青雉さん



「ごめんくださーい!誰か手ぇば貸して欲しいんなけどー!」


とある日の昼下がり。いつもなら裏口からこっそり抜け出して散歩に行くところを、この日は逆をついて正面から堂々と出て行くことにした。

みーんな律儀に敬礼してくれる中でこりゃ作戦成功だねと思わず頬を緩めたとき、耳に届いたのは冒頭の気の抜けるような声。

海軍本部でごめんくださいって…。まるで近所の家に来たみたいじゃないの。


「あ!おめさん!そこのでっがいおじさん!」
「…俺?」
「んだ!おめさ、力ありそうだからちぃと手ぇば貸してくんねか?俺一人じゃ運べねえでな、なーんか手違いがあったみてえでいつもの海兵さんのてえらもいねえのよ」


訛り全開のこの子はいったい何者なのか。首から通行証を提げているから関係者ではあるんだろうけど、こんな子は見たことがない。

癖のある茶色の髪、日に焼けた肌と鼻の上のそばかす。困ったように眉を八の字に下げて俺を見上げる顔はどこにでもいるような普通の子だけど…この強烈な訛りは聞いたら忘れられないよね。


「あのー…どうだっぺ、ダメなら他さ当たるだけど」
「ん、ああ、うん。いいよ。何手伝えばいいの?」
「米ば荷車さ乗せて欲しいんだわ。数があっから、俺だけじゃ運べねえでなー。どこさ運べばいいのかも分からねえでよ」


参った参ったと頬を掻いて歩き出す小さな頭。歳は17くらいに見える。ああ、そういえば、


「ねえねえ、君なんて名前?」
「俺か?俺はヒカリっていうだ。そういうおじさんは?」
「あらら、俺のこと知らない?クザンっていうんだけど」
「クザンさんっていうだか。悪いけど海軍のことはなーんも知らんよ。おらげのもんも世間様のことには疎いんだわ!気ぃ悪くしねえでな」
「ああ、それは別にいいよ。…ところで“おらげ”って何?」
「あんれまあ、通じねえか。おらげっていうんはな、俺んちって意味だっぺ」
「なるほど」


ちょっと話してみて気がついた。この子の声聞いてるとすんごく眠くなる。アクセントの少ない平坦な音のリズムが耳に心地良いというかなんというか…眠い。やばい、ぼーっとしてきた。

せかせか歩くヒカリの後ろをふらふら歩きながら追いかける。手伝いが終わったらすぐに昼寝だな、場所はどこにするか。ちょっと遠出して海を渡るのも…と延々考えてようやく港へ着いた。

軍艦が並ぶのとはまた別の一角、主に商船が出入りする区画に停泊する一艘の船。ヒカリはちょっと待っててくれと言い残して船の中へと消えてしまう。

待ってる間に寝ちゃうよ、俺。


「かー!誰か残ってねえかと思ったけんど、みんな街さ行っちまったみてえだわ。クザンさーん!船まで上がってきてくれねえかー!」


甲板から身を乗り出すヒカリに呼ばれ、荷下ろしのために渡された板を上る。そこから更に船内の大きな貯蔵庫まで進んで、積まれた米俵の量に呆れてしまった。


「こん米ば荷車さ積むだ!」
「…この量、一人で運ぶつもりだったの?」
「んだ。まあ、ちっと多いけんど運べねえほどでもねえよ」


そう言って腕まくりするのはいいんだけどね、やっぱりおじさん無理だと思うのよ。だって細い。ちょっと筋肉ついてるけど細いものは細い。

ここはおじさんに任せなさい、と荷下ろしを始めそうな腕に手を置く。俺は携帯用の子電伝虫を取り出し、港の管理棟へとかけた。


「あ、もしもし?クザンだけど、ちょっと港の方に人を寄越してちょーだい」
『た、大将!?一体なぜ…』
「なんかあれよ、えーっと、お米屋さん来てるのよ」
『イナホ島の商船ですか?到着と荷下ろしは済んでいるはずですが…』
「そうなの?まあ残ってるもんは残ってるから、よろしくね」


まだ何か聞きたそうな雰囲気だったけど、無視して通話を切った。今から人が来るから待ってようね、と言うとヒカリは不思議そうに首を傾げる。クザンさんはお偉いさんだったべか?だって。まあ、肩書きはそういうことになるのかねえ。

それからはあっという間。ばたばたと慌ただしく海兵たちがやってきて、今日は街への出荷分だけだと勘違いしていたことをヒカリに謝っていた。米俵の山は手際よく下ろされ、本部の食料庫へと運ばれて行く。

さあて、ちゃんとお仕事もしたし、俺は散歩にでも行きますか。


「じゃあ、俺はこれで」
「あ!ちょっとだけ時間もらえねえだか!?」
「ん?」
「今日のお礼にな、俺が握った握り飯食ってほしいだよ」


背負っていた鞄を下ろし、ヒカリがその中から取り出したのは笹の葉に包まれたおにぎり。つやつやと光る米粒に、小腹が空いたことを思い出した。


「おらげで作った世界一うめえ米だ。ほっぺたおっこちんど!」
「そう?じゃあ、遠慮なく」


綺麗な三角形のおにぎりが三つ。一番右のを取ると、それは梅だと言ってヒカリが笑う。まずは一口。梅の酸味に当たらない程度を口に含んだ。


「どうだ?うめえか?」


…うめえ、なんてもんじゃない。

え、何これ、米が甘い!?ほんのり効いた塩気が後に残る米の甘さを引き立てて…。握りの加減も絶妙すぎる。粒が潰れずしっかり残っている上に、数回噛んだだけで簡単に解れていく。それにこの梅干し。脳天まで痺れるような酸っぱさだけど、米がそれに負けてない。

なんていうか、本当に美味い。


「え、ちょっとこれ、本当にびっくりしたわ。おにぎりってこんなに味が変わるもんなの?」
「んなにうまかっただか?米は釜戸で炭と一緒に炊いて、あとは愛情込めて握ってやるだけなんだけんどもなあ」
「ごめん、もう一個食べてもいい?」
「あたりめえだ!残りはこっちがシャケで、こっちが昆布」
「うん。昆布も美味いね」
「クザンさん良い顔して食うなー!もう一個も食えたら食ってくれ!」
「ほんとに?おじさんマジで食べちゃうよ」


結局、ヒカリのおにぎりは三つ全て俺が平らげてしまった。だってあれはヤバい。それくらい美味かった。

帰り際、またおにぎりよろしくと冗談半分、本気半分で言ってみたら、ヒカリは嬉しそうに笑って頷いてくれた。



青雉さん


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