水面―短編― | ナノ
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「とはいえ、丸焼きにするわけにはねえ……。……おやおやまあまあ、これはこれは、随分と元気なお嬢さんで」

 のんびりと恐ろしいことを言うクロードの山高帽(シルクハット)が、もぞりと揺れた。
 重たい金属扉の向こうから、喉が張り裂けそうな絶叫と物が壊れる音が、絶え間なく聞こえてくる。そもそも、地下牢なのに、どうしてそんなに物を置いているんだろう。気にしたところで答えは返ってこないので、彼は渋々扉を開けようとした。
 魔物であればいいが、ただの幽霊なら打つ手がない。魔気は感じられないからおそらく後者だろうな、と嘆息した彼の頭上から、間延びした声が降ってきた。

「くろーどぉ、ハラへったぁ。なんか喰うもんない〜?」

 扉の向こうは大の大人が怯えて逃げ出す状況だというのに、緊張感のない声はそれをまったく気にした様子もなく続ける。

「つか、ひまぁ。くろーど遊んで」
「だぁめ。出てくるなって言ったでしょーが」
「やだやだやだ。あーそーんーでー!」

 もぞもぞもぞ。
 甘ったれた黄色い声がするたびに、クロードのシルクハットが前後左右に揺れる。傍から見れば、響き渡る怪奇音と同じくらい奇妙な光景だっただろう。
 ――少し甘やかしすぎたか。
 過去の自分を少し悔やみ、クロードはひとまず自分の問題を片付けることを優先した。ばっとシルクハットを脱ぐと、彼の癖のある銀髪にべったりとへばりつく『なにか』がぎゃっと悲鳴を上げた。

「びっくりするじゃんかよう、くろーどのばか」

 拗ねてそっぽを向くそれを無理やり引っぺがし、ぶらんと顔の前で宙吊りにする。じたばたと暴れているのは、限りなく黒に近い赤茶色の、小さなトカゲだった。
 なんの変哲もない、ただのトカゲに見える。けれど不思議なことに、このトカゲがぱくりと口を動かすと同時に、あの甘ったれた少年の声が「降ろせよくろーど」と不満を漏らすのだ。クロードにとっては慣れたものでも、他の人間が見たら目を瞠ったに違いない。幻獣や魔物に慣れた聖職者ならば、話はまた別だろうけれど。
 ああ、いや――、くつりと喉の奥で笑い、彼はトカゲの尻尾をつまんだままぷらぷらと左右に揺らした。「なにすんだよう、やめろよう」下手をすれば、聖職者の方が驚いて腰を抜かすかもしれない。

「もうっ、やめろってばくろーど!」

 ゴッ、と音を立てて、辺りが一瞬にして赤い光に包まれる。クロードの指先を炎が焼いた。それを熱いと思う間もなく、どんっとけっして弱くはない衝撃が首を襲う。僅かによろめきはしたが、息を詰まらせなかったのはある程度予想していたからだった。
 少し高めの熱を持った人肌が、頬にぐりぐりと押し当てられる。

「遊んでくんないと、きょーりょくしてやんないんだからなー。へへっ、やっぱいーにおい」

 首筋に小さな顔を埋めてくんくんと犬のようににおいを嗅ぐのは、まだ五つか六つの子供だ。褐色の肌に紅蓮の炎を連想させる髪を合わせ、大きなアーモンド形の双眸はクロードのそれに似ている。無邪気にはしゃぐ少年に抱きつかれた大人の顔はひどく穏やかで、親子の日常にも見えた。
 よいしょ、と少年の尻を支えて抱えなおすと、彼はますます嬉しそうに擦り寄ってくるので、クロードはどうしたものかと再び考えなければならなかった。
 こうして和んでいる間も、地下牢の絶叫と物音はやまない。むしろ、いつまで経っても入ってこないクロードに痺れを切らしたように、音がひどくなっている気がする。

「ほらほら、あとで遊んだげるから今は降りて降りて。お仕事できないでしょーが」
「仕事よりもシャマのが大事だろ? だってくろーど、シャマのこと大好きだもんな!」
「ああうん、はいはい。大好き大好き。でも仕事も大事だからねえ」

 おざなりな物言いにもかかわらず、シャマという少年は「大好き」の言葉に反応して嬉しそうに破顔し、さらに強くクロードに抱きつく。そのうち、猫のようにごろごろと喉を鳴らし始めるのではないかと懸念してしまうほどに、少年はとろけきっていた。
 こうなってしまったら、もうどうしようもない。生まれたときからもっと厳しくしつけていればよかったのだろうが、ついついべたべたに甘やかした結果がこれだ。

 だって、かわいかったのだ。
 生まれたての火霊――サラマンダーは、とても。

 通常、精霊がその姿を人目に見せることはない。ましてや具現化して誰か一人に寄り添うなど、信じられないことだ。この火霊の誕生を目にしたのは、クロードとて偶然に過ぎなかった。召喚した火霊の中に、生まれたての彼が混ざっていたのだ。
 あのときは、精霊が生まれる瞬間など初めて見たので、大層驚いた。サラマンダーということもあり、普通のトカゲのように卵から、小さな小さなトカゲが生まれた。燃え盛る炎に包まれて、のそりと。
 見えないはずのものが見えた。これはなにかあるに違いないと、クロードはそのサラマンダーを持ち帰ることにした。一時だけ力を借りる存在の精霊に対する態度ではなかった。けれど、見ることができ、さらに触れられるのだ。だから、つい――そう、つい。

 自分が思っていたより、独り身は堪(こた)えていたのだろうか。犬か猫でも拾ってくる感覚で火霊を手元に置き、それはもう猫かわいがりした。主食には悩んだが、相手は精霊だ。清浄な気を好み、クロードの持つ神気を大変気に入ったようだった。見た目を裏切らずトカゲらしいものを食べたりもするが、それだって勝手に食べに行ってくれるから苦にはならない。たまに、本当にたまに、クロードの仕事柄、魔物とは切っても切れない縁ゆえに、その血肉を貪り、魂を喰らったりもするのだが――目に入れても痛くはないほど溺愛していたものだから、駄目と言えずにここまで来てしまった。
 おかげで、人間の子供のようにすっかり自我が芽生え――精霊としてそれはどうかとも思うが――、自分が愛されているという絶対の自信を持ったシャマは、精霊とはなんたるかをよく知らないままに人の形をとり、クロードにべったりと甘えている。



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