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 とんっ。
 ドルニエの淡いピンクの指先が、ハインケルの胸をつついた。

「人類にとって希望の種が、ここにある」

 ――この身体は、ゆりかごだ。
 体内に取り込んだ白の植物の核は、薬によって何層もコーティングされた状態にある。ハインケルが生み出したのは、神経系に作用する有害物質の取り込み阻害薬だ。核をコーティングすることによって、伝達物質が受容体を通らないようにしている。
 かつて、カクタスが同様の実験を行った。人の身体を代えの利く人形かなにかのように扱い、多くの犠牲者を出したと聞いている。けれどあの国は、総力を挙げても完成まで導くことができなかった。優秀な科学者が何人も文字通り命を懸けて研究に励んだというが、日々進化を続ける白の植物には敵わなかったのだ。
 高まる熱を感じ、ハインケルは息を飲んだ。
 この薬がもしも完成すれば、世界が変わる。世界が待ち焦がれた待望の新薬だ。これで誰も、白の植物に怯えずに済む。――すなわち、多くの利がもたらされる。
 ハインケルの身体すべてがデータだ。この血の一滴にどれほどの価値があるのか、今のハインケルには想像すらできない。だが他国に渡すことは許されないということだけは、はっきりと理解できる。
 希望の種だとドルニエは言った。確かにその通りなのだろう。けれど彼女の手に渡してしまえば、この種は金を生むための道具へと変わる。ただ、それだけのために。

「舞台は整ってるのよ、子羊ハインケル。自らを実験台にする気狂い科学者と、英雄の国の女。可哀想な乙女の犠牲者に、第二の“英雄”達。シェッド・コアに続く、未来永劫語り継がれる英雄の物語がここに生まれるの! 最ッ高じゃない! あんたの名前は一生刻まれるのよ! 他プレートの一国を焦土に変えた極悪人として!」

 ハインケルは、ちらりと捉えられたスツーカに目をやった。血の滴る翼が痛々しい。
 ごめんよ、すぐに助けてあげるから。胸中でそう呟き、精一杯の力を込めてドルニエを見据える。
 シェッド・コアはビリジアンの英雄だ。唯一白の植物に対する耐性を持ち、それゆえに核を封じる器に選ばれた。今度はその役目をナガトとアカギに――いや、この国に、押しつけようというのか。

「まっ、てなわけでしばらく寝といてよ。準備に時間かかっちゃうしね〜」
「断るっ!」
「アハッ、ほんっとどーしちゃったの? 虚勢張ってもムーダ。あたしがなにもしないとでも思ってんの?」
「なっ……」

 ドルニエが自らの首を指さして笑った。はっとして注射された首筋を押さえる。時計を確認したドルニエが楽しそうにカウントし始め、その声が次第に遠のいていくのを感じた。
 なにか混ぜられていたのか。気づいたところでもはや手遅れだ。それに、どちらにせよ、ハインケルがこの男達から逃げられるとは到底思えない。
 視界が隅から徐々に欠けていく。全体がぼんやりと白くかすみ、端からじわじわと六角形に黒く塗りつぶされていく光景は恐怖でしかない。立っているのもままならないだるさに、どっと膝をついた。相当な衝撃だったろうに、身体は痛み一つ感じない。
 おそらく、すぐ目の前にドルニエがいるのだろう。金のぼんやりとした影が降る。

「おやすみ、おにーさま」

 寒気しか走らない甘ったるい声を最後に、ハインケルの意識は途絶えた。


* * *



 艦の食堂は相変わらず賑やかだ。賑やかを通り越して騒がしいほどだが、騒音の中心には大抵艦長のカガがいる。今日も若い部下とソーセージの取り合いではしゃいでいたのだが、いつもならば母親よろしく「静かにしろ!」と飛んでくるハルナの叱責はどれほど待っても聞こえてこなかった。
 そのハルナは食堂の隅で携帯端末を手にしたまま、凍りついたように立ち尽くしている。
 先ほどかかってきたコールの相手が誰なのかは、あの様子を見れば数人に絞り込めた。どうやらよほど衝撃的な内容を聞かされたらしい。精悍な顔立ちを僅かに青褪めさせ、ハルナは端末を握り締めている。

「カシマぁ」
「なんですか!? もう駄目ですよ、もうあげませんよ! これは俺の分なんですからっ! 夜勤の人間から夕食(エネルギー)奪うって鬼ですか!」
「バッカ、ちげーよ。あれ見ろ、あれ」
「え? ……ハルナ二尉、ですか? どうしたんでしょう……。すっごく深刻そうな顔してますけど。――って、ああーっ!」

 ハルナの様子を訝しげに眺めたカシマの皿から肉を奪い、カガはあっさり自らの胃袋に収めて笑った。鬼だなんだと嘆く部下の頭を掻き回し、未だぴくりともしないハルナを観察する。


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