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 静かな質問は、同じように静かに返された。ナガトの放った最後の台詞だけが、僅かに言葉尻が揺れていた。
 ずくずくと痛む頭を抱えて、奏は座ったまま膝に額を押しつける。髪で顔を隠せば、その苦い表情は誰からも見られることはない。――ああ、もう。どうやってあの子に説明すればいいのだろう。きっと怯えさせてしまうのに。
 ナガトはいつまで経っても謝ろうとしなかった。だからこそ、それ以上怒れなかった。一言でも謝罪を口にしようものなら、謝って済むものかと思う存分詰ることができたのに。

「……あんたら、ほんまずるいわ」
「アカギの方は最初っから相当気に病んでたから、あんま責めないでやって」
「共犯は共犯やろ。一発殴る」

 「なかなか痛かったよ」頬を押さえて苦笑するナガトの足を、奏は軽く踏みつけた。
 なんとなく。本当になんとなくだが、こういった危険性があることは予想していた。父が感染したのだから自分達にもなにかあるのかもしれないと考えるのは、ごく自然な流れだ。
 そもそも、最初から異常だった。なにもないと考える方が愚かだ。吐き出した息はまだ白く染まらない。もっと気温が下がれば、唇から白い吐息が立ち昇るのだろう。小さな頃は、それが魔法のように思えて仕方がなかった。

「一発だけで許してやるんやから、感謝しぃや。――で? 自覚して、あたしらはなにしたらええん? 危機感だけ持ってろって話とちゃうんやろ?」
「……ほんっと、きみは話が早くて助かるよ。簡単に言うなら、護身術くらいは身につけて欲しいなって話」
「自力で戦えって?」
「まさか。――必ず助ける。必ず守る。約束するよ。だけど、万が一のときは俺が行くまで切り抜けて」

 さわりだけナガトは自己防衛の手段を語ったが、一度で理解できそうにもなかった。詳しくは穂香と一緒にいるときに話すという。
 だったらなんで最初からそうしなかったのか。責めるように言えば、彼は「だってきみに話した方が色々と楽そうだから」とのたまった。今度は強めに足を踏む。

「地球外生命体に命まで狙われて、それと戦う日が来るかも――なんて、ほんまマンガの主人公の気分やわ。気ぃ引き締めなあかんな」
「きみなら俺らと同じくらいの働きを期待できそうで怖いよ」

 もうなってしまったことにぐだぐだ文句を言ってもどうしようもない。変化させることができるのは、過去ではなく未来だ。そのために今をどう動くか。動きたいように動く。それが奏の答えだ。
 恐怖は好奇心に変える。大丈夫。こんなことは自分達にしかできないのだ。なら、とことんやってやろうではないか。
 空になった缶を捨てて戻ってくると、どこか寂しそうな顔をしたナガトが奏を見上げてきた。綺麗な顔立ちの男がベンチに一人で座っている光景というのは随分と絵になる。
 柔らかそうな前髪に、思わず触れたくなった。その頬を、落ちかけた夕陽が優しく照らしている。睫毛の影が頬に揺れるほど、端正な顔立ちだ。そういえば、彼はいったい何歳なのだろう。自分と同じか、少し下に見える。

「――あのさ、この世界の植物から色がなくなったら、どう思う?」

 現在進行形でそれは現実になっているわけだが、白く変わっていく方が少数だ。まだまだこの世界の植物には色がある。
 もしも。もしもすべてが、白く塗り変えられてしまったら。
 奏はベンチのナガトに背を向け、公園をぐるりと見回した。足元には柔らかな芝生。あちこちで小さなピンク色の花が揺れている。犬が匂いを嗅いでいるのは、電信柱の下から顔を出している雑草だ。名前も知らない。ただ、黄色い花が咲いている。茶色い枝から生えている葉は、秋が近づいていることもあって緑やら赤と様々だ。
 この世界には緑が多い。大きな建物に隠されながらも遠くに見える低い山や、家の玄関先に飾られているありふれた花々。小学校の校庭の端にあるソテツの木や、プラスチックの植木鉢に植えられたチューリップ。
 それらがもし、すべて白に変わったら。

「……つまらんなあ」
「――え?」
「なんの面白味もなくなるやん。全部一緒やったら、おもんない」

 春の桜。夏のひまわり。秋の紅葉。冬の落ち葉。
 そのすべてが同じ白に変わるのだとすれば、途端に四季が面白くなくなってしまう。名のある植物だけじゃない。普段見向きもしないような雑草だって、この世界に当たり前のような彩りを与えている。
 白く変わるということがどういうことなのか、理解はしているつもりだ。だがそのことを踏まえても、今の自分が想像して導き出した答えはそれだった。
 こんなにも綺麗なのに。ナガトの髪に乗った赤い花びらを拾い上げて、僅かに残った香りを楽しんだ。これはなんの花だろう。穂香なら知っているかもしれない。吸い込んだ香りはとても甘い。優しくて、するりと身の内に入ってくる。
 白い花は美しい。奏の乏しい知識でも知っている白い花といえば、かすみ草や百合の花だ。他にも名前は知らないが、白い花などどこでも見かける。間違いなくそれらは可憐だ。嫌いではない。だがそれは、周りに他の色があってこその白だからだ。
 この世界で、白は無垢の象徴のようになっている。純真で穢れのない存在。では、無垢であれば美しいのだろうか。穢れがないことが、正しいのだろうか。
 他の色があってこそ、白の美しさが際立つのではないのだろうか。

「だから、あんたらも一生懸命取り戻そうとしてるんとちゃうの?」

 ――白に奪われた、緑を。世界を彩る色を。
 ナガトはただでさえも大きな黒い瞳を、これでもかと丸くさせた。左目の下にぽつりと浮いた泣きぼくろが目立つ。そうするとより年下に見えて、奏は思わず彼の頭をぽんぽんと撫でていた。柔らかい。指の間に入ってくる髪質はひどく好みだ。頬が緩んだ。
 彼は嫌がるそぶりも見せず、されるがままになっていた。――もう少しだけ。すっと深く手を差し入れる。手櫛で梳くように後ろに撫でつけてやる。そのまま手を滑らせ、叩いたせいで熱を持っている頬に手のひらを添えた。ひんやりとした手のひらが心地いいのか、彼はうっとりと目を細めて猫のようにすり寄ってくる。
 ――かわいい。

「……きみは、ほんっと変わってる」

 どこか舌足らずになったその呟きに、奏は鼻を鳴らすだけにとどめておいた。


【7話*end】
【2014.1115.加筆修正】


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