小さな小さな決意の言葉



とんとん、とんとん。

少し速い調子で肩を叩かれる。スモーカーさんだったら有無を言わさず耳元で怒鳴るから、これはたしぎさんかな?じゃあ、あと五分と呟けば優しい彼女はきっと困った顔をしながら微笑んで、五分間の睡眠をくれるだろう。


「…たしぎ、さん」
「!!」
「あと五分だけ、欲しいっす…」


もぞもぞと身動ぎしつつも、起きる意思のないことを主張するように頭を引っ込める。肩を叩かれる感触はなくなったし、起こそうとする気配もない。

うーん、やっぱたしぎさんは優しいっすねー。

そう呟けば、なぜかガタガタ、ガヅン、という鈍い音が響く。あはは、たしぎさんはドジだからな。い゙、とかクソとかんのヤローとか言っちゃっ、て…?


(たしぎさんが“い゙”とか“クソ”とか“んのヤロー”?)


そこまで頭の中で反芻してようやく気付いた。ここ、ローグタウンじゃなくて海賊船だ。たしぎさん達が居る訳がない。

やっとその答えに行き着いたところで、ガバリと顔を上げた。

やべえ、寝ボケた!そしてさっきの音の正体はなんだったんだ?

寝起きでぼやける視界、ぱちぱちと数回の瞬きの後に映ったのは、本棚の前で本に埋もれて座り込むゾロの姿だった。頭を擦ってるからたぶん、当たったんだろうな。本か何かが。


「…なんでそんなことになってんだ?」
「うるせえ!元はと言えばお前が寝言であの女の名前を呼ぶから…」
「たしぎさん?」
「ッ、その名前を口に出すな!!」
「?」


自分の前に目一杯右腕を伸ばしてその手の平を俺に向けるゾロ。なんだよ、ゾロはたしぎさんの知り合い?でもなんだってこんなに嫌がってるんだ。ただ名前を出しただけなのに…。


「あ、もしかしてアンタ、たしぎさんのこと好きだったりすんのか?」
「!!?」
「え、違う?“お前こそどうなんだ?”…って、おい」


んなのありえねえから、と吐き捨てるように言って口をへの字に歪める。具体的な理由を挙げるとするなら、それは俺が男じゃないから、の一言に尽きる。だけど目の前のゾロはそれを知らねえし、教えることも出来ない。ので、別の言い訳を考える。

うーん。妥当に良い先輩だけどそういうんじゃないから、とでも答えておこう。ゾロはあんまし、こういうことを深く考えるようには見えないし。

そして、それをそのまま口に出したところで、部屋にナミとゾロと俺以外の皆が居ないことに気付く。聞けば島が見えたから皆、甲板に出てるんだとか。なるほど、どーりで上が賑やかな訳だ。


「ライは行かなくて良いのか?」
「寒いから遠慮する」
「はは、お前らしいな」


さっきの動揺っぷりから打って変わって、カラカラと腕を組みながら笑うゾロ。俺は至って真面目なんだかな。それに、いつ着込んだんだか知らないが、ゾロは寝る前と今とでは着ている上着が違う。厚手で長めのダウンを着込んだゾロと違い、俺は未だに海軍ジャケットのまま。…後で誰かに借りよう。でないと凍死する。

ぶるりと身震い一つして首を引っ込める。そう言えば寒い。いや、昨日もずっと寒かったけど。だけど今日は昨日より更に寒い。指先が冷え固まってぎこちなくしか動かせない。サンジは今居ないし、いっか。ちょっと失礼して手の平だけナミの眠るベッドの中へ入れさせてもらった。あ、あったけえ…!予想以上の温かさに顔が綻ぶ。ゴメンな、ナミ。ナミが大変なのは分かるが俺も大変なんだ。

心の中でペコリと頭を下げてそのまま布団に頭を落とした。目を閉じればローグタウンの皆の顔がすぐに浮かぶ。

怒った顔のスモーカーさん、眼鏡の向こうで目を細めるたしぎさん、困ったように笑うマシカクさん、花のように笑う町の酒場の娘さん方。

皆大好きだ。それはもう、夢に見るくらいに。





「ゾロ」
「ああ?」
「俺、アラバスタでやることやったら、この船降りるよ」
「…そうか」


俺はまだ、布団に顔を埋めたままだからゾロの表情は分からない。だけどゾロはそれっきり、何も聞いてこようとはしなかった。俺はゾロにも誰にも聞こえないよう、小さく小さく“ありがとう”と呟いた。



小さな小さな決意の言葉


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