も同じらしく、目を見開いたまま固まって、涙だけが溢れんばかりに溜まっていく。利家殿もしまった、だなんて言っているし、これでは宗兵衛殿が更に不安がってしまう。


「宗兵衛殿も知らなかったのですね」
「…うう」
「ああ泣くな宗兵衛!すまん!黙っていた某が悪かった!」
「行貞様には文にてお伝えしてあったのですが、宗兵衛に教えてしまうと行きたくないと言い出すのではと思い…申し訳ありませぬ」


ぼろぼろと涙を零し始めた宗兵衛殿に慌てる利家殿、項垂れるまつ殿。やはり俺には話せない諸々の事情があるのだろう。あやすように背を叩けば、宗兵衛殿の泣き声は一層大きくなった。


「参ったな…こうなった宗兵衛はなかなか泣き止まんのだ…」
「宗兵衛、男児たるもの泣いてばかりではなりませぬ」


前途多難。これから上手くやっていけるか、少しばかり不安になってしまった。



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