ようみょう



秋が過ぎ、冬が来て、雪が辺り一面を白に染めた。毎年降り積もる雪だが、今年は桜花丸に巻き込まれて城の者総出で雪合戦をした。最初はわざと雪玉に当たっていた家臣たち。しかし、


「つまらぬ!しげとき!さいはいを持て!」
「御意」


という桜花丸と茂時殿の一言で、木盾や竹束まで引っ張り出しての大掛かりな雪合戦になってしまった。対するは善兵衛殿率いる武者軍。寒いだろうからと茶を届けに行けば、桜花丸に『援軍が来た』と言って巻き込まれるし、すっかり面白がっている茂時殿は止める気配もない。仕方なく、俺も桜花丸の一軍に加わった。

智で攻める桜花丸軍に対し、剛で押してくる善兵衛殿。こちらは雪玉を作る者と投げる者を明確に分け、一部の雪玉を一つ所に集めていった。そして左右から寄せて中央に集めたところで大将首に一斉砲火、もとい雪玉。最初は枝で叩き落としていた善兵衛殿も、俺が投げた雪玉が顔に当たったところで総崩れとなった。

決着がついたのは夕餉も近い昼七つ頃。政を終えた父上と兄上には今度は自分たちも呼ぶようにと念を押された。…何か間違っていると思うのは百合丸だけなのか。


「あそこで口に雪が入らねば某らが勝てたものを…!!」
「善兵衛殿、あなたは前に出過ぎるのです。昔から猪武者と揶揄されているでしょう」
「喧しいわ!一番槍こそ武士の誉れ!前を駆けて何が悪い!」
「よいですか百合丸様、桜花丸様。このような猪武者を諭すこともまた采配を振るう者の務めにございます」
「うむ、こころえた!」
「ははは…」


なんでも教えに変えてしまうのは茂時殿の良いところだと思うが、些か善兵衛殿が不憫だ。そもそも父上から聞くに、戦場での善兵衛殿は至極冷静で先駆けと抜け駆けの違いをよく諭しているという。今日のは遊びだから好きなように前へ出られたのだろう。昔の話になると分からないが。


「善兵衛殿、次はもう少しまともな戦い方を見せてください」
「相変わらず若は可愛げのない…。しかし、そう言われては某とて黙っておられますまいな」


まるで獣のように目を光らせて、善兵衛殿は武士の顔で笑った。…後日、父上と兄上の連合軍に大敗して酒の肴にされていたが。


さて、霜月は遊んで過ごせても師走に入ればそうはいかない。年越しの支度に追われ、誰も彼もが走り回る。俺も少しでも手伝おうと燭台を運んでいたのだが、その時に師走油をやってしまった。嬉々として善兵衛殿に水を掛けられ、そのせいで濡れた障子が破れるわ床は滑るわ…。結局、二人そろって母上に叱られる羽目になった。

そうして慌ただしいまま年を越え、俺の齢は九つに。年明けには神猿を祀る神社に赴いて繁栄を願った。父上や兄上たちが戦に向かう時も必ずこの神社へ必勝祈願に訪れるのだが、やはり猿と聞くと佐助のことが浮かんでしまう。いつもこっそりと彼の無事も願っていることは内緒だ。

やがて睦月、如月と過ぎて雪も溶けた頃、利家殿とまつ殿は春を引き連れるようにしてやって来た。


「行貞殿!息災でござるか!」
「お久しゅうございます、行貞様」
「おお、よう参った!こちらは皆元気にしている。此度の縁組み、まことめでたいな!」


久方ぶりにお会いする利家殿はずいぶんと傷跡が増えたように思う。今は着物で隠れているが、その下もきっと傷だらけなのだろう。まつ殿は以前よりお綺麗になられた。そして何より、二人ともとても幸せそうな顔をしている。

広間にて普段の挨拶を済ませると、二人はしゃんと背を伸ばし、そして三つ指をついた。


「此度、まつと夫婦(めおと)となり申した。これは前田の名に恥じぬ良き妻にございます。不肖某、名と妻に恥じぬよう一所懸命に邁進いたしまする」
「前田利家が妻、まつにございます。前田の名と夫の武勇に恥じぬよう、妻としての務めを確と果たす所存にございまする」


上座に座る父上は二人を順に見て、広げた扇をぱちりと閉じた。先ほどまでのくだけた雰囲気とは違い、頬をわずかに緩めながらも威厳ある表情をしている。


「良い。面を上げよ」


三つ指をついた姿勢から、徐々に体を起こし、視線を交わす。一瞬の間を置いたのち、父上と利家殿はほぼ同時に吹き出した。


「ぶっ、ははは!ついこの間まで寝小便をしていた小僧がよう言うようになったわ!」
「わはは!やはり某、こういう堅いのは苦手だ!」
「もう、犬千代様!挨拶くらいしゃんとしてくださいませ!」
「またその名を…。某、もう元服して名を改めたのだから“利家”と呼んでくれと言っただろう…」


利家殿が恥ずかしそうに顔を赤らめると、まつ殿も人前で失態を犯したことに顔を赤らめた。幼い頃より利家殿を知っているから、つい癖で幼名を呼んでしまうのだろう。俺の隣に座っている兄上は一考したのち、にこりと笑んで口を開いた。


「私とて犬千代の名の方が親しみがある。これからもしばらくはこの名で呼ばせてもらうつもりだが?」
「行春まで!…しかし、嫁まで貰ったのにいつまでも幼名で呼ばれていては一人前の武士として認められぬ気がするぞ…」


兄上の気持ちも、利家殿の言い分もよく分かる。武家という立場柄、面目というものもあるだろう。兄上の時は不思議と幼名で呼ぶ者はいなくなったが。

顎を撫でながらふむと頷く父上。さて、采配はいかに。


「よし、俺も行春も犬千代と呼ぼう。まつ、お前も今まで通り犬千代と呼ぶがいい」
「行貞殿!?」
「それは…どういった真意にございましょうか?」


慌てる利家殿、そして狼狽えるまつ殿。父上は呵呵と笑い、まずは落ち着けと二人の浮きかけた腰を下ろさせた。

決して、利家殿が烏帽子名に釣り合わぬと言っているわけではない。その武名は美濃のこの地まで届いている。ならば何故か。父上はふと目元を緩め、諭すような声色で言葉を紡ぐ。


「形に縛られるな。要は想いがあれば良い。まつが長く共にした“犬千代”という名…。改めたからと言って、捨てるには惜しいだろう」
「しかし、某は烏帽子親から頂いたこの“利”の字も誇りに思っている故…」
「それで良い。お前ほどの器なら、二つの名を抱え込んだところで何の問題にもならん」


思い入れ深いものを捨てる必要はない。

そう言って、父上は破顔した。百合丸はどうだと話を振られたが、俺は利家殿とお呼びさせていただくと答えた。元服された折からそう呼んでいるのだ。今となってはこちらの方が親しみがある。

顔を見合わせて、やんわりと笑む利家殿とまつ殿。なんとなく、俺が元服したのちにも二人は“百合丸”と呼んでくれるような気がした。



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