離れて気づく



「ダイ、ここで待ってるんだよ?あたしの後を付いてきたりしたら承知しないからね?」


そう言い残して、母は何処かへ消えた。あたしは一人、膝を抱えて座り込んだ。

ああ、捨てられてしまった。

母は言葉にしなかったが、自分が捨てられたことくらいは理解できた。

お前なんかあたしの子供でもないのに、と常々言っていた人だ。

その答えに行き着くのも容易かった。


母は、本当の母ではなかった。

生まれてすぐ両親を失ったあたしを“引き取らされた”親戚だった。

そしてまだ名もなかったあたしに“ダイ”という名前をつけた。

DIE、ダイ。

早く死ぬようにと、つけられた名前だった。









「…い、おい!“ライ”!!」
「…ッ、」
「おい大丈夫かよ!顔真っ青だぞ!?」
「あ、ああ…大丈夫だ」


突然現実に引き戻されて、朦朧とする意識で答える。小刻みに震える右手で額を押さえ、空いた左手で震える身体を抱き締めるように、ジャケットを強く握った。もう思い出すこともないと思ったのに、不意に蘇ったあの日の光景に目が眩む。


「ほら、持って来てあげたわよ…って、どうしたの!?まさか猛獣に襲われたんじゃ…!!」


ナミの声がぼんやりと頭に響く。だけどそれはすぐ、俺の中で木霊する言葉に掻き消されてしまった。ダイ、ダイ、ダイ。その名がずっと、こびり付いて離れない。


「ライ!ライ!!しっかりしなさい!!」


ばちん、と両頬を挟むように叩かれて、再び意識が浮上する。彼女の鳶色の瞳に映る自分の情けない顔、そして彼女の心配そうな顔に気付いて泣きたくなった。横を見ればウソップも心配そうな顔をしている。

そうだ、今の俺は“ライ”だ。ダイはあの日、その名の通り死んだんだ。


「…はは、悪ぃ。ちょっと立ち眩みがしただけだ」
「それにしちゃあ随分震えてたじゃねえかよ…」
「武者震い、武者震い。ゾロ達に感化されちゃってさ」


お恥ずかしい、と言って笑って誤摩化そうとはしてみるが、やはり手も足も小刻みに震えたままで、顔は青ざめたままだった。ウソップもナミもまだ心配そうな顔をしていたが、俺はそれに気付かない振りをした。


「いやー、俺低血圧だから貧血でも起こしちゃったみたいだな。ちょっと気分転換に散歩でもしてくるよ!」
「ちょっと、ライ!?気分悪いんなら大人しく部屋で…」
「じゃあ“爪”も返してもらったし!行ってくるな!」


ナミが持って来た爪を手早く袖の中へ滑り込ませ、元の通りに付け直す。二人が後ろで危険だ戻れと呼ぶ声が聞こえたが、それでも俺は構わず船を飛び降りた。

そして、走って、走って、走って、頭にこびり付いて離れないあの名前を、必死に掻き消そうとした。

別に、ダイだったあの頃を特別辛いと思った事はなかった。生まれてすぐ引き取られた俺にはあれが当たり前で、全てだったから。だけど“ライ”となり、そして初めてスモーカーさんの元を離れた今、俺はあの日々を“怖い”と思ってしまった。笑う事の出来る今とは違う、毎日死を望まれて生きる日々。決して激しくはない、ただひたすらに静かで、冷たいだけの悲しい記憶。


「スモーカー、さん…」


震える唇で必死に言葉にしてみても、それは虚しく地に落ちて消えるだけだった。



離れて気づく


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