えんぐみ



その日は突然、父上に呼び出された。父上の横には母上が控え、兄上や姉上、弟の桜花丸も呼び出されている。上座に座る父上はとても嬉しそうに微笑んでいて、これが悪いものでないと察することはできるが…。


「父上。何か良いことでもあったのでしょうか?」
「よう聞いてくれた、行春!ついさっき良い報せが届いたのよ」
「良い報せとは?」
「尾張の前田犬千代がまつを娶るそうだ!」
「まあ!まつが!」


最初に嬉しそうな声を上げたのは姉上だ。前田家と波多野家は同じ織田軍に所属している関係で昔から交流があり、特に年の近い犬千代…利家殿と兄上、まつ殿と姉上はそれぞれ仲が良い。もちろん、俺や桜花丸もお二人には遊んでもらったことがあり、今回の縁組みもとても嬉しかった。


「して、婚儀はいつ頃にございましょうか」
「文には三月後と書いてある。こちらへは折を見て挨拶に来るそうだ」


戦乱れるこのご時世。想い人と添い遂げられることはそうそうあるものではない。特に武家の身ともなればより強い繋がりを持つため、顔も知らぬ御仁の元へ嫁ぎ、あるいは娶ることがほとんどだ。これが二人の縁組みを喜ばずにいられようか。

父上の話が済んだ後、姉上は早速贈り物を考えようと自室へ戻った。俺も桜花丸と一緒に何か考えようかと思っていたのだが、なぜか兄上に手を引かれて城下町を歩いている。ちなみに、城を出る前に見た桜花丸は女中たちと隠れ鬼をしていた。


「ふむ…供はいらぬと言ったのだが」
「兄上?」
「そこにいるのであろう。出て参れ」


人気の少ない裏通り。兄上が少し困ったように笑って言うと、物影から兄上付きの家臣が申し訳なさそうな顔をしながら出てきた。驚いた。俺は彼の気配に全く気付かなかったから。

男…由昌殿は深く頭を垂れたのち、眉尻を大きく下げた顔を恐る恐る上げた。


「無礼は承知の上でございます。しかし行春様と百合丸様の御身が心配で…」
「そう子供扱いしてくれるな。百合丸一人なら私でも守れる」
「ですが多勢に無勢という言葉もありますし…」
「はあ…相変わらずお前は心配性だな」


兄上のこんな顔は初めて見るかもしれない。呆れたとでも言いたげな、けれどどことなく楽しんでいるような表情。からかえばからかうほどに由昌殿が狼狽えるので、俺もつい釣られて笑ってしまった。それにまた顔を赤くするものだから、最後には兄上まで笑い出す始末。これで兄上はとうとう由昌殿の言葉に折れた。


「分かった分かった。由昌も来い。本当は百合丸と二人きりで話がしたいから桜花丸を置いてきたのだがな」
「申し訳ありませぬ…」
「ほら、あまり時間がないのだからさっさと歩け」


どこか棘のある言葉を飛ばす兄上。由昌殿は迷うように視線を泳がせたのち、俺と兄上の三歩後ろをついて歩いてきた。

城下町は秋の実りの恩恵を受けてとても賑わっている。刈り働きをされぬよう父上が近隣国に目を光らせていたこともあり、今年は米の収穫量も上々。きらきらと光る人々の顔に、俺も、兄上も、由昌殿も、思わず頬を緩めた。


「百合丸。どこか茶屋にでも入ろうか」
「はい」
「行春様!なれば私が評判の茶屋へご案内を…!」
「いらぬ」
「ぐう…」


なんと言うか…兄上は由昌殿をよっぽど気に入っているらしい。気合いを入れて前へ出てきた由昌殿。すぐに項垂れて三歩後ろへ下がった由昌殿。見ていてこれだけ飽きないのだから、兄上がからかいたくなる気持ちも分かる気がする。

それから少し歩いて、落ち着いた雰囲気の茶屋に着いた。店先の長椅子に並んで腰掛け、自分は立っていると言って聞かない由昌殿を俺の隣に座らせる。はじめはどうにも居心地悪そうにしていたが、俺が何度も話しかけている内にそれは和らいでいった。

頬張った団子は柔らかくてほんのり甘く、店の雰囲気に似たとても優しい味わいだ。


「通り沿いの茶屋は看板娘が評判だそうだが、私はこちらの味の方が好きだな」
「兄上がたまにくださったお土産はここのものだったのですね」
「おお、さすが百合丸!よく分かったな!」


嬉しそうに笑う兄上に頭を撫でられ、気恥ずかしさから少し俯いた。すぐ隣には由昌殿もいるし、人前でこういうことをされるのはやはり恥ずかしい…。


「あ、前から気になっていたのですが、その鼻の頭の傷はどうされたのですか?」


ふと、由昌殿が自分の鼻を指して思い出したように首を傾げた。どうやら顔が赤らんで傷跡が濃くなってきたらしい。

佐助につけられた傷はすっかり塞がって、今では痛みも不自由も何もない。だが、俺が思っていた以上に深く切られたのか、一の字に入った傷ははっきりと残ってしまった。指先でなぞれば微かな凹凸があるのが分かる。


「やはり目立ちますか?」
「そうですね、百合丸様のように幼い顔に向こう傷がありますと…」
「初陣すらまだだというのに、無茶をするから」
「すみません…」


と、口では謝罪の言葉を述べるも心ではあまり悪いと思っていない。俺にとってこの傷は佐助に会えた証のようなもの。つまり、かけがえのないものとなったから。


「行春様が、以前話されていたのは…」
「ああ、この目のことだ。…百合丸、茶が冷めるぞ」
「あ、はい」


兄上に言われて慌てて湯飲みを手に取ったが、俺が飲むにはまだ熱い。何度か湯気を吹いてからそっと口を付けた。

そういえば、姉上もいつかはどこかへ嫁いで行ってしまうのだろうか。喜ばしいことなのだろうが、どうにも物悲しい気持ちになってしまう。どうか、利家殿とまつ殿のように温かな縁組みであるようにと願わずにはいられなかった。



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