水面―短編― | ナノ
ディルートのパリオ〜2013シルディ誕〜 [ 98/143 ]

*2013シルディ誕


 紅染月(八月)の十六日は第三王子の誕生日ということで、ディルートの町並みは祝いの雰囲気に満ち溢れていた。
 王子の誕生日だけでなく、この日はディルートのパリオという祭りが開催される。誰もが楽しそうに町を歩き、歓声が絶えない。
 路地のあちこちに花籠が吊るされ、そこに入れられた色とりどりの花びらが、風が吹くたびにディルートの町に零れていく。
 水路に落ちた花びらの上を小舟が進む。船頭の調子っぱずれの歌に子供が笑い、市場で恰幅の良い女店主がみずみずしい果実をその場で切って大盤振る舞いしている。
 祝い事が好きだ。祭りが好きだ。楽しいことが、大好きだ。

 しかし、湧き立つ城下とは打って変わって、ロルケイト城内では鬱々とした空気が立ち込めていた。



+ディルートのパリオ+



「もうやだ……、もうやだ。なんで、なんでなの!? なんで誕生日に僕が女装しなくちゃいけないの!?」
「それがパリオの醍醐味でしょう」
「パリオの醍醐味はレースでしょう!? なんで! なんで女装!?」

 涙ながらに訴えれば、レンツォはちらともこちらを見ずに髪を整えていた。祭事用の文官服が憎い。
 ディルートのパリオ。
 八月十六日と十七日の二日間に渡って開催される祭りは、簡単に言えばチーム対抗のポーポー鳥レースだ。ディルート中に張り巡らされた水路を一周し、優勝したチームには賞金が出る。ディルートだけでなくホーリー中から人の集まるこの祭りは、毎年大盛況だ。王都からは父王も観戦にやって来る。
 ポーポー鳥のレースがメインだというのに、どうして王子である自分が女装などしなければならないのか。数日前から切々と訴えているのにもかかわらず、薔薇色の髪を持つ秘書官は涼しい顔で「決まったことですから」と言って聞き入れない。

「ですから説明したでしょう。勝利を導く女神が必要だと」
「それは毎年、ルタンシーン神殿の巫女が務めてたよね!?」
「蓼巫女さんが、『今年はわしもお祭り見て回りたいですー』と仰いまして」
「蓼巫女以外にも巫女さんたっくさんいるよね!?」
「せっかくだから王子にさせれば面白くないかなーと思いまして」
「おっかしいよ!!」

 力の限り叫び、シルディは机に両の拳を叩きつけた。じんじんと痛む手に、さらに涙が滲む。
 「早く着替えなさい」と手渡された衣装はどう見ても女性用のドレスで、純白の衣はとても肌触りがよい。繊細なレース、顔を覆い隠すヴェール。どれもこれも立派で綺麗だけれど、自分が身に着けるとなれば話は別だ。
 いくら高身長ではないシルディでも、肩の出たドレスが似合うとは思えない。どこからどう見ても細身の女の子が着て似合うように作られている。
 わざわざこの日のシルディのために特注であつらえたというのだから、もう呆れてものも言えなかった。

 ――どうせなら、クレメンティアに着てほしかった。

 そうだ、あの子なら。
 白がよく似合うあの子なら、このドレスもきっと着こなして見せるだろう。ほんのり薄い翠の影が見える銀の髪に、白い肌。紅茶色の大きな瞳がとってもかわいい、女の子。
 真っ白すぎて霞んでしまいそうだけれど、勝利を導く女神には色鮮やかな生花が飾られるから、きっととても綺麗だ。ヴェールの向こうから大きな目がシルディを見て、少し照れくさそうに睨む様まで想像できて、シルディはぐったりと項垂れた。

「……クレメンティアからなにか届いた?」
「祝いの手紙とプレゼントが。よかったですね、忘れられていなくて」

 ぽいっと投げ渡された小包を慌てて受け取り、シルディはレンツォを恨みがましげに睨みつけた。聞くまで渡さないだなんて意地が悪い。
 小包を開けた瞬間、ふわりと紅茶の香りが漂った。あの子の好きな匂いだ。綺麗な封筒に、これまた綺麗な字でシルディの名前が記されている。どきどきしながら封蝋を剥がして中を開けてみると、なんともクレメンティアらしい文章がしたためられていた。

『お誕生日おめでとうございます、シルディ。そちらはお祭りの真っ最中ですね。あまり羽目を外しすぎず、王子としての威厳を保つよう心掛けてください。一つ年を取ったのですから、より一層王族の自覚を持つように。――今日という日が、貴方にとって素敵な一日でありますように。クレメンティア』

 何度読み返しても、それ以上の言葉は出てこない。裏返してみたり透かしてみたりしたけれど、手紙にはそれだけしか書かれていなかった。
 溜息を吐けば、すかさずレンツォに「鬱陶しい」と叱りつけられる。「そんなことよりさっさと着替えなさい」厳しい声に構わず、シルディは手紙を何度も読み返した。
 威厳。自覚。言葉はどれも厳しくて、でもそれが優しさだと知っているから嫌な気はしない。感謝しこそすれ、腹が立つことなんてありえない。
 けれど欲を言えば、少し物足りない。――おめでとうと書いてある。それだけで十分のはずなのに。

「……会いたいなぁ」

 声にするつもりはなかったのに、自然と口から零れていた。
 振り向いたレンツォが、呆れたように目を細めてこちらを見ている。ああ違うんだ、違うんだよ、レンツォ。あのね、そういうんじゃなくって。声にするつもりだった言い訳が音にならず、胸の奥に消えていった。
 机に頬を付けたまま手紙を読み返していると、レンツォがまだ開けていない小箱を鼻先に押しやってくる。

「とっとと開けてはいかがですか」
「え? ちょ、ちょっと待って、痛い痛い! 痛いってば! 鼻潰れる!」

 鼻を押し潰す勢いで差し出された小箱のリボンを、シルディはそっとほどいた。中身はなんだろう。クレメンティアおすすめの茶葉だろうか。なんでもいい。あの子が選んでくれたものなら、なんだって。
 ぱっと蓋を開けた途端、シルディの目が丸くなる。

「なにこれ、鍵……?」

 小箱の中に入っていたのは、なんの変哲もない鍵だった。鍵をモチーフにしたアクセサリーには見えない。なんの飾り気もなく、鎖すらつけられていないのだ。
 なんだろう。なにかの暗号だろうか。
 人差し指ほどの大きさの鍵をまじまじと見つめながら考えていると、レンツォが馬鹿にするように鼻で笑った。

「私でしたら即刻返品したくなるような贈り物ですね」
「もうっ、レンツォ!」

 反射的に怒ってみたけれど、シルディとて不思議に思う気持ちは残ったままだ。
 なんなんだろう、これ。
 今までこんなことはなかった。別に不満というわけではないけれど、でも――。

「……あれ、でもこの鍵、どこかで見たような」

 城の中? ――いや違う。こんな単純な造りで開くような扉はない。
 ならばどこで?

「王子、そんなことより早く準備をなさってください。レースの開始まであと一時間ありませんよ。勝利の女神が遅刻だなんて許されませんからね。クレメンティア様も仰っていたでしょう、王子としての威厳を保ち、王族の自覚を持てと」
「言ってたけど! でも女装なんかしたら威厳もなにもあったものじゃないよ」
「どうせ顔なんざ見えませんよ。誰もがレースに夢中なんですから」
「そうだけど! っていうかそれなら、僕じゃなくてもいいでしょう?」

 鍵を握り締めて再び机に突っ伏せば、下敷きにした便箋から真新しいインクの匂いが鼻先をくすぐった。
 ああもう。
 クレメンティアからのプレゼントは難解だし、したくもない女装は目と鼻の先にまで迫っている。
 大体、自分の誕生日に、領民の前に女装して現れる領主がどこにいる。
 それこそ威厳もなにも――……。

「――え?」
「どうなさいました?」

 純白のドレスのしわを伸ばしていたレンツォが、うっすらと口元に笑みを浮かべている。

「レンツォ、なんで、クレメンティアからの手紙の内容、知ってるの?」
「おや。クレメンティア様のお説教はいつものことではありませんか」
「そうだけど、でも、」

 しっかりと封がされていたし、先に開けて覗き見た様子はない。シルディが手紙を読む間、レンツォはこちらを見ていなかった。なのになぜ、内容を知っているのだろう。
 真新しいインクの匂いが心臓を急かす。
 クレメンティアからの説教はいつものことだ。確かに、そうだ。レンツォならばそれくらい簡単に予想するのだろう。
 ――けれど。

「レンツォ、そのドレス貸して!」

 勢いよく席を立って、レンツォの手からやや乱暴にドレスを引きたくる。鏡の前で自分に合わせてみたそれは、裾が長めに作られているデザインだというのに足首がしっかりと覗いてしまっていた。腰も細く、どう見てもシルディの体躯より一回り小さく作られている。
 これはこの日のシルディのためにあつらえた特注のドレスではなかったか。
 鏡越しに見たレンツォの灰の双眸は楽しそうに歪んでいて、けれどなにも言わない。手のひらに握り込んだ鍵が熱い。じんわりと汗を掻いた手の中で、ともすればただの鉄の塊がとてつもない宝物のように感じられた。

「レンツォ!」
「はい?」
「あのっ、す、すぐ戻るから! 絶対間に合わせるから!!」

 レンツォにドレスを押しつけて、シルディは駆け出していた。飛び出した扉が閉まる直前、その背に声が投げられる。

「遅刻したら、罰としてプレゼント没収ですよ」


+ + +



 またレンツォの意地悪かもしれない。ただの悪戯かもしれない。
 それでも弾む息を抑えきれない。走る心臓を宥められない。
 城内を走り抜けるシルディに、擦れ違った誰もが笑顔で「おめでとうございます」「王子、頑張って!」と声をかけてきた。――なに、もしかしてみんななにか知ってるの?
 息が上がる。胸が苦しい。それでも、足が止まらない。
 城を出て、町へと走った。祭りに喜ぶ領民達がシルディを見て、祝いの言葉を投げてくる。急げ急げ、早く早く。急かす声に頬が緩む。
 確信はまだ持てない。
 けれど、直感が訴えていた。

 今日は、ディルートのパリオ。
 ポーポー鳥のレースが開催される日。

 花の舞う町、きらめく水路。
 何度も利用したことがあるポポ水軍の案内所で、濡れないようにと倉庫に荷物を預けたことがある。あの倉庫の鍵は、今この手に握っているものではなかったか。
 人混みを掻き分けて案内所の前まで辿り着いたとき、シルディの喉はぜぇぜぇと喘ぐような呼吸を繰り返していた。止まった瞬間汗が噴き出してくる。照りつける日差しが容赦なく肌を焼く。

 桟橋の上に、白い影が見えた。
 ホーリーの名産である花傘を差したその人は、水路に足先を浸してポーポー鳥を撫でている。装飾がないことから、あのポーポー鳥はレースには参加しないらしい。
 足がもつれた。
 乱れた足音に、その人が振り返る。

「――クレメンティア!!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。
 驚いたのは相手も一緒だったらしい。大きな目をさらに大きくさせてシルディを見て、呆れたように肩を竦める。一瞬緩みかけた口元がきゅっと引き締められるのを、見た。

「なんですか、その顔は。ああもう、髪もぼさぼさで情けない。言ったでしょう、王子としての――」
「うん!」
「人の話は最後まで聞きなさい!」
「うん、うんっ! クレメンティアだ! ほんとにクレメンティアだ、嬉しい、わざわざ来てくれたの?」
「それは……、たまたま、お休みをいただけたものですから、それで……」
「嬉しい! ありがとう!!」

 クレメンティアの手を握り締め、シルディは溢れ出る喜びを全身で表し続けた。嬉しい。本当に。こんなにも嬉しいだなんて。
 彼女の誕生日にアスラナに行けなかったことが本当に悔しい。思わず抱き着こうとしたら花傘で殴られてしまったけれど、そんな痛みも気にならないほど嬉しかった。

「それより、急がなくていいんですか? パリオ、もうすぐ始まるんでしょう」
「あっ、そうだった、急がなきゃ! クレメンティアに着てほしいものがあるんだ!」

 ぎゅっと握り締めた手のひらは自分と同じくらい熱くて、けれど小さくて柔らかい。
 そのまま手を引いて走り出そうとしたら、「靴!」と怒られた。濡れた足を拭いて靴を履くまでの短い時間が、とてつもなく長く感じた。
 もう一度。もう一度、手を差し出す。
 見上げてきたクレメンティアがふよふよと瞳を泳がせて、やがて諦めたようにシルディの手を取った。

「――羽目を外しすぎないようにとも言ったでしょう」

 なに言ってるの、クレメンティア。
 今日はお祭りだよ。
 手を引いて走りながらそう叫べば、領民達が二人を見てけらけらと笑う。クレメンティアが顔を真っ赤にしてなにかを言っているけれど、歓声に掻き消されてよく聞こえなかった。
 汗だくになったクレメンティアは城に着くなり水風呂に入り、何人もの侍女達に身支度を整えられてあの純白のドレスに着替えさせられた。
 汗を流して盛装に着替えて別室で待っていたシルディのもとに、にこにこと笑みを浮かべた侍女達がやってきて、その後ろから白が姿を現す。
 色鮮やかな花に飾られた白いドレス。その薄いヴェールの向こう、紅茶色の大きな瞳がこちらを見ている。
 言葉を失うシルディの後ろに控えていたレンツォが、鼻を鳴らして笑った。

「お誕生日おめでとうございます、シルディ王子。今年は特別ですよ。――我らディルートに在する臣下一同より、愛を込めて」



 勝利の女神を、差し上げましょう。
 笑みを含んだその声に、クレメンティアがぷるぷると肩を震わせていた。



(かわいい! すっごく、すっごくかわいいよ!)
(鍵の意味に気づかなかったら貴方が着ていたんですよ、シルディ)


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