俺は知らない
ユバの街での別れ際、なぜか思いっきりエースに抱き締められた。素直じゃねえなあ、お前は、なんて言われて少し腹が立つ。そしてエースは俺の肩口に顔を埋めて、またぐしゃぐしゃに頭を撫でた。
それから一夜明けた今日。出発のために身支度を整えていて気付いたが、どうにも虫に刺されたらしい。首筋に赤くなっている場所がある。なんかチクッとしたしなあ、なんて鏡を眺めていたら、ぎょっとした顔のナミに詰め寄られた。
「あ、あんた、それ…!」
「は?」
両肩をがっしり掴まれて、ナミは信じられないものでも見るような目を虫刺されの痕へ向けていた。ま、まさか…。
「ナミが刺されたみたいなヤバい虫なのか…?」
「あー…うん。ある意味」
「じゃあすぐチョッパーに診てもら、」
「大丈夫よ、ほっときゃその内消えるから」
それまでバンソーコー貼っておきなさい、と言って首筋をぺしりと叩かれる。鏡を見ればバンソーコー。
「とんだ害虫がいたもんだわ」
と言ったナミの目には、なぜか怒りの色が灯っていた。
ユバの街を出て、反乱軍のいるカトレアへ引き返そうと、昨日通った砂漠へ一度は足を踏み入れた。だけどルフィの核心を突いた「クロコダイルをぶっ飛ばさなきゃ反乱は止められねえ」の一言に、俺達は北へと進路を変える。
一昼夜歩き通してたどり着くは次なる街“レインベース”。街に着いた俺達は適当な場所に腰を下ろして、水を買いに行ったルフィとウソップを待っていた。
「あいつらに任せて大丈夫かな」
「お使いくらいできるでしょ。平気よ」
「そうかね…。どうせまたトラブル背負って帰ってくんじゃねえのか?準備運動でもしといた方がいいぜ」
二人が向かった方向を眺めて煙草を吹かすサンジ。柵に背をもたれて、ウソップ製の新しい武器をいじるナミ。ゾロはどこかで拾ったらしい枝でマツゲ…ああ、こいつは一昨日の昼飯のトカゲのごたごたで仲間になった。…まあ、そのエロラクダの鼻先を叩いていた。
俺はと言うと、目を凝らし、耳を澄まし、鼻をひくつかせ、ある一点に神経を集中させているところ。
(スモーカーさんが、来てる…?)
嗅ぎ慣れた葉巻の匂いが僅かに鼻先を掠めた。次いで人混みの中に見慣れた制服を捉え、聞き慣れた怒声が鼓膜を揺らす。
「待て!!麦わら!!」
思わず声の方へと足を一歩、踏み出した。だけど腕を掴まれる感覚に、ぼんやりしていた意識が引き戻される。
「お前が行くのはそっちじゃねえだろ」
「あ、ああ…」
俺の腕を掴んだのはゾロだった。彼がくい、と親指で差す先には敵の本拠地“レインディナーズ”がある。雨の晩餐なんて、嫌味な名前だ。
そして俺はしかめっ面のままフードを深く被り直し、妙な飾りの付いたカジノを目指して走り出した。フードに収まりきらなかった金糸が揺れて鬱陶しい。
俺はまたくしゃりと顔を歪ませ、遠ざかる怒声に背を向けた。
俺は知らない
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