陽炎ゆらり



逃げるルフィを追って白が伸びる。少し遠いけれど、俺の耳はしっかりとその人の声を拾い上げていた。聞き間違えようのない、その声。


「スモーカーさん!!」


もう一度、その人に向かって叫ぶ。ルフィだけを捉えていたはずの目がこちらに動き、見開かれる。そして続けざまに零れた言葉は、ごうごうと唸るような音に掻き消されてしまった。


「陽炎」


踊るように揺れる炎がスモーカーさんの姿を隠す。俺とスモーカーさんを隔てるように現れた炎は同じく、隔てるように立ち塞がった男の体から溢れていた。

ぐらぐらと、胸の内が熱くなる。炎ではなく、焦燥に胸を焼かれる。

焦りのままに声を荒げれば、喉の奥がひりひりと痛んだ。


「…そこを退け!!」
「あ?姉ちゃん、あの海兵に何か用でもあるのか?」
「良いから、そこを退け…!!」


振り返った男はテンガロンハットを手で抑え、不思議そうに片眉を上げる。頭に血の昇った俺はまともに答えることも出来ず、男の腕を掴んだ。


「頼む!俺は、あの人に…、」


一目会いたいだけなんだ。

そう、言いたかった。だけどその先の言葉は出ず、天と地とがあやふやになる感覚に体が傾く。

そして遅れて襲った腹部の鈍い痛みに、俺は意識を手離した。

























「なあ〜、俺が悪かったって!だから機嫌直してくれよ!な!?」
「…俺に話しかけんな」
「そう言わずに!」
「………」
「う、」


恨ましげに上目で睨めば、男は気まずそうに目を逸らした。


…事の次第はこうだ。

スモーカーさんと俺との間に立ち塞がった男は、ルフィ…いや、弟を逃がそうと炎上網を張った。そしてその炎上網を解き、スモーカーさんに会わせろと迫ったのが俺。

そんな俺に男は“とりあえず”拳を叩き込んで黙らせた、というのが粗方の顛末。腹は痛いしスモーカーさんには会えないし、踏んだり蹴ったりだ。


「はあ…。あんたら兄弟、人の話を聞かねえところとかそっくりだよ」
「お、そうか?」
「…なんで嬉しそうな顔すんだよ」


貶したつもりが逆に嬉しそうな顔をされてしまった。なんか調子狂う。…ああ、そういうところもルフィに似てんのか。笑った顔もどことなく、似ている。


気を失った俺は男に担がれ、メリー号ではなく男の“ストライカー”という船に乗せられた。すぐにルフィ達の船に合流するつもりらしいから、それに関しては特に問題ない。問題ない、が…。


「なあ」
「ん?」
「スモーカーさん、なんか言ってたか?」


俯き、すぐ側で揺れる水面を眺める。

俺がどれくらい気を失っていたかは分からない。でも男はスモーカーさんを足止めする目的で現れたんだから、ルフィ達を逃がした後もしばらくスモーカーさんと相対していたはず。

それなら何かしら会話があってもおかしくないと思った俺は、そこに僅かな希望を賭けた。

男は一度、渋い顔をしてから口を開く。


「それなんだが…姉ちゃん、あの海兵のコレか?」


至って真面目な顔に、ぴんと立てられた小指。その小指を折らなかった俺を誰か褒めて欲くれ…。

ついでに飛び出し掛けた拳をぐっと握り、水面の上を滑らせていた目で男を睨む。


「…、違う!!そんなんじゃねえ!!」
「おいおい、何もそんなにムキになるこたねえだろ?」
「ムキになんかなってねえ!それにっ、俺は男だ!!」
「はあ!?」


俺の言葉に、男は一際驚いた顔で仰け反った。そして小さくて狭い船の上でそんなことをされれば、船体のバランスが崩れるのは当然で。向かい合う形で座っていた俺は男の胸に頭を打ち付けることになった。

あーもう!これじゃ怒るに怒れねえ!


「わ、悪い!」
「あ、いや、別に…」


いくらスモーカーさんので見慣れているとは言え、男の胸板に引っ付くのは…さすがに抵抗があるからな(あまり気分の良いものじゃない)。

支えるように掴まれた肩、その上に乗った手からするりと逃れ、さっさと船を出せと頭を小突いてやった。



…掴んだ肩が細いだとか、体重が軽いだとか柔らかいだとか。

目の前の男がそんなことを考えていたなんて、露ほども気付かない俺だった。



陽炎ゆらり


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