策士の策に嵌る [ 62/143 ]
*創作物語&絵サイト
琥珀創世書管理人橘伊鞠さまのレオン軍師をお借りしました。
異国からの客人がアスラナ城にやってきたのは、三日ほど前のことだった。
文官のお偉方が客人と毎日のように話をしているようだが、一体なんの話かは分からない。自分には特に関係もない相手だろう。
一応挨拶はしたが、それきり顔も合わせていない。
今日の仕事を終えて部屋に戻ってきたエルクディアは、扉を開けようとしたところで動きを止めた。
「――おいっ、痛い!」
中から聞こえてきたシエラの声に、はてと首を傾ぐ。ライナでも来ているのだろうかと考えて、少しだけ扉を開けた。
「んっ……!」
「ほらほら、力抜いてクダサイね」
「む、り……、ひゃっ」
「コラ、逃げないでクダサイ。落ちマスよ」
「無茶、言うな……ぁっ! やっ……、そこ、やめっ……!」
――これは、なんだ。
冷や汗がどっと吹き出し、心臓が急激に跳ね上がった。扉にかけた手はそのままで、石像のように動きが止まる。
部屋の中にシエラがいる。それはいい。それはいいが、シエラ以外の誰かが――それもライナやラヴァリルなどではなく、ユーリやリースでもなく、見知らぬ男が、中にいる。
あれは誰だ。そして中ではなにが行われているのだろう。
「ハイハイ、怖くないデスよー。シエラちゃん、背中弱いんデスねえ。ちょっと触っただけでこんなに震えちゃって……」
かーわいい、と囁く声がやけに大きく聞こえた。
蒼白になって硬直していたエルクディアの身体に、急激に熱が回る。顔が熱い。指先が小刻みに震えていた。
すぐにでも部屋に飛び込まなければいけないと頭では分かっているのに、足が根を生やしたかのように動かない。ここからでは部屋の様子が見えないことにより、脳内では勝手に映像が浮かぶ。
「そ、こ、ばかり……、やめろっ! んっ……、もっと、下……!」
「下デスか? 注文の多い人デスね。言っておきますけど、うちじゃあこんなことさせマセンよ」
「お前が、っ、やると言ったんだろうが、――ひゃっ、あ、レオ、ン!」
「まあそうデスねえ。俺のせいでこうなっちゃったわけデスし、しっかり気持ちヨクさせてあげマスよ」
男の艶のある声に、まるで泣き出す直前のような、シエラの甲高い悲鳴が重なった。悲鳴と言っても、そこに恐怖などは一切含まれていない。
切れ切れに聞こえた男の名は、レオン。
異国の客人、レオン=ブラックロウザその人だ。
それがどうして自分達の部屋にいて、シエラとこんなことになっているのか、まったくもって理解できない。
こんなことってなんだ。自問してすぐに後悔の念が押し寄せる。
押し入ろうかどうか悩んでいる間にも、二人の声は漏れ聞こえてくる。甘さをはらんだシエラの声は普段聞いたことがないもので、嫌がっている様子などは感じられない。それどころか「もっと」と求めているほどだ。
求めている? なにを。
またしても自問し、エルクディアは瞬時に己の足を反対の足で踏みつけた。
考えるな、落ち着け、違う、そうじゃない、そうじゃなくて、「そう」ってなんだ、いや、だから考えるなってもうマジで頼むからお願いだから考えさせないで下さいちょっと待てどうなってるんだこれどうすればいいんだ俺とりあえずライナに相談しに――……
「やっ、あ……、レオ、痛っ、痛い!」
「ハイハイ、我慢してクダサイねー。……もうチョットだけ、デスから」
「むりっ、いた、ぁっ……!」
――ひとまずライナに相談しに、
「っ、行けるかぁあああああ!」
泣き濡れた声を合図に部屋に飛び込んだエルクディアは、目の前に広がる光景に言葉を失った。
巨大なベッドに俯せで横たわるシエラ、その上には文官服を着込んだ眼鏡の男性が跨っている。
熱でぐらりと頭が揺れた。思わず腰の得物に手を伸ばしかけ――、そこで、シエラが睫に雫を乗せたまま不思議そうに瞬いた。
「んっ……、エルク? お前、そんなに顔を赤くしてどうした」
ぽんっといつものように投げられた台詞に、返す言葉を失った。え、と間抜けな声が漏れる。
「どーも。お邪魔してマス」
「え……、あ……、え?」
「レオン、もういい。……悪かったな」
「いいええ。元はと言えば、俺がシエラちゃんを無理に庇ったせいで傷めた筋デスから。今度から階段には気をつけてクダサイね。……で、どうデシたか? 気持ちヨかったデショ?」
――無理に庇った? 傷めた筋?
ぽかんとするエルクディアの前で、ベッドから降りたレオンがシエラの頭を軽く撫でている。「ああ、少し楽になった」そう微笑んで、シエラは起き上がってぐるぐると腕を回していた。
つまりは、――すべて勘違いだったのだろうか。
「っ――!!」
羞恥で一気に顔が火照る。今すぐに部屋から逃げ出したい。むしろ死にたい。
勢いよく顔を背けたエルクディアに、シエラはきょとんとしたまま濡れた目元を拭っている。
「それじゃあ、シエラちゃん。俺は戻りマス。彼に湿布貼ってもらってクダサイね」
「ああ。おやすみ」
「ハーイ、おやすみナサイ」
ひらひらと手を振り、脇をレオンが抜けていく。その瞬間、ぽんっと肩に手のひらが置かれ、淡く、けれど深みのある緑色が間近に迫ってきた。涼しげな目元が意地悪く笑う。
「――どんな想像、してマシタ?」
若いってイイデスねえ、と耳朶に落とされた言葉によって、喉の奥で絶叫が生まれた。
音にしなかったのは理性か、それとも声すら奪うほどの混乱か。
彼が去ったあと、その場に頭を抱えてしゃがみ込む。どうしたと近づいてくるシエラの足首が視界に入って、まだまだ若い竜騎士は思わずその場でもんどりうった。
「おい、どうしたんだ? エルク? えるーく?」
そして羞恥と自己嫌悪に苛まれて眠れなかったその翌日、彼はふいに気がつく。
かの知的な客人は、とある国の天才軍師であったと。
――すなわち、
「おはようございマス、総隊長サン。今日は騎士団の視察をさせてクダサイね」
関わらないわけには、いかないのだと。
(……ところで昨日、眠れマシた?)
(うわあああああああああああああああああああ)