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揺れる欠片と沈む月 *7




 緑に溢れた世界はさぞかし美しかろう。
 それは晩年の曾祖父の口癖だった。曾祖父は誰よりも緑が好きなのだと、幼心に理解していた。床につき、もうほとんど視力を失っていた曾祖父は、枕元に飾られた鮮やかな植物の方へ目を向けて、少しだけ悲しそうに笑っていた。そのときの表情が、今も瞼の裏にこびりついている。

「守れよ、アカギ」

 守れよ。緑を。この色を。
 再び生まれてきたこの命を、守れ。
 世界に色を。
 白の恐怖からの脱却を。

「――咲き誇れ」

 小さなアカギの頭を力強く撫で、曾祖父は言った。骨と皮だけになっていたその身体は、いつだって大きく見えた。しわだらけの手にありったけの思いを刻まれたのだ。
 アカギが生まれてくるずっと前に他界している曾祖母の名がミドリだったことを、唐突に思い出した。
 曽祖父の腕が落ちた拍子に、指輪が近くの湯呑みにあたり、ガラスの欠片が揺れてぶつかり合うような音を立てた。雲に隠れてぼんやりと輝いていた月が沈む頃、曾祖父は永い眠りについた。とても静かな最期だった。

 そんな曾祖父の息子であるアカギの祖父は、いわゆる“正義の味方”だった。白の植物から人々を守るべく活躍する、とてつもなく“カッコイイ”存在だった。
 曾祖父が眠りについたその日も、祖父は各地を飛び回っていた。“カッコイイ”戦闘機で白の植物を駆逐する、“カッコイイ”祖父が自慢だった。さすがに当時の祖父は前線を退き、指導官として勤務するに限られていたらしいが、アカギは祖父がいつまでも戦闘機を乗り回しているものだとばかり思っていた。
 白の植物が世界を蹂躙し始めたのは、曾祖父が生まれるよりもずっとずっと昔の話だ。曾祖父が物心ついたときにはもうすでに軍の骨組みはできていたようだが、当時はまだ空軍と陸軍の区別がなかった。曾祖父も軍の人間だったらしいが、実戦ではなく机仕事を主にしていたらしい。祖父はいつも、陸空軍の別ができたのは曾祖父の働きかけによるものだと言っていた。
 そんな曾祖父、祖父と軍人の流れができているのだから、父も当然軍の人間――というわけではなかった。父は軍とはまったく関係のない企業に就職し、そこで働いていた。白の植物に関する対策が十分になされた大企業で、母もその方が安心だと喜んでいた。

「だからアカギ、あなたもパパと同じような道を歩んでね。危ないことはしないで」

 母の願いは、父の願いでもあった。

「父さん――お前のじいさんや、ひいじいさんみたいに危険な職には就かなくていい。あんなものはお前がやらなくても誰かがやってくれる。いいな、アカギ。お前は普通に暮らせばいいんだ」

 父はアカギを強く抱き締めて言った。

 普通とはなんだ。誰かとは誰だ。
 どうして自分の将来を、初めから誰かに制限されなければならない
 そういった思いは幼い頃からあったものの、反抗期も重なってそれはついに爆発した。緑地防衛大学校――通称緑防大(りょくぼうだい)へ入学を決めたのもその頃だ。思春期の盛りに家を飛び出して友人や親戚の家に世話になりながら、勉強や体力作りに励んでいた。曽祖父や祖父のような、“正義の味方”への道を目指そうと思った。
 そして色々問題を起こしながらも無事卒業し、現在は幹部候補生としてテールベルト空軍に身を置いている。
 一応その旨は両親に伝えてあるが、向こうからの音沙汰はない。親戚に聞く限り元気に暮らしているらしいが、勝手に飛び出していった一人息子には腹を据えかねているようだった。

「つっても、死にかけたこたァまだないっつの」

 飛行樹で夜空を滑る。住宅街だが深夜ということもあって、明かりのついている家はそう多くはない。街灯がぽつぽつと並んで道があることを示し、大通りには車のライトが線を描き、コンビニの真っ白な照明が目に付いた。
 人通りは大通りに比べてほとんどない。しんと静まり返った住宅街の上空を飛んでいると、コウモリとすれ違った。こんな都会にもいるのかと感心する。
 そうこうしているうちに、目的の家に辿り着いた。豪邸でもなければ、隙間風が入り込む不安のある家でもない。至って普通の一軒家の、明かりの漏れ出ている二階の窓を叩く。
 確かここは穂香の部屋だ。人目に付かないような設定は飛行樹に搭載されているが、空渡艦ほど完璧ではない。そのため、通常ではありえない場所から訪問するこの瞬間が、周囲の目を一番警戒しなければいけないタイミングだ。
 窓を開けてアカギを招き入れたのは、意外なことに妹の方だった。目は合わそうともせず、唇だけで「こんばんは」と言ってくる様子が妙にもどかしい。――もどかしいというよりは、腹立たしい。
 いつ訪れても、彼女はアカギとまともに目を合わせようとはしなかった。会話などほとんどない。こちらの質問にかろうじて蚊の鳴くような声で応えるだけで、それ以外のやり取りをした記憶はまったく持ち合わせていない。常に小屋の隅で震えている子兎のような有り様に、じわじわと苛立ちが募っていく。
 連絡を受けて駆け付けた手前、ぐつりと腹の底で煮えかけたものを押し殺して姉妹に問う。


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