さくらまう



「さあ今宵は無礼講ぞ!皆好きなように飲め!」


父上のその一声で宴が始まったのは一刻ほど前だっただろうか。最初は礼儀作法に倣って酒を酌み交わしていた家臣たちも、いつの間にか父上を中心に車座になって飲んでいた。兄上もその輪の中におり、まつ殿も酌をしながら楽しそうに笑っている。

桜花丸はとうに寝た。母上と姉上も室に下がり、今頃は三人で川の字になって寝ているかもしれない。しかし、俺は父上たちの輪に混ざることも、自室に下がることもできずにいた。


「それでなあ、某が街へ連れて行ってやってもそこの子供たちと遊ぼうとせず、某から離れようともせんのだ…」
「なるほど。宗兵衛殿は余程の人見知りなのですね」
「そうなんだ!周りに同じ年頃の子供がいないとはいえ、どうにかしてやれんかと思っているのだがなあ…」


顔から首どころか腕や足まで真っ赤にさせた利家殿。机に転がる徳利の数は優に十を超えており、包まれるように掴まれた手の平は酷く熱い。つまるところ、彼は酔っていた。

宴の主役とも言える利家殿の相手を俺になぞ任せていいのかとも思ったが、既に無礼も何もないような状態になっているのだ、あまり気にしない方がいいのだろう。絡み酒の対象から逃れたいがために贄にされたのではと思わなくもないが。


「百合丸〜!聞いておるか〜?」
「はい。聞いております」
「はあ…宗兵衛も百合丸のようにしっかりしてくれればなあ…」
「私もしっかりしているというわけでもないと思うのですが…」
「そんなことはない!言葉遣いといい所作といい!…うちの宗兵衛とは大違いだ…」


がっくりと項垂れる利家殿。自分で言っていて悲しくなったらしい。聞けば年は桜花丸と同じ六つというし、酒の勢いを抜きにしても利家殿が宗兵衛という甥を気にかけていることは十二分に伝わってきた。

桜花丸も周りに同じ年頃の子供がいるわけではないが、元来の物怖じしない性格故か人見知りはしない。弟と同い年で、この性格の違い。段々と人ごとには思えなくなってきた。


「利家殿」
「ん?」
「その…もしよろしければ、宗兵衛殿にお会いしたいと思ったのですが…」


特別なことはできない。しかし、会って話し相手になるくらいのことならできる。

…言ってから、差し出がましい真似をと後悔した。現に利家殿からは何の反応もなく、気まずさから視線がどんどん下がって行く。俺も人と話すのは得意な方ではない。利家殿のことだ、傷付けずに断る言葉を探してくれているのかもしれない。

堪らず今のは聞かなかったことにしてくれと言おうとした。が、それより先に利家殿に抱き上げられたせいで、出かけた言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。どたどたと覚束ない足取りで長机の間を進む。利家殿にしがみつきながら、料理の上に落とされてはしまわないかと内心ひやひやした。


「行貞殿!!折り入って頼みがある!!」
「なんだ犬千代、もう酔いは…冷めておらんな。おい、どうして百合丸を抱えている」
「頼む!百合丸を某にくれ!!」


勢いよく頭を下げた利家殿に、車座になっていた父上たちも何事かと視線を上げた。そして飛び出した言葉に零れ落ちるのではと心配になるほど目を見開く。その中で一番はじめに我に返ったのは父上だった。


「…ならん!!百合丸は誰にもやらん!!子が欲しいのなら作れば良かろう!!」
「なっ、破廉恥な…!某は子が欲しいのではない!いや、まつとの子はいずれは欲しいと思っているが…」
「犬千代様!!」
「惚気るなら部屋でやれ!子を成すのも部屋だ!とりあえず百合丸を返せ!!」
「そうだ!百合丸をどうか某に…!!」
「だからやらんと言っているだろう!!」


くれだのやらんだの同じ言葉が何度も頭上を行き交う。あまり考えたくないが、どうやら俺のことで揉めているらしい。二人とも酒が回って言葉がうまく噛み合っていないから、内容が把握しづらい。助けを求めるように兄上を見ると、とても自然な動作で利家殿から俺を取り上げた。それは利家殿が思わず忝い、と口にしてしまうほどだ。

なぜ俺が欲しいなどと言ったのか。そもそも欲しいとはどういう意味か。ただ宗兵衛という甥の話を聞いていただけのはずなのに、いつの間にそんな話になったのだろう。未だ言い合いを続ける父上と利家殿を見て首を傾げる。


「なぜ犬千代がお前を欲しいなどと言い出したのかは分からないが、兄にもひとつだけ言えることがあるぞ?」
「それはなんでしょうか?」
「酔っぱらいの戯言など聞かぬに限る」


にこり、と綺麗に笑んだ兄上。視線を戻せば座布団に足を取られて転ぶ二人がいた。…たしかに、こんな状態の人間の言葉を真に受けるのも良くないかもしれない。

俺は兄上の言葉に頷き、残っていた家臣やまつ殿に挨拶をして自室へと下がった。


宗兵衛殿は利家殿の甥で齢は六つ。気が弱く、体も小さい。頭は悪くないが、武芸には興味を示さない。…と、ここまでが酒の席で聞かされた話だ。翌朝には二日酔いで頭を抱える利家殿に『心根の優しい子だ』とも教えられた。同じく青い顔で額を抑える父上は、くれなどと分かりづらい言い方をするなとぼやいている。

曰く、利家殿は俺を尾張へ連れ帰って宗兵衛殿に会わせようと思ったらしい。それに対する父上の答えは否。渋面の中にも険しさが見え隠れしており、俺などが到底知り得ない事情があるのだろうと口を噤んだ。


「まあ、その宗兵衛とやらをこちらで預かる分には一向に構わんがな」
「まことか!…あたたた…、では早速日取りを…」
「後にしろ。お前のせいで久々に悪酔いしたわ」
「それは某のせいではござらん…」


どちらにせよ、すっかり二日酔いになってしまった二人は今日一日まともに動けそうにない。代わりに元気な女性陣は供を連れて街へ下り、まつ殿に贈る祝いの品を買うそうだ。兄上は父上の分も仕事。桜花丸は普段と同じように元気に庭を駆け回り、気が向けば茂時殿に兵法の教えを請うだろう。


「百合丸、お前はどうする?さねらと街へ下りるか?」
「いえ、文を一筆書こうかと」
「ほう、誰宛だ?」


食事を終えた後、出された茶を啜りながら父上が驚いたような顔をした。文を出すほど遠方の知り合いといえば今ここにいる利家殿とまつ殿くらいしかいないし、当然の反応だろう。俺も湯飲みの中に息を吹きかけ、まだ見ぬ宗兵衛殿の姿を水面に思い描いた。


「いきなりお会いするよりは良いかと思いまして…」


咲き誇る桜。あれを添えて、宗兵衛殿に文を出そう。父上は目元を緩め、お前らしいと笑ってくれた。



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