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「……ちょっとスズヤ二尉んとこ行ってくる」
「気をつけなさいよぉ」

 手土産にビールを買って男子寮へ足を運んだが、いつもなら「仕方ねぇな」と言って通してくれる寮監は、頑なにチトセを拒んだ。どれほど頼み込んでも通してもらえず、直接スズヤに連絡を取ってみたが、携帯端末は虚しく呼び出し音を響かせるばかりで彼の声を拾わない。
 こんなことは今までなかった。胸の奥が嫌な騒ぎ方をする。男子寮の前で温くなったビールを両手にぽつんと立ち尽くすチトセは、ようやく事態の恐ろしさに触れたような気がした。


* * *



「なあ、聞いた? 今、赤坂のトコに変なオッサン来てるんやって!」
「オッサン〜? でもまだ若くなかった? 兄妹ちゃうん?」
「兄弟が『赤坂』って呼び捨てにすんのもおかしいやん! あれ彼氏かなぁ?」
「ええー、赤坂ってあの暗い奴やろ? 大人しそうな顔して、案外エンコーとかしてたりして」

 本人達は潜めているつもりの声は、それでいて大きく周囲に響き渡っている。咎められたところで些細な冗談だと言い通すであろう嘲笑は、次第に膨れ上がって鋭い毒針となっていった。この場にいない穂香にはまだ刺さらない。しかし、それはもう間もなく疾風のごとく校内を駆け巡るであろう。
 悪意の塊のような言葉を吐きながら、彼らは悪意などないと言う。傷つけるつもりもないのだと。己が生み出した言葉がどれほど心を抉り、傷つけるものかも知らずに、赤子が凶器を振り回す。

「なあなあ、夏美、そこんとこどうなん? 赤坂さんって年上の彼氏おんの?」
「さあ、知らん。でもあの子、年上受けしそうな感じはしてるよな。意外とこう、ほら、なあ?」
「うっわ、悪い顔〜! 夏美、あんた赤坂さんと友達やったんちゃうの?」
「もちろん友達ですぅー。でもさ、友達やからこそ分かることもあるっていうかぁー」

 悪意の種は、容易く芽吹く。
 その場に残る欠片に声はなく、けれど、確実に広まっていく。
 

* * *



「ほら、帰るぞ」
「あ、あの、なんで急にっ……」
「いいから帰る。今日はうちに泊まれ」

 穂香の手を強く引いてそう告げると、それまで自分達に注目していた群衆がわっと声を上げた。なんなんだ。苛立ちによってアカギの声がさらに大きくなる。

「赤坂! 帰るぞ」

 小さなざわめきが増したような気がしたが、その理由も、穂香が動きを固くした理由も、思いつかなかった。だから半ば強引に彼女を連れ帰ろうと手を引いたのだ。
 怒りに満ちたその声が、アカギの耳朶を叩くまでは。



「だからっ! そんな大きい声で赤坂赤坂言わんとって!」

 番犬のようにぎゃんぎゃん吠えて噛みついてきたのは、当の穂香ではなく見知らぬ少女だった。どうやら穂香の友達らしいが、勝ち気なこの少女は穂香とは違ってアカギに怯むことなく立ち向かってくる。
 ――面倒な。奏を彷彿とさせる気の強い女の登場に、アカギは小さく舌を打った。
 事は急いている。ミーティアに借りた改造バイクをかっ飛ばして高校までやってきたはいいが、待っているようにと連絡を入れたはずの穂香は校門にいなかった。仕方がないので電話で呼び出したのだが、彼女は出ない。しつこく携帯を鳴らし続けると、蚊の鳴くような声が返ってきた。
 勢いで居場所を聞き出して校舎に乗り込んだのはいいが、不審者に間違えられて通報されそうになった。野次馬からの視線は容赦なくアカギを射抜く。そのせいで、アカギの機嫌は最悪だった。ただでさえ胸くそ悪い思いをしているというのに、ここの連中ときたらそれを増長させるような真似しかしない。
 不機嫌なときの自分の顔がどれほど凶悪か自覚していないわけでもなかったが、取り繕ってやる必要性も見いだせないので存分に眉間に皺を刻んでいた。
 警備員や教職員に穂香の知り合いだと告げて待つこと数分、顔を真っ赤にさせた彼女がやってきて、首から陳腐なネームプレートをぶら下げるのと引き換えに、ようやっとアカギは不審者扱いから解放された。


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